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徳山市立楽々谷小学校(ささだに)
撮影:H22.01.24 支校:M08 独立:M35 統合:S45
鹿野町の、仁保津、渋川、大潮の三校の撮影の後、もう解体されてしまっている鹿野小学校金峰分校跡や、 その隣の、トタンを被せた茅葺民家の屋根に描かれた絵も見てみたかったしで、県道9号線の金峰峠を越えて、 国道434号線の、徳山市須金近くに出た後、須金中学跡のコンクリート校舎を確認し、その後向いました。 楽々谷という地区は、かなりの山奥になるのですが、学校は、地区名とは全く違う、川本という場所にありました。 しかし固有名詞というのは難しいし面白いですね。教えてもらわないと「ささだに」なんて読めっこありません。
※2012年12月30日に、本校の卒業生であられる、村上水軍さんといわれる方から情報を頂きました。(感謝) それによれば、廃校後は、須金産業という、手工業の会社が入っていたそうです。
水越ダムに架かる、川本大橋を渡って直ぐ左折し、地方道を少し走ると対岸からよく見えます。国道から、急斜面に段々畑や民家が ある狭い道を登ります。車で登れないこともないのですが、私は車を、橋を渡って左折した地方道に置き、歩いて登りました。 元の門柱には、石製の企業の表札がはめ込まれていますが、今でも営まれているのかどうか不明です。 校庭の片隅には、何かの福祉施設らしい建物もありますが、こちらも現役かどうか分かりませんでした。
元の校門を入って直ぐ右側に、「楽々谷小学校 学び舎の跡」と刻まれた、時の徳山市長の筆になる石碑があり、裏側には「支校 独立 統合」と刻まれ、 その下に年代も刻まれています。その横には金次郎さんもおられました。台座には「友愛 自立 勤労 誠実」と刻まれた石版が埋め込まれています。 支校として開校したのが明治8年だそうなので、歴史はかなりありますね。本校は須金小学校だったのでしょうか。
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