このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 涸沼、大洗の散策{鹿島臨海鉄道(その2)}

 鹿島臨海鉄道に乗るだけでは面白くないので、今まで行っていなかった水戸八景の残りも含め、大洗、涸沼周辺を散策しました。

 

 今回のドライブルート

家を出て、国道6号を水戸に向かい、途中、原子力研究所)の横を抜けて349号で、那珂川万代橋の手前まで行きます。

ここから横に下りると、徳川斉昭が定めた水戸八景の一つ「青柳夜雨」の碑があります。

この辺は、高校に通っていた頃には、一面の田圃で耕地整理もされていないので、小場江からの水が引かれ、用水の横には柳なども有り青柳の地名にふさわしい土地でした。しかし、今は宅地などとなって面影は無くなって来ています。また、水戸の町もこの辺からは全く見えなかったが、今は、高い美術館の建物などが見え、川向こうの景色もすっかり変わってしまいました。

   

水戸八景「青柳夜雨」の碑                    ここから見た水戸の風景

 那珂川に沿って、更に下流に行くとようやく昔の面影が窺える水田地帯も残り、更に進むとJR水郡線「青柳」駅ですが、周囲が住宅地になったためか、昇降客も多いようです。

   

水田風景                            JR水郡線「青柳駅」(水戸の次の駅です)

 ここから勝田橋を渡り、鹿島臨海鉄道「南水戸」駅を通ります。

この一帯は、元は常澄村で今は水戸市となっているが耕地整理された大規模な水田地帯となっています。昔なら、水田の横に用水路があったであろうが、今は給水孔から水を出しているので、蛙の鳴き声も少なくなってしまいました。

 

田の水の取り入れ口(昔泥鰌を取った用水など有りません)と高架を走る臨海鉄道気動車

 ここから、鉄道と分かれて涸沼に向かいます。

涸沼川に連なる涸沼の北岸は、昔から漁業が盛んなところで、船宿なども多く。昭和40年代頃までは会社の課会など、泊まりこみではぜ釣りなどにも行ったものであす。

今でも、釣り人が居るので、何が釣れるか聞いて見ると「シーバス」などと言っていました。名物の蜆を取っている漁夫もいました。7時頃出て10時過ぎに上がって来るそうです。

南岸などはかなり護岸工事がされて葦原なども無くなっているので、はぜなども減ったのでしょう。

 

湖岸の神社となにやら怪しげな蛇の祠

          

蜆取りの漁師                     広浦秋月の碑

 

 北岸のこの辺りは広浦と言い、昔の面影もかなり残り、公園とキャンプ場になって居て水戸八景「広浦秋月」の碑のあるところです。振り返ると筑波山も見えます。

 

広浦の景色

筑波山方向

ここを過ぎて北岸を西に向かい、茨城町に入り、親沢公園を過ぎ、涸沼川(涸沼川の涸沼に入る方)を渡り南岸側に入ります。

ここには、次のような昔話があって、それを聞いた水戸光圀の歌碑があります。

昔、一人の老人がここに住んでおり、子供がいなかっので、ここにあった一つ葉の松を子供がわりに、大事に育てていたそうです。
これを村の人々は「親沢の一つ松」と呼んでいたが、その後枯れてしまい野生の松をこの地に植えて後世に伝えたそうです。
歌碑には、「子を思ふ涙ひぬまの一つ松 波にゆられて幾代へぬらむ」と刻まれています

     

親沢公園から鉾田方向を見る                      光圀の歌碑

ここで少し台地を登って51号線の方に向かうと「鹿島旭」駅です。この一帯は、「メロン」で有名で至る所、ビニールハウスでメロンを栽培しています。

この駅も無人駅です。

 

鹿島旭駅の陸橋から(メロンのハウスが一杯)

ここを過ぎて、鉄道に沿って「涸沼」駅に向かいます。売店があり、おばさんが一人。ここでアイス等食って一休み。

 

涸沼駅

 そして、涸沼の岸まで行き、大洗に向かいます。ここからは筑波山が良く見えました。

 

湖岸から見る筑波山

涸沼川の下流に沿って進むとここにも、釣り人が居ます。戻ればよいのに、田の中の狭い農道を進んだのですが、道の中央は雑草が茂り、車の底を擦って大変でした。時間は丁度昼過ぎとなり、「大洗」駅に1時前につきました。

   

涸沼川河口近く                             大洗駅

ここで時刻表を調べ、気動車に乗ることにして、13:33発で次の涸沼駅まで行き、13:50の涸沼駅発で帰ってきました。「大洗」は臨海鉄道本社があり、学生など昇降客も多い。駅前ではタクシーが客待ちをしており、本格的な駅です。

 「大洗」−「ひぬま」はこの路線で唯一、トンネルのある区間でもあります。この辺りは、さつまいもの植え付けで、黒いビニールシートで苗を植えつけていました。

 

さつまいもの植え付け

 大洗に戻って、車に乗り、大洗海岸に向かい、マリーンタワーに登ってみました。このタワー高さが60mありすぐ目の前のフェリー港から、はるか彼方の鹿島灘まで良く見えます。フェリーを見ているとまた北海道に行きたくなりました。

 

大洗マリーンタワー

   

目の下のフェリー港                       遠く鹿島臨海工業地帯まで見える

ここの喫茶で、コーヒーなど飲み、降りると目の前が「ゆっくら健康館」という町営の温泉設備です。ここにゆっくら(茨城弁=ゆっくらすっぺよなどと言う)と入り、疲れを癒しました。

 

ゆっくら健康館

ここから海岸通を行くと、大洗のホテルや温泉宿があり、その手前から、大洗磯前神社に入ります。ここは、那珂川を渡った先の平磯酒列磯前神社と同じく、大国主命少名彦命が祭神です。

神社は、すぐ前の急な階段を下ると大洗の海岸でそこに一の鳥居が岩の上にありますが、途中を道路が横切り、横断歩道も無く、真直ぐ降りていくことが出来ず、少しとこの狭い階段から降りていくところが残念です。鳥居の周辺は礫岩の岩場で、波が砕け散るさまは、「波の花散る大洗」と歌に歌われたさまを良く表しています。

   

大洗酒列神社社殿                               本殿

      

奉納された錨(漁業の町であった印)                           波の花散る大洗

そして、大洗ゴルフ場の横を進むと、最後の目的地である願入寺と近くの水戸八景「岩船夕照」です。

願入寺浄土宗系親鸞上人の孫の如信上人の開基で、水戸光圀が伽藍を寄贈したとのこと。ここのは東日本最大といわれ、鐘楼を作るのは金がかかると見えて、鉄骨を組んで吊るしてあります。

   

願入寺山門                            願入寺

   

鉄骨でつるした大鐘                          光圀手植えの銀杏

この寺の裏をしばらく行き坂を少し下ると、涸沼川那珂川の合流点で、ここが「岩船夕照」です。昔なら造船所も無く、河口の形も違っていて、まさに絶景であったろうと思われました。

   

岩船夕照の碑                           那珂川との合流点を望む

 これで予定を終了。家に帰ると4時過ぎとなりました。

今回で、鹿島臨海鉄道のいくつかの途中駅の様子を知ることが出来ました。また、自分の目で「水戸八景」のすべてを見ることが出来ました。江戸時代の風景は、どんなものだったのでしょうか?

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください