このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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 本ページは20系全廃(1997年)に際して、小生としてもっとも20系に親しんだ「銀河」のころを思い出して書きつづったものです。
 20系どころか、2008年3月に「銀河」自体が無くなってしまいましたので、本項は「銀河」の活躍の記録としてご覧頂ければと存じます。

 初めて乗車した寝台列車「銀河」

 春休みに「銀河」の上り東京行きに乗車することとなった。これが私の生涯初めての寝台車、その日は昼間からそわそわして落ち着かなかったことを思い出しますね。
 大阪駅10番線にEF5897に牽引された20系編成が入ってくる。自分の車両は3号車(上のタイトル写真はその時のものです)で車番はナハネ2043(写真右)。急行用に格下げになったとは言え、特急用らしい格式を備えた車内の雰囲気は期待通りのものでした。
 自分の寝床は15番の上段(写真下)。何故上段にしたのか覚えていませんが下段は少し値段が高く、中段は中途半端に思えたからか?20系の52cm幅のベッドも中学生程度では全く問題無く、乗り心地も快適で大満足でした。
 大阪を発車してもしばらくは寝られず、備え付けの椅子で車窓風景を眺めていました。米原ではたしかDD50が6両遠めに見れるはずだ、と思っていたがその姿が見えなかった(ほんの1ヶ月前に廃車・解体になっていたそうである)
 目が覚めたのは熱海あたりだったか、すごい雨だった。小田原では小田急の荷物電車を見ることが出来た。東京着が9時36分のころの「銀河」なので沿線をゆっくり眺めることが出来たのだった。東京に着いたころはブルトレ第2陣の到着ラッシュが始まるころで、「あさかぜ4号」「富士」「みずほ」「はやぶさ」「さくら」とやってくるのをわくわくしながら待ち構える準備をしていたので、「銀河」の余韻を感じている余裕は無かったかな?
 ナハネ2043は屋根部がメラミン化粧板でなく旧来の多孔板であったことをその当時でも鮮明に覚えていた。(写真左参照)


 20系置き換えが行われてしばらくは白板のヘッドサインだったのが、急行の名前が入れられるようになったころの姿です。有名な山崎のカーブでナハネフを捉えたもの。
 まだ傷みも少なく、ナハネフの局面が美しく輝いています。

昭和53年 9月 東海道線山崎(AE-1:SUN85-210/4.5:SS+2)


 「銀河」の牽引機は宮原のEF58だったため、原形小窓の58が多く先頭に立つ姿が見られた。
原形大窓もあったが(47号・53号)早い時期に廃車になっている。

昭和55年6月 茨木にて


 大阪駅午前8時の交代劇。急行「銀河」が到着すると同時に特急「まつかぜ1号」が発車していきます。その一瞬の並びを捉えました。ところで「銀河」→「まつかぜ」の乗り継ぎを試みた方っているんでしょうか?

昭和55年3月、大阪駅。下り「銀河」。


 上りの銀河の大阪駅でのお出迎えが「まつかぜ」なら下りのお見送りは「立山」でありました。
この「立山」は入線してから発車までの時間が長かったので夜の大阪駅の名物的な存在でありました。
 写真のEF5844は鷹取工場にキャブ部分のみのカットモデルで展示されていましたが、閉鎖後はどうなったんでしょうか?。この44号は59年2月の東海道・山陽荷物列車の58総取り替え(EF62へ)の際にも廃車にならずに生き残り、P型化されて紀州に移ったが紀勢の客レがまもなく165に置き換わり(61年11月の中央東線の急行全廃時)それでお終いとなりました。

 昭和55年8月、大阪駅10番線上り「銀河」。


 夜行「立山」が廃止されてから上り「銀河」の発着番線が11番線に移った。おかげでカニ側の全景が撮れるようになった(って喜ぶべきことかなぁ)。それまでは上の写真のように常に「立山」が被っていて夜の大阪では全景を拝むことは出来なかった。

昭和59年3月、大阪駅にて上り「銀河」。


   EF58の後を継いだのがEF65PFで現状に至ります。20系に塗り分けを揃えた特急色である機関車なので20系との組み合わせがベストマッチです。

昭和57年6月、山崎付近にて上り「銀河」。


 20系としての最期が近づいている「銀河」の姿です。かなり錆が多くなっていていますが、この写真は3本線のままで良かったです。
 この直後の昭和60年3月の改正で14系に置き換えられました。もっともその14系は昭和61年11月改正で25形に再度置き換えられ、1年半程度の短命に終わってしまいました。その25形で廃止までの20年以上走り続けたことになります。
 「銀河」には色々助けられた経験がありますね。八王子で飲み会があり、翌日は大阪で朝8時から仕事って言うときにも横浜から銀河に飛び乗って行ったことがあります(寝台券持たずだったので、空席が確定する小田原まで補助椅子で待たされた)。逆に和歌山で仕事が押して(8時ぐらいまで掛かった)次の日はお茶の水でお仕事というときにも「銀河」で助けられました。ある時は「銀河」にも間に合わないで「あさかぜ2号」だったこともありました。

昭和60年1月 大阪駅


 大きな窓に阪急百貨店の建物が写り込む、おなじみの下り「銀河」大阪駅到着の姿です。
 ご承知の通り、「銀河」の20系化は「つるぎ」の25形化に伴うものですが、「つるぎ」と「日本海」の緩急車にはナハネフ20、21が使われていたことを記憶されている方もいらっしゃることでしょう。側窓がハフ時代の小窓が並び、ナハネフ20では初期型のパノラミックウィンドウで無い平面ガラスの組み合わせが特徴でした。さすがに車齢が古かったのか、これらが引き継がれることは無かった。

昭和58年6月 大阪駅


 20系最晩年の「銀河」のナハネフ22です。この時点で上の細線が消されてしまって、それだけでかなり間の抜けた印象になってしまいましたね。
 この東京駅のシーンも今ではすっかり様変わりして居ます。「銀河」が停まっているシマと遠くに見えるシマ両方とも今では上越・東北その他新幹線のホームとなっています。
 今でも残念なのはナロネ21に乗れなかったこと。オロネ24とは随分雰囲気か違うという話で、その後オロネ24やサロネ581(きたぐに)に乗る機会が有っただけに比べてみたかったところです。

昭和60年1月 東京駅


 14系に置き換えられた「銀河」です。(左上にスハネフ14独特の煙突がありますね(^_^;)
 残念ながらこの時代の乗車経験はありません。ただし14系は「ちくま」では随分乗りました。やはりベッド幅は広い方が快適です。

昭和60年4月 大阪駅


<20系の最後>


 すでに定期運用を失い、臨時急行に使われていた頃の20系の姿です。左から順番に説明します。
 1)「あおもり」のカヤ21です。「だいせん」へ充当する時に、カヤの後ろにスユニ50を連結して電源を供給するためのカプラを設けたためにスカートが切り欠かれています。 (平成2年8月 大阪駅)
 2)同じく「あおもり」ですが、20系最後の運転となった時の写真です。ナハネフ23も上の細線だけでなく妻面のラインがすべて無くなっていたのが寂しい。この時は五能線、津軽鉄道(ストーブ列車)を訪問した後で、確か八郎潟駅まで行って乗車したと思います。最後の20系乗車でナハネフ22の展望室が拝めず残念でした。 (平成5年 1月 大阪駅)
 3)4)急行「霧島」です。この他に「玄海」(品川−博多)、「雲仙」(新大阪−長崎)などが多客期に運転されていました。それまではそれぞれ「あさかぜ51号」「あかつき51号」「日本海51号」として特急としての運転でしたが、陳腐に過ぎ特急としての格を保つことが出来なくなっての急行運用でした。ロネもなく細線も消され、最晩年には両数も少なくて寂しい感じがしました。ヘッドサインには絵入りマークが入れられたのは最後の花と言えるでしょうか。まず「玄海」の運転がなくなり、「あおもり」が583系に変わり、「雲仙」「霧島」が最後となりました。(平成5年5月 東海道線山崎)



 <晩年の「銀河」>

 ちょっと前の光景です。この時点では25形特有の美しさ(ステン帯)が保たれています。電源車とAネは24形のままです。カヤ24は老朽化が進み、21世紀を待たずに全車廃車となりました。

 平成5年5月 東海道線山崎にて


 2000年の「銀河」です。編成はあまり変化していませんでしたが、25形の一部にステン帯をメタリックテープ化したものが見られるようになりました。写真のオハネフ2543号もテープ化されたものです。それに伴って下帯も妻面まで伸びて、なんとなく14系のような印象になってしまいました。編成中にあった100番台もテープ化されておりました。

平成12年 2月 東京駅

 2001年に見たときの「銀河」。オハネフ100番台だったが、帯はステンレスの原形でした。
 瀬戸の電車化で、余った100番台により若番車の入れ替えが行われた様子。

平成13年 2月 東京駅
 上の写真と比べると側窓が小窓の100番台ばかりになっているのがわかります。電源車もカニ24100番台。
 編成も最盛期に比べると短くなって寂しかった。  

平成14年 8月 東海道線塚本付近


<2008年2月>

 平成20年3月ダイヤ改正で「銀河」が廃止になった。
 他の寝台列車がなくなっても、「銀河」だけは残るだろうと思っていたが、衰え切った寝台列車の運命には逆らえなかったようです。
 廃止前の惜別乗車をしてきました。もう何回乗ったかわからないですが、これが最後になります。最後に乗った「銀河」の車両はオハネフ25132。時期的には「瀬戸」「下関あさかぜ」の20系からの置き換え車両になります。製造が昭和52年(1977年)ですから車齢30年を超えているわけで、今更手を加えてサービス改善ということも既に出来ない、朽ち果てるのを待つばかりだった。その時期が来たのだと、無理やり納得した(気になっている)。

平成20年1月 東京駅10番ホーム


  「急行銀河」車歴簿
1998年 8月25日 全面改装 
1998年 9月 6日 改造(EF65写真変更、ナハネフ22写真追加)
1998年10月 1日 改造(<20系の最後><現在の銀河>追加)
1999年 1月 2日 改造(ナハネフ22追加)
1999年 5月23日 改造(ナハネフ22もう一つ追加、一部文章加筆修正)
2000年 2月12日 改造(現在の銀河追加、バナーを行先表示板に変更)
2000年11月24日 改造(14系追加、写真1枚入れ替え)
2001年 1月10日 改造(ナハネフ23あおもり追加)
2002年 8月22日 改造(塚本走行写真追加)
2008年 2月11日 改造(「銀河」廃止・惜別を追記)
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