このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
『鉄道』趣味と一口に言っても色々あります。写真を撮る、ビデオを撮影する、走行音を録音する、旅行を楽しむ、駅弁を味わう、切符を集める、車輌形式を調べる、廃線跡を訪ねる、模型を作る、グッズを集める、等々。
自分は物心付いた頃からの筋金入りの『鉄ちゃん』であります。何故鉄道が好きになったのかは分かりません。でも、これが発端かな?という想い出はあります。
2歳の頃、母親に連れられて広島から東京まで寝台特急に乗りました。その車中で、車掌さんが座席を寝台に変える操作、まるで手品の様に座席がベッドに変わっていく様が、いまだに脳裏に焼き付いたまま残っているのです。余程印象的な光景だったのでしょう。
以来、家の近くの公園で遊んでいても、近くを走る電車が見たいから帰りたくないと泣きわめいていたとか、病院に行った帰り、橋の上から眼下を走る色とりどりの電車を見続けて動かなかったとか、武勇伝は色々あります。もっとも、蒸気機関車の汽笛だけは苦手だった様で、汽笛の大きな音に驚いて泣いていたとか。
そう言えば、大人になってから訪ねた京都の梅小路蒸気機関車館で、展示運転の機関車が鳴らした汽笛の音で、2〜3歳の子供が大泣きしていました。時代が変わっても、子供にとってあの汽笛の音はとても大きく恐いものなのかもしれませんね。
話を元に戻しましょう。小学生の頃、路面電車の走る町に住んでいました。学校が終わった後、町なかの病院に通う為に良く路面電車に乗りました。これが実に楽しかった。正直な話、路面電車に乗るのが楽しくて病院に通っていた感がなきにしもあらず(笑)。
また、年に一度、母親の実家に行く事があって、ディーゼルカーや連絡船、新幹線に乗る機会がありました。これも楽しみでした。帰省時期だけに新幹線の自由席は満席でも、デッキに立って乗っているだけで嬉しかったのです。
乗り鉄、と言う程ではないですが、列車に乗っている事は楽しいです。仕事でストレスが溜まった時などちょっと隣の駅まで乗ってくる、それだけでも充分で、今流に言う『癒し』の効果があります。
小学6年生の夏、鉄道模型に手を出す事になります。以降、鉄道模型趣味はずっと続いています。模型と言えば、私感ながら、多分殆どの子供は物心付いた頃に『プラレール』や『トミカ』の洗礼を受けるものと確信しております。この時点で、子供の乗り物好きの方向がある程度定まる気がします。鉄道に走るか、自動車に走るか、飛行機に走るか、あるいは、全く興味を示さなくなるか。その意味で自分は見事に王道パターンに乗った形になる訳です。
鉄道模型と言えば、小学生の頃に玩具メーカー数社から、模型とも玩具とも違う模型の類が発売されていた時期がありました。プラレールでは満足できず、かと云って鉄道模型に手を出すには難しい立場としては、なかなかに魅力的な代物でした。しかし云うほど長続きはせず、鉄道模型に走るまでのつなぎの様な存在でした。
今のところ、一番に楽しんでいるのはやはり鉄道模型です。後は広く浅く少しずつ。気が向いたら旅にも出ますし、旅先では駅弁も食べます。写真だってたまにコンパクトカメラで写すくらいだし、切符も使用済が手に入れば手元に残すくらい。でも自身のズボラさが災いして、ほんの少しの物すら整理出来ない状態に陥っています(苦笑)。
なんだかんだで、鉄道とは我が人生のスタートに遅れる事僅か数年後からの付き合いでありまして、これは一生変わらないと思います。
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