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トップナンバーは浜松の標準的な前面窓黒Hゴム化となっていますが、尾灯が外付け式になっている。東海道の荷物で比較的目にする機会が多かった。またトップということが関係してのか不明ながら割と長生きであった。
1979.1大阪
鋳鋼製の従台車を持つ珍車(2枚目参照)。それ以外は割と標準的な浜松スタイル。
後年、58の廃車が増えて、発生品によりノーマルな従台車に履き替えたものが出てきたが、5号機はそのまま廃車になったと記憶。
広島特製の一体型ヒサシ、PS22パンタが強烈な個性を発しています。
EF65PF置き換え直前の関西ブルトレ牽引の姿です。
16号機は原型大窓で一体型ヒサシをつけるというさらに個性的な改造になっています。
1978.9山崎
上記の15号機とほぼ同じ形態を持つ17番。
臨客を牽引して東海道を下るところです。
1979.9千里丘
原型大窓でワイパーWP50化以外は大して手がかかっていない。
早い時期に消えたため、このとき見たのが最後だった。
説明不要の側窓変形機(35、36号機)。
狭前梁にP改造のダメ管が並んでにぎやかです。
長岡の58がEF641000に置き換わったときに早々に姿を消した35号とは対照的に、東海道・山陽筋の最後まで残った。
現在は広島県の個人宅に車体の半分弱が保存されているが、やや荒廃気味とのこと。
1984.8 米原
4両しか残らなかった下関区のうちの1つ。有名な31号の同僚。
つらら切り、汽笛カバー装着は長岡区時代のもの。P改造により関西での20系牽引に活躍した。
1978.6茨木
宮原の58では原型小窓についで多い白Hゴム組。
写真は上り「銀河」(20系)牽引のときのもの。この年の10月にEF65PFと交代します。
後に東海道・山陽の荷物牽引をEF62と交代する際、短期的に多くの58が下関に終結しました。交代完了を持ってほとんどの58は廃車になるのですが、この44号だけは竜華に移籍して紀勢線で活躍を続けました。その際にP改造を鷹取で受けています。来るべき50系牽引に備えてのことでしたが、61年に紀勢線の客レが165系に置き換わったときに活躍を終えました。
1980.7大阪
44号と同様の白Hゴム組。
53.10改正で関西から14系が撤退し、尾久へ回送される時の姿。これにより北陸・北星が20系から14系に置き換わった。
1978.9山崎
原型大窓、ツララ切りつきで人気絶大であった47号。
紀勢線に転じていた43号も同様の形態であったが、ほぼ同じ時期(昭和54年度)に廃車になった。
1979.5京都
白Hゴム組の宮原機。このグループは尾灯も外付け化されているのが特徴。
写真は下り「銀河」(AM8:00大阪着)で同時刻に発車する「まつかぜ1号」との一瞬の邂逅である。
EF65Pの故障のため、急遽ピンチヒッターとして「さくら」を牽引して大阪にやってきた49号。
ツララ切りを持つ浜松の52号。ただし汽笛カバーは無い。
「銀河52号」を牽引する様子。このころの銀河51〜52号は浜松・東京・宮原交代で牽引機を出していたようだ。
1980.7大阪
宮原白H組ながら、あまり印象に残っていない号機。
1979.10摂津富田
宮原白H組ながら、あまり印象に残っていない号機。
元お召し機60号。
浜松区担当荷物列車で結構動いていたはずですが、結局走っている姿を見られたのは2回だけ。
説明不要。
写真は高崎第2機関区での公開時(1985.4)
ツララ切りを持っているが、広島時代につけられたもの(元は原型大窓)。
一体型ヒサシ&黒Hにされた62号ほど崩れなかったのは幸いか。
ブルトレ牽引はすでにEF65に譲っていたが、臨時を牽引してやってきた。
1980.8大阪
PS22ながら原型大窓をキープしていた。
似たような形態になった69号との違いは、避雷針カバーの有無(69号にはついていない)。
こちらは季節運転の「明星」の牽引での登場。
1980.7大阪
原型大窓、ヒサシ付ながら前照灯がシールドビーム2灯化(竜華の特徴)されていたのでしばらくは人気が無かった。他の大窓車が無くなったことで注目を集めるようになった。引退直前に原型に戻されさよなら列車を牽引し、しばらく保存を期待して奈良で保管されていたが、雨ざらしで風化してしまい、解体処分となった。
原型小窓で米原名物のワイパーカバー装着機だが左のワイパーカバーが無くなっている。
原型小窓だが、米原名物のワイパーカバーを装着している。それと当然ながらP改造。
写真は14系「阿蘇」。
14系化された「きたぐに」を牽引する姿。 米原の58消滅後は65PFに引き継がれたが、程なくして583化されて現在に至る。
上の74号同様、片側のワイパーカバーが無くなっている。
原型小窓でワイパーカバーが無い美しい形態は、むしろ宮原形といえる。ただし米原区なのでP改造されている。写真は12系+10系寝台車「きたぐに」。
廃車の時期が早かった83号。
宇都宮にいて検査切れ廃車予定であったものを、ヒサシ付の特徴により全検を受け復活。同時にブドウ色に塗られて「パック」の愛称で親しまれた。同機は東海道線全線電化時にいわゆる「青大将」となり電化記念の「つばめ」の上り大阪発を担当したことでも知られる。
老朽化のため、ついに廃車となったが、大宮工場に93号といっしょに保管され、工場公開時に展示されることがある。
塗り替えられる前、本当はこのまま廃車になるはずで、休車の札を入れて宇都宮に留置されていた。ひさし付きということで復活全検を受けたのだが、身代わりに109号があわれにも廃車になってしまった。
黒Hゴム窓、WP50ワイパーとそれに伴う水切り上昇の浜松形。
淡々と荷物を牽引する姿が、当時はあたりまえの光景だった。
下の写真は、浜松転属前の宮原区時代の原型小窓の美しい姿。
現在は、前窓を原型に戻し、青大将色になって大宮工場に保管されている。
ただしワイパーはWP50で、水切りも上昇させた状態も戻していません。
写真を見て気が付いたのだが、エアフィルターが原型に戻されているのは驚き。
上の93号と同様の形態だが、パンタがPS15である。
原型小窓、原型ワイパー、ヨロイ戸フィルターの宮原形といえる号機。
写真は「銀河51号」。
原型小窓、原型ワイパー、ヨロイ戸フィルターの宮原形といえる号機。
P改造が米原区であることを示している。
原型小窓ながら尾灯が外付けタイプに改造されている。
キリのいい番号で人気のあった100号。そのせいか「サロンカーなにわ」を牽引する機会が多かったようだ。写真は昭和56年に東映で製作された映画「駅〜STATION」のプロモーションで全国を走った「駅」号。20系だが、モノクラス編成でいささか物足りない感じがした。
昭和59年の荷物牽引機交代時にこれも下関区へ渡ったが、SG故障のため期間満了を待たずに戦線離脱してしまった。
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