このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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周東町立三瀬川小学校(さんぜがわ)撮影:H20.01.27 開校:M12.08 開校百年:S53 閉校:H12.03この小学校の下の県道は、一昨年の 檜余地小学校 の撮影の帰りや、その他の撮影で何度か通っているのですが、 道より一段高い位置の奥まった場所にあるのと、取り付きの道が、狭い県道のカーブ付近になるため、よそ見は禁物で、 おまけに北から下ってきた場合、カーブを曲がると直ぐに、ほぼ平行に逆方向で学校に上っているので、なおさら気づき にくいです。今回もカーナビの「三瀬川」の表示を頼りに向かいましたが分からず、結局地元の人に尋ねて辿り着きました。写真のクリックで拡大可!地元の人に、「狭い道じゃが、ワシのでも上がれるから、大丈夫じゃろう!」と言われましたが、確かに狭い取り付け道でした。 門柱はかなり傷んでいますが、まだしっかりと立っています。裏には「大正十二年十二月」と刻まれていました。 校門を入ると直ぐ左に、元の宿直室らしい小さな建物がありますが、小学校時代のものかどうかは分かりません。玄関には「周東町日本語学校三瀬川学園」という大きな表札が架かっています。何でだろう?徳山や新南陽などに来た 外国人労働者の、日本語の勉強にはあまりにも山奥だしね〜。もしかして、逃げ出した場合のことを考えてかな。 宿直室らしき小さな建物の横には、卒業生達が、昭和53年に建立した、開校百年記念の石碑があります。開校百年記念の石碑に比べて、少々貧弱な閉校記念碑もありました。校庭の隅には、今でも鳴っている感じのサイレンが。 小さなジャングルジムなどの遊具がさび付いています。校舎の裏には、モルタル造りの講堂兼体育館があります。校舎に向かって右側には、背の高いメタセコイアがあります。講堂のガラスが割れていたので、カメラだけ突っ込んで内部を写しました。 舞台には手作りらしい神輿があります。反対側の壁上部には、先生の似顔絵らしい絵が貼ってあります。理科室?の中も写しました。学校への上り口には、「重野清先生 頌徳碑」と刻まれた石碑があります。これが学校への目印になります。 地元の人に場所を伺ったときにも、この石碑が目印だと言われました。校庭から見下ろす、東?集落です。
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