このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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三次市立上田小学校

撮影:H20.05.17 開校:M07.04 開校百年式典:S49.07.22 廃校:H15 統合先:川西小学校
情報はH19年に頂いていたのですが、三次市周辺、それも中心部から離れた地域には、なかなか行く機会が無くて、 今回、湧永庭園に行ったのを機会に訪ねてみました。ナビを頼りに、JR芸備線甲立駅から東へ進み、旧三和町を横切り、 ナビが「間もなく目的地です!」と言うのですが、画面の、車の現在位置の少し離れた左側に、上田の文字があるのに、    向かう道の表示も無ければ学校も見当たりません。「これは多分山の裏だな!」と思い、どこかに狭い道でもあるだろうと、  更に直進し、大きく左にハンドルを切って入る、狭い道を数百メートルほど進むと、やっと見つけることが出来ました。
※ TVなどで、時々この校舎が紹介されるのですが、大抵「三次市内に残るただ一つの木造校舎!」と紹介されます。   でも、もう一つ木造校舎が残っているんです。 河内小学校穴笠分校 の、小さくて可愛い校舎を忘れないでね。  
 
※ 現在は、「ほしはら山のがっこう」として活用されているそうです。いい事ですね。傷みの進行が緩やかになります。 ほしはら山のがっこうと、浦田愛さんのH.Pへのリンクを以下にしておきます。                
http://www.hoshihara.org/# ほしはら山のがっこうのH.P  ←クリック

http://www.twoone.net/ai/ai.home.html 浦田愛さんのH.P  ← クリック

※ 平成22年5月15日、中国新聞朝刊に「ほしはら山のがっこう」の記事が掲載されました。        浦田さん、住民の皆さん、スタッフの皆さん、頑張っておられるようですね。下に記事を追加しました。

  


写真のクリックで拡大可!

校舎は、何かの施設として使われているのか、外装の板は綺麗に張りかえられているようで、一見新築のように見えます。 校門を入った直ぐ左には創立百周年の大きな記念碑が建っています。側面には、簡単な沿革史が刻まれています。    
校舎の裏には、杜のレストランと書かれた、元の宿直室か給食室らしき小さな建物が有ります。校舎とは渡り廊下でつながっています。 校庭の片隅には、昭和15年9月25日製造の蒸気機関車、D51435号機の第四動輪が展示されています。           
近くのバス停の名前は、上田小跡になっていました。体育館横の一段高い場所に、3コースのプールがあります。   校舎の廊下には、沢山の卒業写真が、年別にかけられています。少ない年には卒業生が1人ですね。(ガラス越しで)

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