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(2)第2日目 五月二十三日(日)(十二番から二十五番まで 徒歩距離:23.5km) ◆旅館「美さと」 から 十二番・野坂寺まで (am7:20〜7:55 徒歩1.4km) 今日は昨日と違い、一転して大雨降りである。完全防雨の服装で旅館「美さと」を七時二十分出発。まだ朝早く、人通りも少なく、羊山公園の横の住宅地の中を進む。雨は多少小降りになり、十二番・野坂寺に到着した。 ■<十二番> 仏道山 野坂寺 臨済宗南禅寺派 御本尊:聖観音菩薩 身の丈158cm 吉祥天に似た像で藤原期の作と言われている。 御詠歌:老いの身に くらしきものは野坂寺 今思い知れ後の世の道 重厚な雰囲気の楼門形式の山門である。山門の左右には花頭窓の中に閻魔大王、泰広王、太山王、十王が安置されている。また上層部には薬師如来が安置されている。本堂の入口には門柱の様な立派な日光ヒバがあり、本堂は火災により昭和49年に再建された。雨降りの中、早朝のため参拝客はなく、今日の納経者第1号であった。
野坂寺山門 野坂寺本堂 ◆十二番・野坂寺 から 十三番・慈眼寺へ (am8:10〜8:30 徒歩1.4km) 十二番・野坂寺からやや戻り、比与志旅館の前で左折して住宅街の中を公会堂前を通り、国道140号の5方向交差点に出る。ここを横断して左斜めに入る道を進むと、西武秩父駅前に出る。ここで信号を左に進み、秩父鉄道の踏切を越えると、十三番・慈眼寺である。秩父市の市街地のため、雨降りでも人通りは多くなって来た。 ■<十三番> 旗下山 慈眼寺 曹洞宗 御本尊:聖観音菩薩 行基作と言われている。座像観音である。 御詠歌:み手に持つ はちすの母きのこりなく 浮世の塵をはけの下寺 秩父市街地にあり、入母屋造りの正面に唐破風の向拝を付けているため、こじんまりしたお堂に見える。雨が強く、ローソクと線香を灯すのに苦労した。参拝客は3人である。
慈眼寺本堂(観音堂) 本堂の彫刻 ◆十三番・慈眼寺 から 十四番・今宮坊 (am8:40〜8:50 徒歩0.6km) 十三番・慈眼寺を出て北に商店街を進む。今宮神社を過ぎると、十四番・今宮坊に着いた。 ■<十四番> 長岳山 今宮坊 臨済宗南禅寺派 御本尊:聖観音菩薩 身の丈57cm 江戸時代初期の作と言われている。 御詠歌:昔より たつとも知らむ今宮に まいる心は浄土なるらん 住宅地の中にひっそりと観音堂だけがある札所であり、住職もいなく近くの民家に納経所がある。大雨の中、一人でだけで参拝する。ローソク、線香を灯すにも火がつかず苦労する。しかし文献で調べてみると秩父札所の中では古い格式のある寺で、京都聖護院の直末の修験道の中心的存在となっていた。明治の神仏分離令で、今宮神社から分離され現在に至る。 今宮坊観音堂 ◆十四番・今宮坊 から 十五番・少林山へ (am8:55〜9:10 徒歩0.85km) 十四番・今宮坊の裏手の駐車場の脇の道から住宅地を進み、右手に庚申堂を見たら、その先で右へ。道なりに進み、信号を渡って直ぐ路地に入る。少し先で商店街に出たら、左折すると前方に秩父神社の社が見える。100mほど進むと右手の路傍に「五葉山少林禅寺」の石柱がある。そこを右に入って秩父鉄道の踏切を渡ると少林寺に着く。 ■<十五番> 母巣山 少林寺 臨済宗建長寺派 御本尊:十一面観音菩薩 御詠歌:みどり子の 母その森の蔵福寺 父もろともに 誓いもらすな 秩父札所ただ一つの土蔵造りで、白い漆喰が塗られた入母屋造りの建物である。千鳥破風の向拝で西洋館の感じがする。ボタンの花が奇麗であった。雨も小降りになり、ゆっくり参拝した。明治の神仏分離令で、廃寺となる蔵福寺を合併吸収した名残りが御詠歌に残っている。
少林寺本堂 境内の牡丹 ◆十五番・少林寺 から 十六番・西光寺へ (am9:20〜9:35 徒歩1.5km) 十五番・少林寺から秩父神社の門前へ出て左折し、秩父神社を右に見ながら進むと直ぐ「秩父札所十六番」の道標があり、ここを入ると西光寺である。 ■<十六番> 無量山 西光寺 真言宗豊山派 御本尊:千手観音菩薩 蓮台に乗った像 行基作と言われている。 御詠歌:西光寺 誓いを人に尋ねれば ついのすみかは 西とこそ知れ 「無量山」の額を掲げる楼門形式の簡素な山門で、合掌一礼し境内に進むと、緑の木々の中に大きな寄棟造りの本堂に着き、ここで参拝。秩父札所では珍しく真言宗の寺である。
西光寺」山門 本堂 ◆十六番・西光寺 から 十七番・定林寺へ (am9:55〜10:15 徒歩1.2km) 十六番・西光寺の山門の脇から細い道へ進み「十六番道」の道標を見て左折し、秩父市立病院の前を過ぎたら右の路地へ。この先も道標に従って行くと十七番・定林寺に着いた。 ■<十七番> 実正山 定林寺 曹洞宗 御本尊:十一面観音菩薩 身の丈55cm 鎌倉期の作と言われている。 御詠歌:あらましを 思い定めし林寺 鐘ききあえず 夢ぞさめける 十七番・定林寺には山門はないが、立派な鐘楼堂がある。まず鐘をつく。ここの鐘には西国、坂東、秩父の百観音の御本尊像の浮き彫りと御詠歌が刻まれている。鐘は宝暦8年(1758年)の鋳造と言われている。石段を上がって、宝形造りの本堂(観音堂)で恭しく参拝した。本堂は江戸時代の建物である。
定林寺鐘楼 本堂 ◆十七番・定林寺 から 十八番・神門寺へ (am10:25〜10:40 徒歩1.1km) 納経所で十八番への道順を聞き出発、左十八番の道標で交通量の多い大通りに出て左折し、交差点の先で細道に入る。また土砂降りである。突き当たって左へ進み、秩父鉄道の線路を横切り少し行くと「右十七番、左十八番」が見えた。この道標に従って左折し、道なりに進むと、十八番・神門寺に着いた。 ■<十八番> 白道山 神門寺 曹洞宗 御本尊:聖観音菩薩 身の丈100cm 室町期の作と言われている。 御詠歌:ただ頼め 六則ともに大悲をば 神門に立ちて助けたまえる 神門寺の境内は狭く山門はなく、低い堀の内に観音堂、不動堂、蓮華堂、納経所がこじんまり配置されていた。神門寺はかつて長生院という修験道の寺で栄えたが、明治の修験道禁止令及び神仏分離令で長生院は存在出来なくなり、観音堂は新たに曹洞宗の寺となって今日に至っている。観音堂は天保年間(1830〜1844年)に再建され、唐破風の向拝を持つ重厚な建物である。 神門寺観音堂 ◆十八番・神門寺 から 十九番・龍石寺へ (am10:50〜11:10 徒歩1.5km) 十八番・神門寺を出て国道を横断し、秩父鉄道の踏切を渡って広い道に出ると右折し、500mほど進むと「左十九番」の道標に会う。これに従って進むと、十九番・龍石寺の入口に着く。 ■<十九番> 飛淵山 龍石寺 曹洞宗 御本尊:千手観音菩薩 身の丈49cm 室町期の作で寄木造り座像である。 御詠歌:あめつちを動かすほどの龍石寺 参る人には利生あるべし 十九番・龍石寺は巨大な岩の上に観音堂があり、その入口に六地蔵が立ち並び、その先に宝形造りの観音堂がある。山門、水屋、鐘楼、納経所もなく、無住の寺である。 雨天の中、参拝客いなく、一人でローソクを灯し線香を上げ、階段を上がって納札とお賽銭を納め、読経をした。完全防雨服装なるも、体内まで濡れて気分がすぐれない。 龍石寺観音堂と立地蔵
■十九番・龍石寺 から 二十番・岩之上堂へ (am11:20〜11:30 徒歩0.9km) 十九番・龍石寺の門前から巡礼者専用道を道標に従って進み、歩行者専用の橋の上が公園になっている秩父橋で荒川を渡る。 橋を渡り、橋詰で国道99号を横切って細い急坂を登ると、荒川河岸段丘上に二十番・岩之上堂の屋根が見えて来た ■<二十番> 法王山 岩之上堂 臨済宗南禅寺派 御本尊:聖観音菩薩 身の丈71cm藤原朝時代の作といわれ、寄木造り 御詠歌:苔むしろ 敷きてもとまれ岩の上 玉のうてなも朽ちはつる身を 寺名の通り、荒川河岸の崖上にある寺で、江戸時代前期に再建された。観音堂はこんもり茂った木々の中にあり、宝形造りのシンプルな建物である。久しぶりに、雨の中を女子小学生を連れたお爺さんの参拝客に出会った。一緒に読経を行った。大変ほほえましい光景であった。
岩之上堂参道 観音堂 ◆二十番・岩之上堂 から 二十一番・観音寺へ (am11:40〜11:55 徒歩0.9km) 二十番・岩之上堂から坂道を上がって林の中の1本道を進み、「右二十一番」の道標で右折すると直ぐ観音寺に着いた。晴れた日には武甲山が良く見えるはずであるが、今日は雨天で見えず、残念である。 ■<二十一番> 要光山 観音寺 真言宗豊山派 御本尊:聖観音菩薩 身の丈30cm 「火伏せ観音」と言われている。 御詠歌:あずさ弓 射る矢の堂に詣で来て 願いし法のあたるうれしさ 山門も水屋も鐘楼も掘りもなく、寄棟の屋根に起りの向拝を付けた観音堂だけがある。火災で焼け、大正十三年に再建された。参拝者は一人もいない。 観音寺観音堂 ◆二十一番・観音寺 から 二十二番・童子堂へ ( pm12:05〜12:25 徒歩1.4km) 二十一番・観音寺を出て、交通量の多い県道の歩道をまっ直ぐ進む。道の両側にはイチゴ、ブドウの果樹園が多い田園地帯である。札所二十二番の道標により右に入り、細い道を進み小川を渡って300m進むと、二十二番・童子堂に着く。 ■<二十二番> 華台山 童子堂 真言宗豊山派 御本尊:聖観音菩薩 立像で弘法大師の作と言われている。 御詠歌:極楽を ここで見つけて笑う堂 後の世までも たのもしきかな 茅葺の山門で合掌一礼、左右には素朴な金剛力士が安置されている。この荒削りな童子仁王の無邪気な温かい姿より寺名となったと言われる。前に進むと、宝形屋根のこじんまり観音堂に着いた。参拝を済ませて納経所に行くも、誰もいない。呼び鈴で呼び出した女性から納経の墨書と朱印を頂いた。この女性より「雨の中、御苦労さまです。お茶でも飲んでいきませんか」と声をかけられ、お茶と漬物の接待を受けて大変うれしかった。
童子堂山門 観音堂 ◆二十二番・童子堂 から 二十三番・音楽寺へ (pm12:35〜12:55 徒歩1.4km) 二十二番・童子堂から県道をまたぎ、「札所二十三番登り口」の道標に従って杉林の中のハイキングコースを登る。車道から巡礼道に入り、段々急坂になる。巡礼杖の助けを借りて10分程登ると、二十三番・音楽寺の参道となる。両側に4軒程食堂と土産店があった。 ■<二十三番> 松風山 音楽寺 臨済宗南禅寺派 御本尊:聖観音菩薩 身の丈74.2cm 室町期の慈覚大師の作と言われている。 御詠歌:音楽のみ声なりける小鹿坂の 調べにかよう峰の松風 観音堂は朱塗りの廻り縁があり、柱台の上に設置されている。大きな宝形造りの屋根で、下に吹き抜けの礼堂になった特徴のある造営となっており、江戸時代の建造と言われている。尚、観音堂の裏手の奥山に十三体の地蔵石仏がある。これはこの札所を開いた13人の聖者がこの山の松風の音を菩薩の音楽と聞いたことから、寺名及び御詠歌になっている。5人の参拝客に会って、お互いに雨の中の参拝に労をねぎらい合った。
音楽寺観音堂 ポスターが奉納された掲示板 ◆二十三番・音楽寺 から 二十四・番法楽寺へ (pm1:05〜1:55 徒歩3,5km) 12時も過ぎていたが、参道の食堂は閉店中で、やむを得ず来た道を県道まで下り、しばらく車に注意をしながら道なりに進む。途中で「道産子ラーメン店」に入り、ラーメンとビールを頼んで昼食をとる。菅傘を取り、リュックを下して雨具を脱ぎ、しばしの休憩である。20分程で昼食を済ませ、また県道を約1km進んで、二十四番・法泉寺に到着した。 ■<二十四番> 光智山 法泉寺 臨済宗南禅寺派 御本尊:聖観音菩薩 身の丈25cm 1木造り座像 御詠歌:天てらす 神の母 その色変えて なおも降りぬる 雪の白山 県道から入って、116段の石段を上って行くと本堂(観音堂)に至る。登った先の境内は意外に狭く、観音堂のほか水屋と六地蔵と観音石仏と納経所のみで、全体が木立ちに包まれた閑静な寺院である。観音堂は周囲に廻縁を巡らした宝形造りの建物で、方三間の正面の三間の内、左右の部分を壁で仕切り、前面に格子窓を付け、内部に金剛力士像を安置したところが特徴的である。即ち観音堂が山門を兼ねた珍しい構造になっている。縁起によると、養老7年(723年)越前の泰澄大師がこの地で夢のお告げを受け、加賀から白山を勧請し、白山観音を安置したことから始まる。中世では白山修験者の拠点だったが、明治に修験道廃止令で臨済宗の寺になり、現在に至っている。昼食後でゆっくり参拝できた。 ◆二十四番・法泉寺 から 二十五番・久昌寺へ (pm2:05〜2:50 徒歩8km) 二十四番・法泉寺の前の県道を道なりに約1km進むと突き当たる。ここを巴川橋と反対方向に進むと、今夜の宿泊旅館「巴川荘」に到着した。宿でリュックを預けて、また雨の中を一面に広がる畑に民家が点在する静かな道を進むと「二十五番入口」の道標があった。ここで細道に入ると、すぐ二十五番・久昌寺に着いた。 ■<二十五番> 岩谷山 久昌寺 曹洞宗 御本尊:聖観音菩薩 室町期の行基作と言われている。 御詠歌:まなかみは いずくになるらん岩谷堂 旭も久那く夕日輝く 山門は左右に金剛力士を配置した仁王門で、周囲は木々の緑と朱塗り門で鮮やかである。ここから50m程進んで観音堂に着く。観音堂は宝形のこじんまりしたお堂で、享保5年(1721年)建立。無住の寺で、ローソクや線香立てもなく、参拝客もいない。一人で参拝し、坂を上がって弁天池の横を通り、納経所のある寺で墨書と朱印を頂いた。
観音堂 弁天池 ◆二十五番・久昌寺 から 今夜の宿「巴川荘」へ (pm3:00〜3:20 徒歩1.5km) 今夜宿泊する旅館「巴川荘」へは、来た道を戻り20分で着く。早速、濡れた靴には新聞紙を詰め、水分の吸収を行う。また濡れた衣類は全部着替え、宿の若主人と自家用車で街のコインランドリーへ洗濯に行き、1時間程で洗濯完了。後はゆっくり温泉に入り、疲れを癒した。夜の食事時には、若主人と秩父観音霊場巡礼の談義を行う。この旅館には葛飾北斎の描いた江戸時代の秩父観音霊場巡礼浮世絵(コピー)があり、これを見せて頂きながら、楽しく昔の巡礼について語り合った。翌朝までに温泉に3回入浴した。 |
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