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前頭五枚目以内から十両に転落した力士一覧

栃司は最高地位からの陥落

平成2年9月場所、栃司の地位は西前頭二枚目で、左肘の軟骨が悪化したため休場し、軟骨除去の手術を受けた。それはいいが、次の11月場所の発表された番付を見てぶったまげた。幕内のどこにも自分の名前がない。よく見ると何と十両に落とされていたのである。この場所幕内、十両の出入りは、大関北天佑の引退、西前頭十二枚目で5勝10敗の多賀竜、西前頭十三枚目で1勝14敗の旭豪山2人が陥落、計3人の空席に対して、東十両筆頭で10勝5敗の久島海、東十両二枚目で10勝5敗の貴花田、西十両二枚目で11勝4敗、十両優勝の小城ノ花までは待ったなし、問題は西十両六枚目で11勝4敗、優勝同成績の琴の若を上げるか止めるか、で、上げるとするともう1人陥落させなければならないが、西前頭八枚目で、下から六枚目で6勝9敗の旭道山、東前頭七枚目、下から八枚目で5勝10敗の水戸泉、西前頭三枚目、下から十一枚目で3勝12敗の豊ノ海、と栃司の兼ね合いで栃司が貧乏くじを引かれたのである。

 元来、前頭五枚目以内の力士は三役候補扱い、いわゆる士官候補生で、特権を与え、全敗、または全休でも十両に落とさないという内規があった。これが明らかになったのは40年3月場所で、一月場所東前頭五枚目で1勝10敗4休の羽黒山を西十四枚目の幕尻に止め、東十両二枚目で9勝6敗の若鳴門を西筆頭に止めた事に対する記者団の質問に対して当時の時津風理事長が、こういう内規のあることを説明したのである。記者団もそんな内規があったことを知っていた人はほとんどいなかったそうだが、当然であろう。

 その後46年6月15日の緊急理事会で、当時の武蔵川理事長がいくつかの改革案を発表した中に、この内規の撤廃があった。従ってそれ以前は前頭五枚目以内の力士は絶対に十両に落ちなかったかというと、例外がたった一例だけあり、表を見るように四十四年十一月場所西五枚目の魁堽(正しくは土へんがない字)が4勝11敗で十両に落とされている。

前頭五枚目以内から十両に転落した力士一覧(昭和以後)

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場所力士名この場所の地位この場所の成績翌場所の地位
平成2年9月栃司西前頭二枚目15休東十両筆頭
昭和57年9月高望山西前頭三枚目3敗12休東十両二枚目
昭和58年1月騏ノ嵐西前頭三枚目15休東十両二枚目
昭和49年9月若獅子東前頭四枚目2勝13敗東十両筆頭
昭和54年9月麒麟児東前頭四枚目15休東十両二枚目
平成22年7月豪栄道東前頭四枚目15休(謹慎)東十両筆頭
平成27年5月千代鳳東前頭四枚目2敗13休東十両筆頭
昭和47年1月旭國西前頭四枚目1敗14休東十両筆頭
平成13年11月琴龍東前頭五枚目1勝1敗13休西十両筆頭
平成18年11月北勝力東前頭五枚目9敗6休東十両筆頭
平成22年5月岩木山東前頭五枚目15休東十両二枚目
平成22年7月豊ノ島東前頭五枚目15休(謹慎)西十両筆頭
平成24年1月豊真将東前頭五枚目15休東十両筆頭
平成28年1月大砂嵐東前頭五枚目15休東十両筆頭
昭和44年11月魁堽(正しくは土へんがない字)西前頭五枚目4勝11敗東十両筆頭
昭和49年5月鷲羽山西前頭五枚目2勝6敗7休東十両筆頭
昭和58年1月大錦西前頭五枚目1勝3敗11休西十両筆頭
昭和60年9月鳳凰西前頭五枚目4勝11敗東十両筆頭
平成22年7月雅山西前頭五枚目15休(謹慎)東十両二枚目
平成27年1月千代大龍西前頭五枚目1勝6敗8休西十両筆頭


本「戦後新入幕力士物語」より引用

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