このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
関東平野の名山——筑波山
秋の好天、一路、筑波山へ。常磐高速を快調に進み、石岡千代田ICへ。ETC割引で儲かった気分。
秋景色の筑波山
ここから、NAVIの言うとおりに進むと例によってとんでもない道に案内してくれた。
落石が沢山あり、狭いでこぼこのダート道の場所を選んでのぼり、やっと有料道路の入り口の交差点。ここから筑波山神社の方に少し下って到着。(と言っても中腹です)
筑波山は、関東平野の真ん中にあるため、何処からでも良く見えます。
二つの峰からなり、男体山(871m)女体山(877m)です。日本百名山の中で最も標高が低いとか?(なぜ、高い方が女体山なんだ?)
山腹から見た関東平野と富士山
筑波山神社は、古くからの山岳信仰の神社です。その起源は、今の由来書よりもっと以前からのものと思われます。
関東平野の中で、西の子貝川、東の那珂川までの間の地方は、石岡を中心に霞ヶ浦、北浦、涸沼の湖沼といくつかの比較的小さい川から構成されたなだらかな平野です。
豊葦原瑞穂の国というにふさわしい土地でした。
弥生時代にこの地に来た人々は、筑波山を上山と崇めたに違いありません。
そして、大和の時代以来、延喜式内神社として、男体山にいさなぎ尊、女体山にいざなみ尊を祭る本殿を置き、拝殿をここの中腹に置き、遥拝したのです。
おそらく、縄文時代にも、筑波山は神格化されていたのでしょう。
しかし、江戸時代は例によって神仏混交、明治には廃仏毀釈で今の姿になったのです。江戸時代の拝殿の形は図のようなもので、随身門は仁王門、三重塔なども有ったのです。
昔の拝殿周辺
拝殿への鳥居 (上の絵図ではない) 家光が寄進したという神橋
随神門(仁王門) 拝殿
ここからすぐ奥がケーブルの乗り場で、関東では箱根についで古いものとか説明していました。全長1600m、標高差500mだそうです。
男体山のケーブル
女体山にはロープウエイがあり、こちらからだと空中からの景観が素晴しいので、初めての人にはこちらの方がいいでしょう。
山頂駅の横は開けていて、土産物屋なども有り、北側からは雪をかぶった、那須や日光の連山が見えます。
日光(左)と那須(右)方面
ここから男体山本殿に登りますが、かなり険しい道です。山頂付近からの眺めも、女体山側よりは範囲が狭くなります。
山頂付近からの眺望(土浦、霞ヶ浦方向)
男体山を下り、次は女体山です。女体山のロープウエイからの道には、昔は弁慶茶屋が有り、弁慶の七戻り岩、など修験道好みの難所が続き、最後は鎖道を伝って頂上まで進んだようですが、今は、最後の所は昇降禁止のようです。
男体山側からの道には、がま石と言うのが有ります。口に当たるところに沢山の小石が乗っていて、ここに乗せると縁起がいいんだよと、通ったおばさんが言っていました。
男体山本殿 がま石
女体山本殿 女体山山頂にて
山中からの写真は、折角撮ってもらっても天気のよいときの逆光はこんなもの。
山を下ると、昼、少し前。青木屋という旅館の日帰り温泉は前にも行ったことがあり、ここの露天風呂からの景色も素晴しいので今回も、ここで休みました。
青木屋の露天風呂
ゆっくりと温泉に入り、昼飯を済ませ、次の目的地の峰寺山西光院へ向かいます。
NAVIいわく、「ここを進め」標識いわく「小型車しか通れません」、幅1.9mと書いてあるので問題ないだろうと進むと、この程度の道は今までも何回も通ったことがある。
上ってくる時のほうがよほど大変でした。
西光院はつくば市のとなりの石岡市にあり、山一つ隔てた辺りです。
下まで降りて進んでいくと山の中腹にはっきりとすがたがみえます。
山腹に見える西光院
古い寺であることは確かだが、例によって大同年間に開基されたと言う。法相宗から真言宗、現在は天台宗の寺です。
本堂に入り口に立木観音(十一面観音)が有り、一木に彫った背の高いもの。
そして、本堂は、自然石を掘った観音像にかぶせるように作られています。したがって、後ろは、岩のところに合わせて壁があり、前面は懸崖つくりとなっています。
そして東の清水寺だと言われています。確かに遠景などは清水より良いかも知れません。
立木十一面観音像 懸崖造りの本堂
これで本日の旅は終わり、笠間方面に抜けて、高速で帰ってきました。
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