このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
雨引観音
小山に抜ける国道50号線の笠間の先から真壁方面に下る途中の山中にあります。土浦で昔の仲間と会って懇親会、翌日ゴルフと言うので、ここに立ち寄りました。
今は、北関東自動車道ができ、笠間筑西ICからさほど遠くなく行くには、非常に便利になりました。
「寺の由来」(HPより抜粋)
雨引観音は雨引山楽法寺と言い、587年梁の国人の法輪独守居士によって開かれた。
延命観世音菩薩(国指定重要文化財)を本尊と坂東観音霊場第二十四番札所の名刹。
推古天皇がご病気の時、当山観世音菩薩に病気平癒を祈らせ本復したので、ここを勅願寺と定め、聖武天皇、光明皇后は法華経を書写して当山に奉納しご安産を祈念し功験あらたかであったので、安産祈願の根本道場と定めて勅願寺として、三重塔を造建した。現在、光明皇后の紺紙金泥の法華経が什宝として保存されている。
嵯峨天皇の(821)夏、大旱魃あり、天皇は親ら写経し当山に納めて降雨を祈念したところ(天皇の御染筆は寺宝として現存)国中は大雨に潤い五穀が実ったので勅命によって当山の山号を雨引山と定め勅額をくだし賜ったとのこと。
雨引山楽法寺の山号寺名はこの勅命による。
雨引山全景(HP)
明治の神仏分離令(太政官布告)に際しても、第二十七世聖元、二十八世聖深、二十九世聖衡等の名僧が輩出しこの危期を見事乗り切ることが出来た。
そして、彼等の努力により、旧幕時代に勝る「庶民の観音信仰」の 布及定着を計り各地に講社が出来、参詣者が増加したことは、特筆すべきことであると言われています。
「一に安産 二に子育よ、三に桜の楽法寺」
と俚謡に詠われているように、安産子育祈願の寺として庶民信仰の中に深く定着したとのこと。
近年、雨引山楽法寺付近が国定公園地帯に指定され、北関東自動車道が出来、県道が観音堂の真下まで整備され、東京方面よりの行楽客が増え境内の一角に「センターあまびき」が開業する等、雨引山一円は信仰と行楽の地となった。
春は桜・牡丹・つつじ。初夏萌え出る新緑。さみだれの6月には三千株の「アジサイ」。秋は満山の紅葉が楽しめるとのこと。
と言うことで、ここの現在の貫主もなかなかのやり手のようで、寺のホームページの「貫主のおはなし」という項も中々面白く書いてあります。
「雨引観音の公式ホームページ」
http://www.amabiki.or.jp/
門前の辺りは、地元の果物など売る土産物屋などもあるが、いわゆる門前町という形は無く、週日だということもあり、駐車場も比較的空いていました。
駐車場から山門へ 山門
仁王門への石段 経堂の辺り
本堂の前 本堂
本堂のあたりのアジサイ 多宝塔の記念写真ポイント
宿椎という名の巨大な椎の木 本堂の屋根の孔雀
季節は丁度アジサイの花が咲き、山門からの石段の両側はアジサイが綺麗でした。
寺に高台からは筑波山なども見える。境内には、飼っていたのが逃げ出したのだという孔雀がいて、屋根の上などを歩いています。
遠く筑波山
寺から戻り、県道を下ると真壁の町(今は桜川市)に出るが、ここも古い町です。
一度行きましたが車で回るのには駐車場など苦労します。自転車を積んでいくのが良いだろうと思いました。今回は、筑波山と加波山の間を抜けて石岡に出ました。
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