このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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鹿野町立仁保津小学校

撮影:H22.01.24  開校:M17  休校:S63  廃校:H21  解体予定:H22.03

校    歌
若葉にかおる  里の春            朝ごと鳥の声を聞き  あふれる力おどる胸   いだいて通うぼく達の 明るいまなび舎仁保津校
「廃校・休校を訪ねて」 の管理人さんより、この校舎と渋川小学校の校舎が解体されるとの情報をいただき、急遽訪ねてきました。   平成14年建立の、校庭の隅にある石碑によると、開校は結構古くて、明治27年となっています。最初は分教場ということなので、    鹿野小学校の分教場だったのでしょうか。その後分校になり、やがて独立をしたようですが、石碑からすると昭和28年のようですね。 昨年まで休校中だったとはいえ、校舎の傷みはかなり大きく、一部天上には穴も開いているようです。            

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中国縦貫道を鹿野で下り、国道315を少し南進した後、県道9号線に右折、鹿野サービスエリアの脇を通り、5kmほど西進した、 周囲を山と田んぼに囲まれた小さな集落のはずれの、田園風景の中にあります。校舎の傷みは激しく、屋根には一部穴が開き、    また宿直室だったらしき小さな建物も、かなり傷んでいます。校庭は色々な行事に使われているのか、また冬ということもあり、     草もなくきれいに維持されていました。校舎横の、体育用具入れらしき小さな建物は傾き、チェーンを張って倒壊を防いでいる状態です。  数年前の写真では、玄関にはまだ大きな表札がかけられているのですが、解体が決まったことで外されたのか、見当たりませんでした。
内部に入ることができたので写してきました、屋根に一部穴が開き、そこからの雨漏りで廊下が腐っている場所もありあました。 各教室の戸は外され、一部窓ガラスも外されていて、ガランとしています。廊下には、廊下の長さや、色々な品物の長さ、      或いは各種硬貨の重さが書かれた紙が張られ、また色々な標本が入った木製のキャビネットが置かれています。ダチョウの卵などは、 どこの学校にもあったものですね。廊下には、壁に組みつけられた下駄箱が、扉を開かれたまま、たくさんありました。    
机や椅子、教壇などの備品は、全て持ち出されていてガランとしています。天上には方位板が張られていました。     どの学校もそうですが、窓側がほぼ東向きに建てられています。これは鉛筆を持つ右手が左からの日差しに照らされる   ようにして 本やノートの上に手の影が出来ないようにとの配慮だと聞いたことがあります。左利きの子供には少し辛い  でしょうかね。歴史年表の張られた教室や、五線譜が書かれた黒板のある教室、そしてかまどの残る給食室。 給食室には、宿直の先生用なのでしょうか、風呂場もありました。かまどの中に生えたシダが 休校から廃校までの長い年月を 感じさせます。                                               
校舎の横に、僻地教育に努力したことに対し、昭和49年11月に学習研究社より、学研教育賞を受賞したことがきざまれた記念碑があります。  その横には、昭和54年3月の卒業生が残した、卒業記念の滑り台があり、8人の卒業生の名前と、設計者の名前が書かれています。       ブランコなどの遊具も錆び付いて残っていますが、かなり傷みが酷く、もう使われない状態にあります。片隅には、分教場と分校の記念碑、    そして昭和61年の卒業生が植えた桜があります。その横には、朝礼台と百日紅の木もありました。                     

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