このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
六地蔵寺の枝垂桜
水戸に別件で行った帰り、時間があったので、旧常澄村の六地蔵寺のしだれ桜を見に行ってきました。
ここは、水戸から那珂川の対岸を下って、涸沼に至る途中の台地の上にあります。
涸沼の一帯は、縄文時代からの貝塚が多く点在し、当時の状況などを「大串貝塚ふれあい公園」の展示場で知ることが出来ます。
今回は時間があまり無く、貝塚遺跡など詳しく見ませんでしたが、これについては別途、行って見たいと思います。
ふれあい公園の桜(日が暮れてしまうので、一寸寄った)
気温が高かった縄文時代、海は内陸まで入り込んでいて、台地の下は、海でした。
この辺の風土は、「常陸風土記」にも書かれており、「ダイダラボウ」と言う巨人が住んでいたという伝説があります。その巨人が貝を取って食べた後が、大串貝塚だと言います。文献にでてくる貝塚としては最も古いものです。
縄文中期の涸沼周辺
この周辺は弥生時代から古墳時代の遺跡も多く、壁画で有名なひたちなか市の虎塚古墳などの遺跡、大洗神社などの神社があり、常陸風土記の記述に繋がっていくのでしょう。「アボッケ」などといういかにも蝦夷を思わせる地名もあります。
六地蔵寺に行く前に、近くの仏性寺に立ち寄りました。
ここも9世紀前半に慈覚大師が創建したと伝えられ、八角堂は重文となっています。14世紀ごろから何度かの火災に会い、規模が縮小されていったようです。
ここは銀杏が有名で桜はありません。
仏性寺山門 重文の八角堂
ここから、少し進むと六地蔵寺です。
創建は寛平3年(891)ごろといわれ、室町時代末期に建てられた四脚門は県指定文化財。水戸藩第2代藩主徳川光圀公(水戸黄門)ゆかりの寺で、境内に残る法宝蔵は光圀公が建立しました。典籍1975冊、文書479通は県指定文化財となっています。
また、樹齢170年の見事なシダレザクラは、
光圀公
が鑑賞した桜の子孫といわれており、桜の名所です。
こちらは、観光用の駐車場などが完備しており、観光客も大勢、来ています。
四脚門から境内を見る 本堂正面の枝垂桜
六地蔵 六地蔵と桜
本堂と桜
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