このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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南木曾町立妻籠小学校
撮影:H22.07.18 開校:M06   開校百年:S47    閉校:H9(1997)
校    歌
城山遠く紫に      蘭川の水澄みて 和知野の森に抱かれつ  朝日に映ゆるわが校舎
昨年(H21)、22年ほど訪れていない白川郷や上高地に行ってみようかと思い、帰りは中津川から中央道に入ることにして、その前に、これも長らく訪れていない  妻籠や馬籠にも立ち寄ることにして、あれでも妻籠や馬籠に木造校舎が残っていないかと、グーグルアースで妻籠を見ていて、どうも木造校舎のように感じ、      インターネットで検索すると、やはり木造校舎でした。駐車場に車を置き、ご婦人に学校の場所を伺うと、「あそこ。お寺の裏!」と、お寺(光徳寺)のほうを指差し、 教えてくれました。古い町並みより一段高い場所にあるので、直ぐに確認ができました。                                    

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ちょうど7月23〜24日からの和智埜神社祭礼 の準備のために、学校周辺に居られた方に、いつころ廃校になったのか伺ったのですが、「たしか、10年ほど前だったけど!」とのことでした。 校舎の中央付近に入母屋の屋根が出ていたので、玄関かな思い行って見ると違っていて、玄関は校舎に向かって左端の、鉄骨で支えられた部分が玄関でした。                   校舎の中央付近に、金次郎さんと、隣には島崎藤村の筆による「心につながるふるさと」と刻まれた石碑があります。校舎前の植え込みの中には、開校百年の記念碑と、「妻籠の子らこの地に学ぶ」 と刻まれ、校歌を刻んだ石版が埋め込まれた石碑もあります。                                                          
校舎と渡り廊下でつながる、同じ木造の体育館は、初めて見る縦板張りで造られています。真新しい木造の体育館は見たことがありますが、他は、ほとんどが鉄筋コンクリートか鉄骨造りです。  校庭の隅に、同じ木造の建物があるのですが、何に使われていたのでしょう?もしかしたら幼稚園か保育所だったのかもしれません。校舎の横の、一段高い場所に6コースのプールがありました。
     
学校の座標や方位、そして海抜が刻まれた石碑がありました。二人の児童が並び、上空を指差している像もあります。 校庭の隅には、デフォルメされたニワトリと、もう一つは角の形や顔の造詣から言って鹿らしき像があります。       右端の画像は、旧中仙道妻籠宿のメインストリートです。確か日本で最初の町並み保存地区に指定されたと記憶しています。

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