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FAQ(よくある質問)コーナー(2)

英国蒸機に関して、よくあるご質問にお答えします。


Q.1
英国の蒸気機関車の写真を見ると、発電機やコンプレッサの搭載位置が良く判りませんが? (大塚 集一氏)
A.1
一部の例外を除いて装備されてないので当然です。
トンプソン・パシフィック (LNER) の先台車の車軸発電機や、ペパーコーン・パシフィック(同)の左側ランボード上のタービン発電機はその例外に属するものです。
鉄道車両は一般的に制動距離が長く、前照灯の照射範囲内では低速以外まず止まれませんが、閉塞信号を始めとする地上の保安設備が万全であれば前照灯が無くとも差し支えないわけで、英国蒸機は標識灯だけで夜間も高速運行してました。
コンプレッサ(空気ブレーキ用)が付いていたものも皆無ではありませんが、4大私鉄に統合されて以後、真空ブレーキへの改装が進むにつれて取り外したもの(旧NER機、旧GER機など)が結構有ります。
戦後にタイン・ドック〜コンセット間の鉱石運搬列車に使うホッパ車が扉の開閉を空圧式としたため、左側ボイラ横に単式コンプレッサ2基を付けた英国鉄標準型の9F(2-10-0)が数両有りましたが、これとてもブレーキは真空式(機関車はこれと連動/単独使用のいずれも可能な蒸気ブレーキ)です。


旧GER線用にウェスティングハウス式空気圧縮機を備えたLNER Class B17 4-6-0 "Naynham Hall" No.2811


Q.2
英国の蒸気機関車で、シリンダとコネクティングロッドが(外から)見えないものがありますね。
おそらく、フレームの内側に入っているのでしょうが,これに関して:
a) 重量バランスから言って横揺れに弱いということは無かったのでしょうか?
b) 点検およびメンテナンスは下部からやるしかないと思いますが,現場の抵抗ないし反発は無かったのでしょうか? (大塚 集一氏)
A.2
a) 内側シリンダ式は、(機関車中心軸から見た)車輪より外側の運動部分の重量が外側シリンダ式より小さいので、動揺はむしろ小さくなります。
b) これは当事者の英国人に聞いてみるしかないでしょうが、比較するものが身近に無ければ「こんなものさ」で納得してしまうでしょう。現に昭和30年頃まで日本の各家庭でも薪焚きかまどで三度三度の飯炊きをしてましたから。


Q.3
 英国には、所謂 Lima Super Power 的な発想の機関車、即ち Hudson, Birkshire, Northern といったタイプは存在しなかったような気がしますが、 これは正しいですか?(大塚 集一氏)
A.3
その通りで、テンダ機で2軸従台車の必要はまず有りませんでした。例外的に1両だけLNERにクラスW1が有り、これはもともとヤーロー式高圧水管ボイラを搭載するために従輪を2軸としていますが、2組の独立した1軸従台車(ラジアル式とビッセル式)を備えたもので、2軸従台車ではありませんでした。


ヤーロー式高圧水管ボイラ搭載のLNER Class W1 4-6-4 No.10000


Q.4
英国の本を見ると火室の狭い Ten Wheeler や Decapod が戦後になっても製造されていたように見受けられますが、理由は何なのでしょうか? (大塚 集一氏)
A.4
狭火室が多いのは、列車単位が小さいのと、石炭が全般に良質で発熱量が大きいためです。なお、英国のデカポッドは狭火室でなく、動輪群の上に置いた広火室です。


Q.5
英国の鉄道本 "LMS150" に 「LMS が Garratt を試した事があるが軸受に問題がありうまく行かなかった」と言う記述がありますが? (大塚 集一氏)
A.5
ご指摘のLMSガラットは、それまで0-6-0の重連で牽引していた旧MR線の1,200T石炭列車を単機で牽引するため、1927年ベイヤー・ピーコック社にまず3両発注し、試験の結果、翌年さらに30両増備したものです。このとき、ガラット式に豊富な経験を有するベイヤー・ピーコック社にフリー・ハンドを与えれば良かったのに、なまじ旧MRのプラクティスを押し付けたため、軸受面積が小さかったり、ハンプを越えるとき一部の車輪が浮き上がったりの不具合が有ったようです。それでも第2次大戦を生き延び、英国鉄標準型BR 9Fが増備された1955〜58年に廃車となったので、30年前後の寿命は有りました。


Q.6
前回ご教示頂いた様に、列車単位の比較的小さい英国では Mallet を始めとする連接型の需要は乏しかったのでしょうが、他に連接型を試した例はありますか? (大塚 集一氏)
A.6
標準軌間ではLNERに1両だけ3シリンダ式のガラットが有りました。


Q.7
英国は米国のように一体成型で台枠の精度を上げるようなことはやった事有るのですか? (古川 洋氏)
A.7
一体成型で上がるのはむしろ剛性のほうですが、英国は米国ほど鋳造が得意ではないので、主台枠を一体鋳造するのは稀だったようです。


Q.8
英国IAN ALLANの本によると、英国唯一のミカド機 LNERの重量級の急行旅客機6両は、1943年に大幅な改造により、全てがパシフィック型に改造されてしまったとあります。
その理由は曲線通過に難があったためと説明されていました。
ところで、対独戦が一番熾烈なこの時期に改造しなければならぬ程に、このミカド機(1軸先台車)は不具合だったのでしょうか。それとも、なにか別の理由があったのでしょうか?(大柳 啓吾氏)
A.8
お尋ねのLNERの重量急客用ミカドは、1934年に技師長H.N.グレズリーがエジンバラ〜アバディーン間の寝台急行牽引用として設計したクラスP2ですが、同鉄道にはこれ以前に試作的な重量貨物用ミカドのクラスP1が2両あり、「英国唯一のミカド」ではありませんでした。
P1 とP2との主な相違点は、火床面積が41.25平方フィート(3.83m2)から50平方フィート(4.65m2)に、シリンダが20"×26" (508mm×660mm)から21"×26"(533mm×660mm)に、動輪径が5'2"(1575mm)から6'2"(1880mm)に拡大されたこと、ならびに当時の最新とされる内的流線化(シャプロナイズ)、給水予熱器(トップナンバーのみ)、レンツ式ロータリーカム・ポペット弁装置(同)、流線形カバーといった新機軸の導入です。
グレズリーの基本方針はラージ・エンジン・ポリシーで、おまけに標準(系列)設計思想というよりは、必要に応じてその都度新形式を設計するという最適設計思想でした。このため彼の在任中(LNERの前身の一つGNR時代1911年から急逝する1941年まで)には例の連動式弁装置を備えた3シリンダ機を始めとする多くの形式が造られ、その中にはP1, P2両クラスのような少数形式が沢山含まれていました。
さて、P2は英国の小さな車両限界に抑えられて左右のシリンダ中心間隔を目一杯狭めたため、第1動輪に横動を与えることができず、固定軸距が19'6"(5944mm)もあったため、とかく主台枠亀裂や車軸発熱を生じ易い上に、戦時ともなると平時に意図された仕業にとどまることもできず、運用面の不便が指摘されていました。
グレズリーの後任は旧NERの技師長V.レィヴンの娘婿E.トンプソンで、前任者とは反りが合わず、長い間不遇をかこっていました。着任早々、経営陣から蒸機の稼働率向上を求められた彼は、前任者の残した「悪弊」を一掃すべく、標準(系列)設計思想と各個独立(3組)のワルシャート弁装置を導入しましたが、この一環で客貨両用(戦時中は純急客機の新製は不許可)のパシフィック(動輪径6'2")のプロトタイプを造る際に眼をつけられたのがP2でした。
こうして元の主台枠は短く切り詰められ、前の部分と新しいシリンダ、および2軸先台車が組み合わされていささか不恰好なパシフィックに生まれ変わったわけです。
少し長くなりましたが、まとめますと、1軸先台車よりも固定軸距が大なことと、少両数であったことに加え、人的な要因が存在したものと考えられます。


英国最初のミカドLNER Class P1 2-8-2 No.2393


数々の新機軸を備えたLNER Class P2 2-8-2 "COCK O' THE NORTH" No.2001


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