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しごよんのひとりごと

神無月
10月である。
朝晩めっきり涼しくなった。暑さもやっと一段落…って、今頃暑いのは問題である。

それでも日中は暑い。暑がりの嫁は空調のお世話になりっぱなしの様である。
もっとも、角部屋で東と南に窓がある事も暑さの原因だと思うが。
北向きの部屋や台所とも温度差があるから、間違いでは無かろう。
2004年10月01日09時52分14秒

発見
そんなたいそうな事でもないのだが…。

先月下旬に触れた『黄色い彼岸花』の話。
通勤路…といっても少しずれるのだが、良く通る道沿いで見かけた。
成る程、鮮やかな黄色である。で、写真に納めてみた。

黄色い彼岸花1

黄色い彼岸花2
撮影者:わにわに(2枚共)

同じ彼岸花でも、色が変わるとこうも違って見えるものなのか、と感心する事しきり、である。
2004年10月04日16時31分57秒

今年10個目
また台風である。
とうとう上陸個数が二桁に乗ってしまった。
で、例によって仕事に出かける頃に最接近なのである。

ここまでくると、『来るなら来い』的なノリで、慣れっこになってしまった気がする。
詳しくは、明日帰宅後に。
2004年10月20日18時33分34秒

冠水
と言う訳で、昨夜の出勤時の話。

今回は強さこそこの前に及ばないものの、予想以上に影響があった。
なにより、道路の冠水である。

これまでも、道路に水が溜まっていた事はあった。
とは言え、それは水溜まりの様なものであった。
しかし、今回は訳が違った。完全に冠水しているのである。
道路そばの小川からあふれ出た水は、周りの田圃を飲み込み、道路上に波を立てている。
消防団の方が誘導に出ている程であった。
ウチの車で、底に水の音が響く様な冠水路を走るのは、正直初めての事である。
ウチの近所は、比較的高台にあるので、大水には縁がないと思っていたが、どうしてどうして。
川沿いで周りよりも低い場所は、当たり前だが冠水しやすいのである。

さらに進む事しばらく、台地から一気に坂を下ったあたりで再び冠水。
周りの田圃との高低差はゆうに1メートルはあったから、相当な水が出ていたと思われる。
ここも誘導に従ってそろそろと進む。

大きな川を越え、会社まであと半分程の場所まで来たところで、今度は通行止め。
何でも、この先は水がどんどん溢れていてとても通れないのだと言う。
先に行ったランドクルーザーの男性が引き返してきたあたり、洒落にならない冠水状態の様だ。
やむを得ず、大回りして先の道へ。
土手道から朧気に見える川は、普段とはまるで違う水量の様である。
迂回路から元の道へ戻ったが、それでもなお、冠水している場所が何ヶ所かあった。

会社には遅刻ぎりぎりで飛び込めたが、ともかく、迂回指示まで受けたのは初めてであった。

翌朝帰る頃には水はすっかり引いていたが、河川敷に溜まった流木の山に、いかに水が多かったかを知る事が出来たし、
ガードレールに引っかかった稲藁も、冠水の跡を語っていた。
2004年10月21日08時55分01秒

円山川決壊
豊岡が水没した。

餘部に行く時に良く通る町である。
立ち寄る事はあまり無いが、全く知らない場所ではない。
以前日記にも書いた、『いかチョコ』の捕獲地はここである。

その、少なからず見慣れた町が泥水に沈んだ。
盆地という土地柄、水が溜まりやすい事はある程度予想できるが、流石に今回の被害は深刻だ。
豊岡だけではない。日高、城崎、舞鶴…かつて仕事で良く訪れた土地でもある。
出石は、行こう行こうと思っている内に今回の被害である。

被災地の方々にお見舞い申し上げると共に、早く水が引いて復旧する事を祈るのみである。
2004年10月22日09時45分25秒

地震
嫌な響きである。

家内はともかく、自分もあまり良い気持ちはしない。
自分は約10年前、大阪で被災した。
もっとも、神戸に比べれば可愛いものであるから、『被災』等というのは烏滸がましいかもしれないが。
しかし、住んでいた寮は壁や床が壊れたし、周囲は液状化現象に見舞われたから、
決して『被災していない』訳ではないと思う。

そして今日の地震である。

本震もさることながら、大きな余震が立て続けに来るのはたまったものではない筈だ。
夜に入り、暗がりで状況が良く分からない中、乏しい情報に苛立ちがつのる。
震央近くで新幹線が脱線したとも聞く。
大きな被害が出ていなければ良いのだが…
2004年10月23日20時02分05秒

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