このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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この小学校のことは、去年インターネットのサイトで知っていたのですが、やっと写しに行ってきました。 もう二十年以上も、魚釣りの度にこの近くを通っていたのですが、まったく知りませんでした。 いつもの魚釣りに行く道から分かれ、海岸沿いの細く曲がりくねった道を、数キロ走った小さな集落の 真ん中に、木造平屋建ての校舎がありました。島の小さな集落にありますから、運動場も小さく、 校舎もこじんまりとしていて、校門も民家の間を抜ける細い通路の先にありました。 二十四の瞳の、岬の分教場を思わせる素敵な校舎だと思います。※呉市倉橋支所に、この学校の名前についてご教示いただきました。(感謝)※ 2012年2月に、グーグルアースで状況を見てみると校舎が有りません。どうも数年前に解体されたようです。拡大可消えかかった表札が掛かっていました。 校舎は色々なサークル活動に活用されているようです。 校庭の隅には陶芸用の釜もありました。民家の間を通る校門への細い道。 昭和54年卒業生の作品。もう40歳ですね。 希望:彼女も37歳ですね。 彼らは41歳ですか。小さな小さな金次郎さんがおられました。 まだクラスの表示がそのまま残っていました。
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