このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

おきなわの鉄路

 糸満馬車軌道

 沖縄の旧版地図の古い物を国土地理院の図歴で探してみたところ大正10年発行の5万分の1の地形図[糸満](大正8年測図)が最も古いようである。この地形図を眺めてみると馬車軌道の文字が記されている。糸満馬車軌道がこれに該当するようである。ルートを辿って行くと垣花から糸満まで現在の国道331号線とほぼ同じ経路である。ただ、基点の垣花が基地内になってしまいその部分だけが現在と異なっている。垣花町はすべて基地内になっているが現在の地図でも町の名は記されており、また丁目の境界線も引かれている。この境界線が大正期の道路とよく符合するようである。この事から垣花駅の有った場所がはっきりと分かる。その場所は旧南明治橋の有った位置のすぐ脇である。

糸満馬車軌道沿革

大正06年01月馬車軌道敷設の出願  発起人 男爵尚順、岸本賀昌ら7名
大正06年10月30日特許下付される
大正07年03月25日糸満馬車軌道株式会社発足 社長岸本賀昌
大正07年09月工事着工
大正08年06月12日垣花〜地覇間4.3㎞開業
大正08年07月04日地覇〜川尻間4.7㎞開業
大正09年05月01日川尻〜糸満間300m完成、全線9.3㎞の営業開始
大正10年09月30日運行停止
昭和14年11月19日正式に営業廃止が許可される
 

国土地理院保有の旧版地図
大正8年測図 2万5千分の1 地形図 「那覇」の一部を複写

糸満馬車軌道の経路 垣花〜糸満

糸満馬車軌道は垣花〜糸満間を走った馬車軌道で昭和14年に廃止になっている。停留所を列記すると起点垣花(カキノハナ)、蚊坂(ガジャンビラ)、金城、安次嶺(アシンミ)、当間、高宮城、具志、地覇、伊良波、座安、保栄茂(ビン)、翁長、阿波根(アーグン)、潮平(スンザ)、兼城、終点糸満であった。下図の各停留所の位置は推測で記入しています。□は車両の交換可能な停留所で○は不能停留所となっている。恐らくこの他にも自由に何処でも乗り降りできたと思われる。私が始めて沖縄に行ったのは復帰直前の頃だったが話に聞いたところによると少し田舎に行くとバスなどは手を挙げればバス停以外の途中でも乗せてくれたという事である。それに類した事があったようである。

糸満馬車軌道ルート図 



国土地理院保有の旧版地図
上 大正12年発行 5万分の1 地形図 「那覇」の一部を複写
下 大正10年発行 5万分の1 地形図 「糸満」の一部を複写
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