このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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この校舎の撮影に向かったのは、今回で3度目だったかな。過去二回のうち、一回目は場所が分からず、 少し手前で引き返したのと、二回目は12月で、周りの山々には積雪があり、入り口で断念しました。 本郷から入った場合、対向車でも来たらすれ違いはおろか、バックをして道を譲るにも、道が狭いため 躊躇したくなるような曲がりくねった山道です。 そのような道を7kmほど、対向車が来ないよう祈りながら、エアコンを効かせていても背中と手に汗をにじませて走ります。 校舎は、少し過ぎると中倉と言う集落がありますが、周囲には民家も何も無い山の中にポツンと建っています。 開校四十周年が昭和二十九年なので、開校は大正5年前後ですね。
T4さんより廃校年の情報をいただきました。(感謝)
2013年5月に撮影に行かれた方が「数年前に解体されたようです!」と書かれていますので、2010年ころに解体されたのでしょうか!
給食の調理室の建物だけ残っているようです。
校舎は松林に囲まれて、ポツンと建っています。
門柱に残っていた石製の校名板。 門柱の外から。車はもちろん私の愛車です。 給食用の調理室。 朽ちかけた廊下です。
開校四十周年記念と刻まれた門柱。 玄関横に置かれていた達磨ストーブ。 図書室だったのかな。 昭和三十七年までは確かに現役ですね。
二階への階段。危なそうなため上がらなかった。 西黒沢の自然が描かれた地図。 一回目はここから引き返しました。 学校手前の下垣内の集落。
学校を過ぎた場所にある中倉集落。真ん中の車が私のです。
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