このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
東海十二景(その1)
東海村に在るJ−PARC(日本陽子加速器研究機構)の公開見学会が行われ、東海村も協賛して、パンフレットなどを配っていた・
貰ったパンフレットの中に、「東海十二景」と言うのがあった。これより少し前、家の周りを散歩するだけでは面白くないと、久慈川の東海村側の河口に行った時、ここに「東海十二景:久慈川河口緑波」という碑があって、何かなと思った。
このパンフレットを見ると、平成2年に東海村発足35年を記念して決めたものだと言う。
名称など、「水戸八景」などと似た感じである。しかし、決めたのが新しく、逆に今見ても決めた時点とあまり面影が変らないだろうと思い、回ってみることにした。
「水戸八景」など有名だが、江戸の昔の面影がほとんど残っていない所が多いが、逆に名前と実態が一致しているだろうと思ったのである。
以前自転車で、久慈川の近くを中心に走った記録もHPに「東海村を自転車で」と言う題名で載せたので、それも参照してください。
回ったルートを図に示しました。
東海村と東海十二景
「東海十二景」
1.稲荷社杉風
2.冨士社晩霞
3.石神城春草
4.願船寺晩鐘
5.久慈川河口緑波
6.白方溜螢影
7.阿漕ヶ浦夜桜
8.細浦青畝
9.村松晴嵐
10.如意輪寺秋月
11.真崎浦夕照
12.住吉社寒霜
東海村の概要
東海村は地図で分かるようにほぼ正方形に近い形をしている。
海岸側は、松林でその中にかくれるように、日本原電原子力発電所、日本原子力研究開発機構(いわゆる原研)の原子力科学研究所、核燃料サイクル工学研究所などがあり、その南に常陸那珂港北埠頭の常陸那珂火力発電所がある。これでわかるように村の財政はこれらの設備に大きく依存し、豊かである。(ちなみに、4期務めた県知事はここの出身!!)
北側の久慈川流域と、常陸那珂港北に流れ込んでいる新川などの流域は、水田地帯で、
東海駅を中心とする部分から南はひたちなか市や那珂市と繋がる台地となっている。
全国の村では、岩手県岩手郡滝沢村、沖縄県中頭郡読谷村に次いで3番目に人口が多い。茨城県内にある村は、本村と稲敷郡美浦村の2つのみです。
東海十二景(その1)
4.願船寺晩鐘
国道6号から進んで、久慈川の橋を渡り、右に下ると水田地帯です。ここの高台に願船寺がありました。寺の構えも中々のものです。
磐船寺参道 十二景碑
山門 本堂
古代より、住人もも多かったのでしょう、別当山古墳がすぐ傍にあります。
佐竹の時代は、この地方を支配していた小野崎氏の寺であったとか。早咲きのマンジュシャゲが咲き、下の田の稲の穂が実りつつあります。
大銀杏の根元のまんじゅしゃげ 前の稲田
3.石神城春草
ここから進むと石神城址ですが少し分かり難い所にあります。
戦国時代の古い城跡の姿がはっきり残っているのには驚きました。石垣は無く、堀は土濠ですが、結構な深さがあり、屋敷跡もはっきりしています。昔は、すぐ前の田の辺りに久慈川が蛇行していたようです。
堀跡 屋敷跡
城跡の外郭 十二景碑
この城は、佐竹時代、小野崎氏の居城でしたが、慶長7年佐竹氏の秋田移封で佐竹と共に秋田に移り廃城となったものです。
この季節、訪れる人も少なく、城跡は春草ならぬ夏草が生い茂っていました。しかし、虫取りの穴場なのでしょう。何組かの親子連れが来ていました。せみが今は盛りと鳴いています。
5.久慈川河口緑波
ここから台地と田の境を下って、国道245号にでて、久慈川の鉄橋の手前から堤防に沿って河口に向かうと、久慈川河口緑波です。ここは、小さな緑地が整備され、トイレなどもあって
それなりの設備となっています。海岸と松林に沿って砂の道を南下すると、原電東海原子力発電所の埠頭の傍まで行けますが、ここから先は進入禁止です。
河口近くには、たくさんの車が止まっており、サーフィンなどを楽しんでいる人たちが大勢居ました。
久慈川河口の公園と十二景碑 河口のサーフィン族の車
原電埠頭への海岸の道(先は行き止り)
この3箇所は、それぞれに特長があり、一度は言っても良いところです。その他、久慈川の近くの東海村側には、沈下橋を渡ったあたりの香取神社の周辺などタイムマシーンで昭和30年代に戻ったような趣のあるところもあります。この辺の香取神社、磐船神社などの神社も昔の鎮守の森をそのまま残しています。
香取神社 昔懐かしい煙草、塩などの看板のある田舎の店
磐船神社
今回は、大甕に最も近い所を回りました。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |