このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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戸河内町立猪山小学校(いのしやま)
撮影:H21.09.14 開校:M14.08.06 校舎落成:S34.11.03  閉校:H21.03.30  統合先:加計小学校  解体:平成21年秋から冬にかけて!
歴史は結構古くて、明治14年に猪山分教場として開校しています。本校は、もしかしたらもう少し奥にある平見谷小学校でしょうか。 大正4年11月11日に、猪山小学校として独立したそうです。近くには、1997年より休校中の 猪山中学校 があります。          戸河内町といっても結構広くて、「えっ!ここも戸河内町だったの?」といった場所に有ります。平成の大合併で、加計町と一緒に  なったため、一番近くにある加計小学校に統合されました。もし合併していなかったら、もう少し廃校が延びたのでしょうか。    それとも、やはり加計小学校に委託されたのでしょうか。それほど戸河内の街中からは離れた場所に有ります。          
※平成21年秋から冬にかけて解体されたとの情報を頂きました。閉校した年に即解体ですか。卒業生には、もう帰る学校がなくなりました。

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鋳銅製の表札です。学校は、中学校のある集落まで入れても、周囲に民家が50軒ほどしかないような小さな集落にあります。   それにしては大きな校舎なので、昭和の40年代頃までは、かなりの数の児童がいたのでしょう。運動場には、タイヤやジャングルジム、 ブランコなどの遊具が寂しく残されています。もう二度と使われることも無く、壊れてゆくのでしょうか。             
体育館兼講堂ですね。体育館の裏には、跳び箱などが出されていました。前の校庭には、宮沢弘県知事(当時)の筆による、 開学百年の記念碑があります。宮沢さんは、元総理大臣の、宮沢喜一氏の弟さんですね。裏には、開校年や独立年、   敷地の広さなどが、昭和50年に、同窓生によって刻まれています。現校舎は、昭和34年11月3日に落成したそうです。
左端の写真は、宿直室だったのでしょうか。校庭の端っこに「ケロケロ ビオトープ」とつけられた小さな池がありましたが、水が干上がりかけています。 玄関正面から、ガラス越しに中を写してみました。ガラスに、平成15年度の卒業生2人が、体育の授業か運動会の様子を描いた絵があります。     
図書室だったのでしょうか。沢山の本が残されています。2001年卒業の女の子が造ったイルカです。女の子といっても、もう二十歳になるのですね。 校庭の外には、体育用具を入れる、小さな倉庫がポツンと建っています。体育用具も、もう二度と使われることが無いのでしょうか。         

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