このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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錦町立野谷小学校
「廃校・休校を訪ねて」 の掲載を見て、前々から気になっていた校舎です。訪ねるのは広島からですから、 山を越え谷を越え、そして川を越え、おまけにダムを三つも越えて辿り着きました。 広島・山口県境の弥栄ダムの斜張橋を渡り、他の木造校舎を3校写した後、生見川ダムを渡って右折し、 R187を北上して、錦川鉄道の根笠と河山駅の中間にある合ノ本橋で左折、後は細い山道を6kmほど 走って辿り着きました。もう少し、そう1kmも走らないうちに、お隣の徳山市須万に入る場所にありました。
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金次郎さんの隣には、「皇紀2600年」(昭和15年)と刻まれた、国旗掲揚の石柱があります。校舎を裏側から撮影。 水の干上がった池があります。校庭の片隅には、給食用に使われていたのか、大きな鍋がうつ伏せに転がっています。
細長い校舎なので、手持ちのレンズでは、校庭を一杯下がらないと入りきりません。元の門柱は、劣化して危険なためか、倒されていました。 H18年に撮影されている「廃校・休校を訪ねて」では、しっかり立っていて、校名の表札も写っているのですが、下向きになっていて駄目でした。 門柱には、昭和3年の、昭和天皇の御大典(即位式)記念の文字が刻まれています。
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