このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
153系の外房号。
この年の11月改正(上越新幹線開業時)にすべて特急に格上されて全廃。それまで153系と165系が混じって走っていた。もちろん低窓の0番台もあった。
165系の内房号。
リバイバル急行と一見似ているが、ちゃんとグリーン車が入っているし、原型ヘッドライトです。
アンチクライマーも無く、前面強化もされていません。
165系「水郷」。
今回のリバイバルシリーズで唯一含まれていないのがこれ。定期特急に同名の「すいごう」があるからか、運転機会が4日しかなかったからかはよく判らない。
165系「鹿島」。
房総急行は金沢、四国と並んで最後まで急行ヘッドマークを外さなかった。
事情は四国と一緒で外見だけではどこ行きだかわからないので、目印が必要だったため。
165系リバイバル房総急行「外房」
今回のリバイバルは「内房」「外房」「犬吠」「鹿島」が運転された。
撮影には「外房」だけ出かけました。房総リバイバルではついに1日も晴れず、最終日「鹿島」の日には雨が降る始末。この日も薄暗く、ISO100のフィルムを増感して対応せざるを得なかった。
リバイバル第2弾の「草津」。
10月に「信州」(横川行き)が走った後、11月に「草津」「ゆけむり」が運転された。
新前橋の165系といえば、これと「あかぎ」の3系統だったから久しぶりの本業ということになった。
リバイバル第3弾の「ゆけむり」。
これだけは何とか撮っておきたく、SL撮影地として有名な渋川鉄橋前のカーブに行きました。
この場所には大体20人ぐらいが来ていました。私は8時前に現地につきましたが、遅かったかなという感じ。この日は晴れてはいたが濃い雲が出ていて安定しない条件でしたが、「ゆけむり」のころはなんとかバックの榛名山が見える状態になってくれました。
「ゆけむり」の上りを八木原付近で捉えました。
通過時には大分日が低くなっていて、正面も半分が影になり、側面にも家の影が出てしまいましたが、なんとか見える絵になったと思います。
リバイバル「信州」の翌週に運転された臨時快速。ダイヤも「信州」と同じだが、
側面のサボが「急行 信州」のまま
使われていた。
シートはモケットが張り返られている以外に肘掛が別形状のものに取り替えられている。
横引きカーテンがつけられているが、従来の縦引きカーテンも残っている。
田町の167系メルヘン車(4両)+グレードアップ車(4両×2)による長野工場への廃車回送。この他、大宮への回送も行われた。
前年の「信州」「草津」「ゆけむり」につづくリバイバル急行シリーズ。
「ゆけむり」と同じ上野−水上間で「伊香保」と「奥利根」が4月に走った。
最後に走った「伊香保」は臨時でたしか渋川行きだったような記憶があるが、それ以上古いことは調べて見ないとわかりません。
リバイバルはこの後、「わたらせ」(上野−桐生:小山経由)と「妙高」(上野−横川)と走った後、さよならシリーズで大団円を迎える。
オリジナルの「奥利根」については、全く記憶が無い。おそらく43−10の名称統合以前にあったのでは無いか?
新前橋165系によるリバイバル急行シリーズのラストがこの「妙高」(5/25)。
残すところは6月のさよならシリーズということになる。
リバイバルシリーズの好評を受けて、「ムーンライトえちご」を引退した上沼垂の165系を塗り替えてリバイバルに投入。
新前橋のと違い、原型大目玉、前面手すりの段差なし、アンチクライマーなしと限りなく原形に近い外観で、以前走ったリバイバル佐渡や神領の原形ライト車引退でもう見られないと思っていただけに大変うれしいが、おかげで6月の新前橋車の「さよなら165系」シリーズが霞んでしまった感もある。
「佐渡」につづいてカヌ車(大目玉)による「アルプス」が運転された(6月28日〜29日)。
こちらもヘッドマークが現役当時に近いものが用意されファンを喜ばせた。
新宿−松本間が「アルプス」で運転され、その後別列車扱いで快速「なつかしの大糸線」号として白馬まで走った。この列車はヘッドマークなしだった。別列車扱いになっているのは、長野支社扱いで「大糸線」号を使ったツアーを企画するためだったのではと推測している(あるいは指定券収入の増加を狙ったか?)。
新幹線岡山開業で余剰化した153系を用いて京阪神間に走らせた新快速。
その速さと料金不要で急行電車に乗れるゴージャスさで好評となった。
この写真のクハは165系(連結幌取り付け部が出っ張っているのでわかる)で例外的な存在。
低窓の153基本番台の新快速。153新快速の基本形態と言える。
貫通幌取り付け部のステンレス飾りが塗りつぶされている元田町区スタイル。
こちらもクハ153の500番台だが、前照灯がシールド化されているものがわずかに存在した。
このカラーでシールド小灯化されると、湘南色以上にのっぺりした感じになります。
新快速が117系に置き換えられる過渡期には、状態の良い車両を急行用や東海・山陽用に移すために湘南色に戻したものが多く発生し、このような混色編成が頻繁に見られた。それ以前にも予備車の関係で「比叡」「鷲羽」用の車両が新快速に混ざったりはしたが、この時はクハにまで湘南色が入ったこともあった。
ラッシュ時には2編成つなげて12両として快速になって走る。
その時はヘッドマーク「新快速」の部分を3本線のデザインに変わる。
153系新快速の車内。
天井が濃いベージュ色で、側板がラクダ色になっています。これがオリジナルの急行車内色のはずです。12系以降の新系列や更新されて明るい色になった車内に見慣れていると、これがとてもクラシックに感じます。
急行伊豆。この後185系による特急「踊り子」に格上げ統合されます。
格上げの直前には新製配置された185系での「伊豆」も運転され、153系との併結も見られた。(熱海駅)
急行「鷲羽」(新大阪−宇野)。
新幹線岡山開業後は夜行の1往復のみが残っていた。この時は新快速の117系置き換え途上で、新快速色のモハユニットが入っているのが判ります。
80年10月の改正で廃止になった。
「鷲羽」の編成中に組み込まれた新快速色の低窓クハ153。
向かい合わせに原色のクハ500番台がついていて好対照になっています。
控えめに2往復が走っていた。「鷲羽」が廃止されるのと同時に1往復に減り165系モノクラス編成に置き換わるが、それも長く続かず昭和59年に廃止。
このクハは非冷房のままである点、珍しい。
東北本線に走っていた急行「なすの」。
東北筋ということで、仙台や青森方面の列車がメインで、どう頑張っても黒磯までしか行けない「なすの」は地味な存在だった。165系が上信越方面という印象もあり、なおさら印象が弱い。(一部交直流型を使用した列車もあった)
存在は地味だが、編成は堂々としたもの。最大14両編成で走っていた。
その急行「なすの」の最終日。東北・上越新幹線の上野開業で残っていた急行が全廃(一部は新特急への格上)となった。この隣のホームでは「ときわ・奥久慈」号のさよなら(上野発のDC急行の最後)もあった。
2002年3月で廃止された紀勢本線の165系。
この時点で運用は紀伊田辺止まりになっていて、新宮へは顔を出さなくなっていた。
また湯浅や御坊折り返しも多くあった。
元は中央東線の「アルプス」用であったため、モハ164は低屋根の800番台である。
朝一番の列車は電車区から出てくる関係で日根野発になっている。
この写真でみると判るが、前列の戸袋窓が埋められている。
ここにATS関係の機器を設置して2名分の座席を撤去してあった。
朝のラッシュ時には湯浅折り返しの2編成併結列車が走る。
1往復した後、和歌山から日根野に戻り、夜の新大阪発紀伊田辺行き(昔の新宮夜行)になる。
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