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第1次大戦期
英国建造の輸出軍艦

第1章 戦艦・巡洋戦艦

●ブラジル戦艦 「リオ・デ・ジャネイロ」


元ブラジル戦艦「リオ・デ・ジャネイロ」。トルコ戦艦「スルタン・オスマン」として速力公試中の状況。

Design No.DLBVdQdEAmAsBeltBbtDeckCoalOil
Minas Geraes19,280500832124,000VTE12in×124.7in×229122800/2,305364
64328,0006009022Tu14in×106in×14121412,000/3,000
64427,0006009022Tu12in×126in×14121412,000/3,000
64530,0006209222Tu14in×126in×14121412,000/3,000
65331,000650922242,000Tu14in×126in×14121212,000/3,000600
4in×14
68219,350500842234,000VTE12in×104.7in×22991.5800/2,500
68427,750600902338,000Tu16in×86in×1410101.51,500/3,000
68531,230650922340,000Tu16in×106in×1410101.51,500/3,000
68630,500630922345,000Tu16in×89.4in×610101.52,000/3,000
6in×14
688Tu12in×124.7in×22
690Tu12in×144.7in×22
690A27,500631.590.52245,000Tu12in×146in×20/3,000500
Sultan Osman
(Agincourt)
27,528632892232,000Tu12in×146in×20991.51,500/3,000600

Design No.: 計画番号、特筆以外はアームストロング社を示す
D: 常備排水量 [T]
L: 垂線間長 [ft]
B: 幅[ft]
Vd: 計画速力 [kt]
Qd: 計画出力 [hp]、レシプロ機関は指示馬力ihp、タービン機関は軸馬力shpを示す
E: 主機形式、VTEは直立3段膨張、Tuは直結タービンを示す
Am: 主砲口径 [in]×門数
As: 副砲口径 [in]×門数
Belt: 水線装甲厚最大 [in]
Bbt: バーベット装甲厚最大 [in]
Deck: 甲板装甲厚最大 [in]
Coal: 石炭搭載量 [T]、通常/最大
Oil: 重油搭載量 [T]

<解説>
本艦は1906年11月、同国初のド級戦艦ミーナ・ジェライス級の3番艦として計画され、アームストロング社(以下、安社)に発注されましたが、列国海軍が超ド級戦艦へ移行するのに伴って計画が見直され、1910年5月に645案を基にした653案が提出されました。首尾砲塔はともに背負式、中央2砲塔は梯形配置でした。ちなみに、日本海軍で同時期に計画された戦艦A47案(30,000トン、14in砲12門、22ノット)と同規模で、中央2砲塔梯形配置も同様である点は興味が持たれます。
しかし、ブラジル海軍の腰が定まらず、同年末にはミーナ・ジェライス級の改良版である682案へと後退しました。これは12in連装砲塔5基中心線配置で、当時の独海軍主力艦が12in (30.5cm) 砲に統一されていたのに影響されたためと言われています。さらに翌年1月にかけて、684〜686案が提出されました。これらはいずれも主砲口径16in (40.6cm) で、計画通りであれば世界初の16in砲搭載の超ド級戦艦となるはずでした。このうち686案は9.4in (23.8cm) 連装砲塔3基を艦央に逆三角形(左右両舷+中心線)に配しており、準ド級戦艦の性格を併せ持つ超ド級戦艦でした。結局、予算上の問題と、12in砲弾流用の見地より、同砲を最大数備えた690案が考えられ、その副砲を6in (15.2cm) とした690A案が採用されて、ようやく1911年9月に起工されました。基本計画はミーナ・ジェライス級と同様、安社の造艦部門技師長ジョシア・ぺレットによるものです。
1912年頃、後述するチリ戦艦が14in (35.6cm) 砲を搭載することが判明したため、1913年末に本艦は建造中のままトルコに売却され、「スルタン・オスマン」として完成にこぎつけましたが、第1次大戦の勃発に伴って英海軍の接収するところとなり、英戦艦「エイジンコート」として1914年8月に竣工しました。
なお、ブラジル海軍は本艦の代替として後述のリアチュエロ級を安社に計画させましたが、起工に至らず、同国の主力艦はアルゼンチン・チリ両国に比べて大幅に見劣りするものとなったのは、確たる建造理念を欠いた同海軍の自業自得と言うべきものでしょう。


●ブラジル戦艦 リアチュエロ級

Design No.DLLoaBVdQdEAmAsBeltBbtDeckCoalOil
78130,5006209422.5Tu15in×86in×1413.5132/3,500700
4in×10
78234,2506707109622.5Tu15in×106in×1413.5132/4,000750
4in×10
A31,500685962345,000Tu14in×126in×1612/4,0001,000
B32,500689962445,000Tu15in×106in×1613/4,0001,000
C36,0007409842,000Tu16in×106in×20
D36,0007409834,000Tu15in×126in×20

Loa: 全長 [ft]
他は同上

<解説>
上記の背景によって、安社で計画されましたが、起工に至りませんでした。なお、781案と782案は同社の計画番号を付けていますが、A〜Dの4案はブラジル海軍の計画によるものと思われ、相互の時系列は不詳です。


●日本巡洋戦艦 「金剛」

Design No.DLBVdQdEAmAsBeltBbtDeckCoalOil
Ibuki14,63645075.421.521,600Tu12in×44.7in×14773/2,000218
8in×8
(Jane 1908)18,450545
(oa)
802544,000Tu12in×46in×8
10in×84in×10
X & Y
(Jane 1910)
18,650545
(oa)
802544,000Tu12in×106in×8
4.7in×10
636c20,0005758326Tu12in×86in×168811,000/2,500
Vickers
538
21,50058083Tu13.5in(?)×86in×12
4in×8
Lion26,27066088.52770,000Tu13.5in×84in×169921,000/3,5201,135
IJN B3929,000680952767,500Tu14in×86in×16890.751,100/
2877,700
IJN B4026,000650922765,000Tu14in×66in×16890.751,100/
2875,000
IJN B4125,000640902763,000Tu12in×66in×16890.751,100/
2874,700
IJN B4526,500655932765,500Tu12in×86in×16
2886,400(?)
IJN B4626,000650932765,000Tu12in×86in×16890.751,100/4,0001,000
Kongo
(B46)
27,500653.59227.564,000Tu14in×86in×168102.251,100/4,0001,000
Tiger28,10066090.52885,000Tu13.5in×86in×12993450/3,3203,480

<解説>
「金剛」は日本海軍初の超ド級巡洋戦艦として、安社とヴィッカーズ社(以下、毘社)に見積要求され、比較検討の結果後者に発注されたものです。当初は「伊吹」の拡大強化版の二巨砲混載型の装甲巡洋艦「伊号」として1906年に計画されました。当時の日本海軍は、英海軍における単一口径全巨砲型の装甲巡洋艦(=巡洋戦艦)の発達を横目でにらみつつ検討を重ねるかたわら、安社と毘社から試案のオファーを受けていました。
1909年末に着任した軍令部長の伊集院五郎と次長の藤井較一は、巡洋戦艦の整備をおし進め、艦政本部はこれを受けてB39案以下で50口径12in砲と45口径14in砲の双方を検討しました。タイプシップ(基本計画に際して相似拡大の算定基準となる設計検証済みの既存艦船)は、1909年9月起工、翌年8月進水の英巡洋戦艦「ライオン」と考えられます。軍令部と艦政本部の実務責任者が出席した1910年4月13日の諮問会議では50口径12in砲が圧倒的多数に支持され、同月18日の将官会議で同砲連装8門艦が承認されました。B46案は同年5月13日付のタイプ打ち文書に記され、50口径12in砲×12門搭載の戦艦A56案と並行して計画されたものです(平賀譲デジタルアーカイブに拠る)。
この決定に猛然と異議を唱えたのが駐英武官の加藤寛治中佐で、フィッシャーに直談判して50口径12in砲と45口径13.5in砲の試射データを入手した結果、前者の不成績が判明したため、一転して45口径14in砲が「金剛」に採用されました。なお、14in砲となっても計画番号はB46を踏襲しています。毘社との契約締結は1910年11月、起工は翌年1月でした。詳細設計は、毘社の造艦部門技師長T.G.オーエンス(のちのジョージ・サーストン卿)により行われましたが、毘社ではライオン級2番艦「プリンセス・ロイヤル」を1910年5月に起工しており、当然図面など設計情報一式を保有していましたので、参考になるところ大であったと考えられます。
ちなみに、英巡洋戦艦「タイガー」ですが、副砲を6inに強化し、上甲板の砲郭内に収めて後部上構を省略し、上部装甲重量の増大に対応して船体幅を「ライオン」より2ft広げています。なお、同艦は当初後部2砲塔を背負式とする計画のところ、「金剛」同様Y砲塔直後に後部水中発射管室を設けたことにより、前寄りとなった弾薬庫が前上がり傾斜の推進軸と干渉するのを避けるため、砲塔1基を缶室と機械室の間に移した結果、「金剛」と近似の外観となったものです。


●トルコ戦艦 レシャド・イ・ハミス級


元トルコ戦艦「レシャド5世→レシャディエ」。英戦艦「イリン」として速力公試中の状況。

Design No.DLBVdQdEAmAsBeltBbtDeckCoalOil
65516,6504508120Tu12in×86in×101093600/1,800
4in×10
65618,10046582Tu13.5in×86in×1010931,200/2,000
4in×10
65719,20050083Tu14in×86in×1010931,000/2,200
69919,50050084Tu12in×106in×8991.5
70018,80047085Tu13.5in×86in×16101
698A20,60051084Tu12in×106in×810
Orion22,20054588.52127,000Tu13.5in×104in×1612104900/3,300800
698C23,00052591.2521Tu13.5in×106in×1612103900/2,120636
Reshadieh
(Erin)
22,78052591.582126,500Tu13.5in×106in×1612103900/2,120710

<解説>
本級はトルコ海軍初のド級戦艦として、安社、毘社、ジョン・ブラウン社の3社連合が2隻受注したもので、基本計画は安社のぺレットにより取りまとめられました。トルコ海軍との交渉は安社を窓口としており、他2社からの試案提示は無かったものと考えられます。
1910年7月に提出された655〜657案は主砲12in〜14in (30.5〜35.6cm) 連装砲塔4基、1911年3月に提出された699案は主砲12in連装・3連装砲塔各2基でした。また、同年4月に提出された700案と698A案は副砲を砲郭(ケースメイト)でなく、連装砲として上甲板に配置した斬新な案でした。結局、1911年9月に提出されたオーソドックスな698C案が採用されましたが、これは英戦艦オライオン級をタイプシップとし、船体を同国の既存ドックに合わせて短縮し、幅を広げたもので、主砲は同様に13.5in (34.3cm) 連装砲塔5基を中心線上に配置し、缶室はオライオン級と同様、前中後の3室ながら、中央缶室の缶数を半減し、区画長を短縮していました。安社は1910年4月にオライオン級の2番艦「モナーク」を起工しており、当然設計情報一式を保有していました。ただし、副砲は6in単装砲16門を上甲板(船首楼内)の砲郭に配置するため、船首楼を4番(X)砲塔まで延長し、3番中央(Q)砲塔を上甲板から1層上げて船首楼甲板に配し、前檣は煤煙防止のため第1煙突の前方に置いていました。先述のブラジル戦艦や後述のチリ戦艦がやや軽防御・高速としているのに対し、本級の防御は同時期の英戦艦に準じており、21ノットの計画速力と併せて純戦艦の仕様となっていました。
トルコの経済的理由により、安社に発注の「レシャド・イ・ハミス」はキャンセルされ、毘社に発注の「レシャド5世」のみ建造されることとなり、兵装は安社、船体と機関は毘社が分担し、のち「レシャディエ」と改名されて完成にこぎつけましたが、やはり第1次大戦の勃発に伴って英海軍の接収するところとなり、英戦艦「イリン」として1914年8月に竣工しました。実運用での評価は、艦内が手狭かつ非衛生的であり、主砲(13.5in Special)も英海軍制式砲に比べると見劣りしたとされています。このためか、方位盤照準装置(ディレクター)の搭載も後回しにされ、ジャットランド海戦時にも前記「エイジンコート」とともに未搭載でした。
なお、「イリン」が毘社で建造されたため、通説では基本計画が同社のオーエンスによるものとされていますが、安社の記録によると上記のようになっています。


●チリ戦艦 アルミランテ・ラトーレ級


元チリ戦艦「アルミランテ・ラトーレ」。英戦艦「カナダ」として就役の状況。

Design No.DLBVdQdEAmAsBeltBbtDeckCoalOil
666 (A)24,7006108923Tu12in×104.7in×2091041,200/3,600500
669 (D)27,00062591.523Tu14in×106in×891041,200/3,600500
4.7in×12
670 (H)27,6006259223Tu14in×106in×1491041,200/3,600500
695 (E)25,4006169023Tu12in×104.7in×2091041,200/3,600500
696 (F)27,4006259223Tu14in×104.7in×2091041,200/3,600500
Almirante Latorre
(Canada)
28,6006259222.7537,000Tu14in×106in×1691041,200/4,000500

<解説>
本級はチリ海軍初のド級戦艦として、安社に2隻発注されたもので、基本計画はやはり安社のぺレットにより行われ、1911年4月に666, 669, 670, 695, 696案が提出されました。666案は英戦艦「ネプチューン」に類似の中央砲塔梯形・後部砲塔背負式配置、669案はその14in砲版、670案以降は連装砲塔5基中心線配置で、中央(Q)砲塔は670案が船首楼甲板配置、695案と696案が上甲板配置、副砲は670案がすべて上甲板(船首楼内)の砲郭に配置、695案と696案が上甲板と最上甲板の2段配置でした。
結局、696案が採用されて1912年5月に起工されましたが、チリ海軍が副砲を6in (15.2cm) に強化することを要求したため、喫水が6.5in (0.17m) 増大し、最大速力が1/4ノット低下しました。艦名は当初「ヴァルパライソ」で、進水前に「アルミランテ・ラトーレ」に改名されています。本艦も第1次大戦の勃発に伴って建造中に英海軍の接収するところとなり、英戦艦「カナダ」として1915年9月に竣工しました。主機は高圧タービンが衝動式のブラウン・カーチス・タービン(ジョン・ブラウン社製)、低圧タービンが反動式のパーソンズ・タービン(パーソンズ社製)でした。本艦は、第1次大戦終結後の1920年4月にチリに返還されています。
なお、2番艦「アルミランテ・コクレン」は1913年2月に起工されましたが、やはり建造中に英海軍に接収され、英空母「イーグル」として1918年6月に進水し、1920年4月に竣工しました。


●アルゼンチン戦艦 リヴァダヴィア級(参考)

Design No.DLBVdQdEAmAsBeltBbtDeckCoalOil
61027,5006109021Tu12in×126in×1210921,000/4,000260
4in×12
61124,5005509021Tu12in×106in×1210921,450/4,000240
4in×12
61225,5005709021Tu12in×126in×1210921,450/4,000
4in×12
62328,5005809421Tu12in×126in×12121221,800/4,500300
4in×12
Rivadavia27,94058598.322.540,000Tu12in×126in×121212/4,000600
4in×16

<解説>
本級はアルゼンチン海軍初のド級戦艦として、英(安、毘)、米(クランプ、ニューポート・ニューズ、フォアー・リヴァー)、独(ブローム・ウント・フォス)など15社の設計コンペとなったものです。安社では1909年10月に610〜612案、次いで623案が検討されました。611案は連装砲塔5基中心線配置、他の3案は中央砲塔梯形・前後砲塔背負式配置で、缶−機−缶の缶室分離配置を採用し、610案と611案は前部マストを籠マストとし、612案と623案は艦中央部に籠マスト1本を立てていました。
結局、フォアー・リヴァー社が契約に成功し、1番艦「リヴァダヴィア」を1910年5月に起工し、2番艦「モレノ」はニュー・ヨーク造船所で同年7月に起工され、それぞれ1914年12月と翌年3月に竣工しました。やはり缶室分離配置を採用し、要目は安社の623案に、外観は610案に近いものでした。


<主要参考文献>
 Conway's All the World's Fighting Ships 1906 - 1921. Conway, UK, 1985
 R. Burt, British Battleships of World War I.. Arms and Armour, UK, 1986
 K. McBride, Super-Dreadnoughts: the Orion Battleship Family. (Warship 1993) Conway, UK. 1993
 P. Brook, Armstrongs' Unbuilt Warships. (Warship 1997-1998) Conway, UK, 1997
 P. Brook, Warships for Export, Armstrong Warships 1867-1927. World Ship Society, UK, 1999
 

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