このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鹿島鉄道

消え行くローカル線(その2)

 長年、廃線か否かが論議されていた「鹿島鉄道」(通称かしてつ)(関東鉄道鹿島線)も平成19年3月で廃線が決まりました。

一度は、乗ってみたい路線でもあったので年の暮れのある日、思い立って出かけてみました。

この路線も地図に書いたように、日立—大田間の日立電鉄と良く似た路線です。

鉾田市は太平洋に近い町で、水戸ー鹿嶋市間は長年の念願であった鉄道が開通した頃にはすでに道路交通が発達し、JRではなく「鹿島臨海鉄道」と言う第三セクターになってしまいました。この路線は、設備は立派ですが昇降客は極めて少ないのが現状です。

 

鹿島鉄道路線図

 JR石岡駅を降りると、「湊線」と同じくJRと並行して鹿島鉄道石岡駅があります。殆どの列車(と言っても一両編成)は、途中の常陸小川駅までです。まずはここまで乗ってみました。

 払い下げで入手したのでしょう、色々な気動車を使っています。しかし、枕木はコンクリート製で途中駅もそれなりに立派です。霞ヶ浦湖畔までは、長い直線区間が幾つかあります。

 

石岡駅(5番ホームである)             途中駅(線路は一直線)

 

 常陸小川駅(高校通の自転車が多い)        駅構内にあった気動車

 常陸小川駅を過ぎると霞ヶ浦と湖岸の田圃の間に小川高校前という駅があります。

駅の風除けには高校生達が書いたエールがありました。皆、存続を願っているのです。

 

     小川高校前駅(この向こうは霞ヶ浦)

 

    高校前付近を走るかしてつ

この先の玉造の辺りは古代には霞ヶ浦に流れこむ谷津を開拓して稲作を始めたという記録が常陸風土記にも残っています。

縄文時代の温暖期に水位ははるかに高かったのが、その後、水位が低下し、稲作に適した土地が広がっていたのでしょう。

この辺から鹿島地方まで、東国の経済力の中心であり、東北の蝦夷地の経営の為の食料や兵員の供給、鹿島立ちと言われる防人などの兵員の供給源としての役目を果たしていたのでしょう。

 そして、その経済力をバックにして、ここもまた、勝田や石岡周辺と同じく前方後円墳が幾つもあり、そのひとつ三昧塚古墳を再現してありました。この古墳の建造は5世紀後半と言うことで、勝田の虎塚古墳よりは100年近く早く作られたようで、常陸の国の開拓が年とともに北に進んでいることがわかります。

 

    再建?された三昧塚古墳

 少し進んで桃浦という辺りで湖畔に出ました。ここは茨城百景のひとつとなっています。

しかし、霞ヶ浦の湖畔は、湖面の水位変化から湖畔の田圃を守るため護岸工事をしてしまい、浜名湖や琵琶湖の如き葦原や砂浜といった景観は無くなってしまいました。

わずかに、写真を撮った辺りが葦原が残っており、景観を保護しようという運動がされているようです。

 

 霞ヶ浦と筑波山(中央、曇っていて良く見えないのが残念)

             

 茨城百景の碑                                桃浦駅

 

湖岸を走るかしてつ

 かしてつは、玉造町駅近くまで湖岸を走ります。

桃浦から湖岸の堤防の上を10km位歩くと土浦への対岸に渡る霞ヶ浦大橋に着きます。堤防から見る風景はあまり変化がありません。

折角、堤防を作り排水ポンプを設け、内側の田圃を水位の変化から守るようにしたものの、農家が耕作を止めたのでしょう、昔は湖岸に生えていたであろう葦が堤防の内側の田圃に生えています。ここが小鳥達の住処となっています。

 ところどころに「水神宮」と言う結構立派な鳥居と社があります。

小生の田舎でも那珂川の堤防に水神様と言う小さな祠があり、祖父が季節季節に注連縄を張り、供え物をしていたのを思い出しました。

    

 振り返って見た霞ヶ浦                            水神宮のひとつ

 

 まだ行き先は遠いーー遠くに見える霞ヶ浦大橋

 霞ヶ浦大橋には、「霞ヶ浦ふれあいランド」が有り展望台もあり、ここで休めるとコンクリートの上を歩いて、ガタが来つつある足を運んだのですが、今日は休みでした。

 腹も減りました。仕方がないので、ここの「道の駅たまつくり」で饅頭とジュースを買い、大型店が立ち並ぶ国道354号と353号の交差点まで歩き、昼食を食い、玉造町へと歩きます。
 街中は、郊外にできた大型店に客を取られ、全く活気がありませんでした。

    

   玉造町の様子                                       玉造駅



駅と入線中の気動車

 ここから、鉾田に向かって再びかしてつに乗ります。玉造と鉾田の間は霞ヶ浦と北浦の間の台地で林や切通しを通る人気の少ない路線です。

二つ手前のともえがわ駅辺りから北浦側の谷津に入り、ひとつ手前のさかと駅で降りました。ここにある「ほっとパーク鉾田」という温泉に入るためです。

一緒に降りた80過ぎのおばあさんに道を聞くと同じ方向に行くというので、色々と話しをしながら歩きました。「私も、長年、この電車に乗ってきた。年寄りには、時間が正確で待つ場所もある鉄道の方がよっぽどいいんだがね〜」とため息をついています。

 一休みして鉾田駅まで数km歩きます。鉾田駅は、交通の要所となっており、バスの発着もここからなされています。

     

  鉾田駅                                       新鉾田駅

鉾田駅前を通り、鹿島臨海鉄道の新鉾田駅まで1km位でしょうか。こちらは新しいだけあって高架の立派な駅と路線です。

 

  鹿島臨海鉄道(水戸近くの高架線路)

 午後もだいぶ回って水戸に戻りました。

全てのローカル線は消えていく運命にあるのでしょうか

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください