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大正時代になり、北大阪電気鉄道(後の新京阪鉄道、現在の阪急京都線・千里線の一部)や能勢電気軌道(現在の能勢電鉄)、阪神電気鉄道北大阪線などの路線が開通すると、それらの路線の乗車券と阪神急行電鉄の乗車券を1枚にした他社線連絡乗車券が発売されるようになりました。
大正時代は前述3社のほかに、兵庫電気軌道(現在の山陽電鉄の一部)、妙見鋼索鉄道(現在の能勢電鉄妙見ケーブル)などに連絡乗車券を発売していましたが、昭和にはいると大阪電気軌道(現在の近鉄奈良線)、南海鉄道(現在の南海電鉄南海線)、高野山電気鉄道(現在の南海電鉄高野線)などの鉄道会社のほかに、宝塚有馬自動車のような乗合自動車との連絡運輸も行うようになりました。
大阪市電気局(現在の大阪市交通局)が地下鉄を開通させると、参宮急行電鉄や関西急行電鉄など現在の近鉄路線への連絡乗車券も発売されるようになり、阪急神戸駅から関急名古屋駅まで1枚の連絡乗車券で行くことができるようになりました。
連絡乗車券は連絡運輸する会社側からも発売するため、往復券などでは同じ区間の乗車券でもまったく様式の違う乗車券が存在しました。
阪神急行電鉄は普通乗車券に軟券を使用していましたので、連絡乗車券は鉄道省線(のちの国鉄、現在のJR)への連絡乗車券をのぞいてほとんど軟券でしたが、硬券を使用していた鉄道会社が阪神急行電鉄への連絡乗車券を硬券で発売していたこともあり、往復券などでは阪神急行電鉄の社章が印刷された硬券も存在しました。
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上の乗車券は昭和7年(1932年)に梅田駅で発行された阪急-神有連絡片道乗車券です。阪急梅田駅より神戸有馬電気鉄道有馬温泉ゆきの乗車券で割引運賃83銭となっています。
券面左に神戸有馬電気鉄道の社章、券面右に阪神急行電鉄の社章が印刷されています。
神戸有馬電気鉄道は昭和3年(1928年)に湊川駅-電鉄有馬駅間(現在の神戸電鉄有馬線)が開通。その後、電鉄有馬駅は有馬温泉駅と改称しました。阪神急行電鉄-神戸有馬電気鉄道の連絡乗車券は昭和5年3月から発行されました。。
神戸有馬電気鉄道も阪急への連絡乗車券を発行していましたが、こちらは硬券が用いられました。
神戸有馬電気鉄道は戦後、三木電気鉄道(現在の神戸電鉄粟生線の前身)と合併して、神有三木電気鉄道となり、その後神戸電気鉄道に改称。昭和63年(1988年)、現在の神戸電鉄となりました。
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左上の乗車券は昭和13年(1938年)に発行された阪急−大阪市高速鉄道(大阪市営地下鉄)の連絡片道乗車券です。
発駅準常備乗車券で、発駅「十三」で切られていますので、「十三」で発行された地下鉄難波ゆきの16銭(阪神急行大阪市内6銭+地下鉄10銭)の乗車券です。券面左に大阪市電気局の局章、右に阪神急行電鉄の社章が白抜き印刷されています。
ちなみに「神戸」発行地下鉄難波ゆきの乗車券は、左上の乗車券の発駅欄「十三」の下にさらに「三国」「神崎川」など区間境界駅が9つ並び、「十三」発行の切符の約1.5倍の長さの切符となっていました。
右上の乗車券は昭和18年(1943年)に大阪市電気局地下鉄難波駅で発行した阪急十三ゆきの連絡乗車券です。
神宝統一運賃の時ですので、1銭値上げとなり、阪神急行1区7銭+地下鉄10銭の17銭となっています。
薄っぺらな阪神急行電鉄の連絡乗車券に比べ、大阪市電気局発行の連絡乗車券は「大阪市」「高速鉄道」の頭文字「0」と「コ」をひとつにした地紋が並んだ、立派な硬券でした。
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上の乗車券は昭和17年(1942年)に十三駅で発行された阪急−大阪市電(路面電車)の連絡片道乗車券です。
大阪市電(路面電車)への連絡乗車券は箕面有馬電気軌道時代の明治45年(1912年)から発行されていました。
大阪市電への連絡乗車券は関西の私鉄各社で発行されましたが、野田・天六・梅田・千鳥橋など大阪市電への接続駅がたくさんあった阪神電気鉄道とはちがい、阪神急行電鉄の接続駅は梅田のみでした。
地紋は阪神急行電鉄の連続地紋です。
京阪電気鉄道の大阪市電連絡乗車券では大阪市章が真ん中に大きく描かれているものがありますが、同様の様式の券が阪神急行電鉄で発行された可能性もあります。
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