このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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豊平町立吉坂小学校

撮影:H20.06.01  廃校:1967.03  統合先:豊平南小学校
以前から、木造校舎が残っているのではないかと言う情報があったので、平成20年の、壬生の花田植を撮影に行く途中に    回り道をして立ち寄ってみました。千代田に向かう途中の、安佐北区鈴張から左折、5kmほど走った、今吉田地区にあります。 校舎が残っているかと期待していたのですが、残念ながら残っていたのは体育館と炊事場でした。            校舎の有った場所には、現在集会所が建てられ、元の校庭は、バスの車庫として使われていました。             T4さんに情報を頂き、1978年廃校の吉坂中学校が同じ校舎内にあり、一階を小学校、二階を中学校が使用していたそうです。

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門柱には、まだ石製の表札がはめ込まれています。 何故か門柱が4本建っています。 残っているのは木造モルタルの体育館と調理場です。

安佐北区の鈴張から旧豊平町に入って直ぐに左折して進むと、この学校跡のほぼ正面に出ますが、樹木と建物が邪魔をして校門跡の石柱が 見えにくく、気づかずに「どっちかいな?」と左折してしまうかもしれません。よく見れば、真正面に金次郎さんがおられるのですが。
鈴張りから登って来ると、この金次郎さんを真正面に見るT字路に出ます。金次郎さんの傍には鉄棒が、唯一の遊具として残っていましたが、もう使えないくらい傷んでいます。 しかしこの金次郎さん、とても違和感を感じます。二宮金次郎は実在の人物なのに、全く子供らしさがありません、顔、服装、髪型など、どう見ても仏様です。       
元の校舎が有った場所には、集会所が建っていますが、大きさ(長さ)は校舎の三分の一も無いでしょう。校舎の前にあったであろうサクランボが沢山の実をつけていました。

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