このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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豊平町立阿坂(あざか)小学校
(平成17年10月28日)

     以前ドライブしたとき、豊平の都志見付近で、廃校になった木造校舎が有ったのを思い出し、写しに行きましたが、          すでに取り壊されていました。仕方が無いので、他に無いかと豊平(現北広島町)町内を走り回って見つけました。  二階建ての校舎と体育館は荒れていますが、平屋の校舎は作業場か何かに使われているようです。 門柱には、大正四年と刻まれていますから、かなり古い歴史があったようです。        そして、最近見なくなった二宮金次郎さんの像がきれいに保存されていました。        昭和41年に近くの吉木小学校と統合され、豊平南小学校が新設されたそうです。      

平成22年5月30日、美土里町に花田植えを写しに行く際立ち寄ってみると、校舎が解体されて無くなっていました。 傷みが大きいようなので、そう遠くないうちにとは感じていましたが、他の校舎のことを思うと、とても焦りを感じます。

二階建て校舎も体育館も綺麗さっぱりと無くなっていました。近くの家の葬儀の手伝いをされていた方にうかがうと、2月ころに解体されたそうです。

  

戦後、日本の戦前の教育の多くが否定され、金次郎さんもその波を被ったのか新設の学校には見ることが出来ません。 戦後の民主主義教育に合わせるように、教育現場や国民の心が荒廃して来たように思えてなりません。 民主主義教育を否定しませんし、原因がそれだけではないのは分かっていますが、原因の一部であろうことは  確かだと思っています。 真の民主主義がどのようなものか、凡人の私には分かりませんが、         はき違えた民主主義は戦前戦中の、全体主義に通じるものが有るように思います。            

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