このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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10数年前の古い道路地図帳を見ていて、大きく濃く記入されている大朝町内の大字の中の一つが田原で、 「ここには木造校舎が残っているかも!」と思い、芸北にキャンプに行ったときに訪ねてみました。 学校は、平成4年に閉校になり、大朝小学校に統合されていますが、校舎は 温泉施設 として活用され、 体育館兼講堂もまだ温泉施設の一部として使われているようです。 明治7年に得真舎として創立し、119年の歴史を誇っていましたが、児童数6名に減少するに至り、 総勢743名の卒業生の思い出の残る学び舎も、その歴史の幕を閉じました。 この校舎の外壁ですが、当時のままなら、非常に珍しい「ドイツ壁」なのですが。通常は、横目板を鎧の様に重ねた、 いわゆる「イギリス下見」が多い中で、板を付き合わせたフラットな外壁になっています。
時の文部大臣、森山真弓さんの筆による記念碑。 周囲は、てんぐの里公園になっています。近くには 天然記念物のテングシデ の群落があります。
学校の沿革が刻まれた石碑。 体育館兼講堂でしょうか。 学校の座標と方位が刻まれた石碑。
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