このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

酔古ざつがく

識名園

識名園は18世紀末に琉球王家の別邸としてつくられ、首里城の南にあることから南苑とも呼ばれた。中国からの冊封使の接待にも使用された。敷地は7000坪にも及び園内には池が配され池の周りを巡る「回遊式庭園」となっている。昭和16年(1941)に国の名勝に指定されたが先の大戦により壊滅的な破壊を受けた。昭和50年(1975)から整備が進められ、約20年かけて今日のように復元された。
左写真の池の向こうにあるのが「六角堂」で池に浮かぶ島に造られた東屋。中国風な作りになっている。島へは一つ石でつくられたアーチ橋が架けられている。右は「育徳泉」で池の水源の一つになっている。琉球石灰岩を沖縄独特の「あいかた積み」で造られている。
識名園
  「勧耕台碑」は1838(道光18)年に尚育王の冊封正使林鴻年が題したもので、手入れの行き届いた田畑を見て、王が心から人々を励ましているとたたえたのです。もとの碑は戦災を受けて破損したため、1980(昭和55年)に拓本をもとにして復元したものです。(パンフレット説明文から)

沖縄の海沿いの景色の良い見晴らしのきく所には大抵展望台などがある。沖縄での展望台といえば海の景色が定番であるがなぜか海が全く見えない展望台がある。首里王家の別邸である識名園にその展望台がある。識名園は長らく閉鎖されていたが最近修復され、王朝文化を忍ぶ庭園が一般に開放されている。
勧耕台碑
沖縄本島は細長く高台に登ればどこからでも海が見えるがここ識名園の展望台「観耕台」からは海が見えない。南部方向にはどこまでも大地が続き、大陸的風景となっている。この場所は中国の册封使を歓迎した場所で琉球が大きな国であると思わせるよう、ここに展望台を造ったと言われている。
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