このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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廃校になって、もう38年なんですね。工場に使われていたにしても、先ず先ずの状態でしょうか。 ただ、校舎裏にある給食室は、もう屋根は崩れ落ちてめちゃくちゃです。 撮影に行った日は、地区のご老人たちが、ゲートボールを楽しんでおられ、色々と質問攻めに あいました。「何をしととるんじゃ?」「はい、少なくなってきた木造校舎を写しています」 「学校裏のわしの家も写してくれ、江戸時代の家じゃ!」。トタンは被せていましたが、 歴史を感じさせる、茅葺の民家でした。しかし、百姓をされていた年寄りの元気なこと。
※ 平成22年3月4日、T4さんより、平成21年12月に、校舎が解体されたとの情報をいただきました。 もうほとんどの方が中年以上とはいえ、訪ねるべき母校が無くなった卒業生が、またたくさん出来ましたね。 今度近くへ行ったら、解体後の様子も写してきて掲載しようと思います。
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