このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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蒲刈町立宮盛小学校
   (みやのもり)
撮影:H23.10.01  廃校:1963   統合先:田戸小学校と統合し、蒲刈小学校設立
グーグルアースで、瀬戸内海の島々の町並みを見ていると、学校跡と分かる場所が何箇所もあります。 現役でしたら、写真上に学校のマークが出ているのですが、廃校にはありません。              この小学校跡も、グーグルアースで、隣の地区にある田戸の学校跡などを見ながら画面をスクロールしていて、 運動場らしき場所は狭いものの、細長い建物なので、あれでも学校跡ではないかと思い、       10月1日に、実家に帰る際、久々に安芸灘とびしま海道を走って訪ねてみました。         

到着したときに、丁度地元のご婦人が、校庭跡の草取りをされていたので、木造校舎を探しては写していることを伝えて、撮影のお願いをしました。   ご婦人によれば、いまは、地元のサークル活動に使用されていることや、完全な元の校舎ではないこと。ただし立派な梁などは、そのまま使っていること などをご教示いただきました。そして、元の校舎の向きとは90度向きが変わっていることも教えていただきました。(感謝)              中央の、廊下に上がる場所の柱には「宮盛尋常高等小学校東校舎」の、大きな表札が掛けられています。ということはもう一棟有ったということですね。  右は、正門から見る校舎ですが、この正門横の囲いが、赤レンガを積んだもので、これもなんとも良い雰囲気をかもし出しています。         
廃校になって、既に48年の時が流れていますが、廃校後、一時期は町の施設として使われていたこともあり、その保存状態は良好に保たれています。 平屋建てということも有るのでしょうが、維持管理も楽でしょうから。これが二階建てですと、耐震問題などで解体の可能性もあったりしますからね。  廊下は、濡れ縁のように、外側に造られています。この手の廊下のある木造校舎は、まだ数棟しか記憶がありません。                 中央には、電動のベルではなく、教会や船でも使われる、手で鳴らすベルが下げられていました。とても雰囲気があって良いものですね。       
    
昔はどの学校にも居られた金次郎さんも、きちんと居られました。国旗掲揚台やそのポールも健在です。                     校門の石柱は4本ありますが、右端の写真の一番左のものには寄贈者の名前が、真ん中のものには「大正十年十月三十一日建立」と刻まれています。

 

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