このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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本ページは食堂車に関する写真を掲載しております。
「雷鳥」に連結されていたサシ481です。
この車は現在トワイライトエクスプレス用のスシ243に改造され活躍中。(一般ブルトレ用に改造された後、TE用に再改造)
昭和60年1月 新疋田
「白山」用に奇跡の復活を果たした当時のサシ489です。
昭和60年3月で再び食堂車が廃止される直前で、そのせいか業務用扉のガラス破損が復旧されずビニールテープの補修のみの姿が痛々しかった。
昭和60年1月 横川駅
上と同様、「白山」当時のサシ489です。
1〜4まではクーラーはキノコ型クーラーである点、上の5〜と異なっている。
この4号はTE用のスシ242に改造されています。
昭和60年1月 高崎駅
「雷鳥」に充当されていた489系編成中のサシ489。
タイプとしては5〜8号は200番台として製造されているので、上の5号と同タイプで、こちらの写真は調理室側からの撮影になります。
昭和60年1月 京都駅
サシ181−100番台から編入改造された100番台。
車高は481系にあわせて違和感無くされていますが、車内はそのままで、側壁の色がオリジナルサシ481・489とは違って臙脂か茶色の濃い色であることがこの写真からも判ります。
昭和54年6月 大阪駅
クーラーキセがキノコ型の200番台より前のグループ。
上の489−100番台と比べてみると、札挿しの位置、車掌室窓の大きさ、ダクトの配置などが微妙に違うのが判ります。
昭和54年6月 大阪駅
北陸筋での食堂営業では、特別メニューにビーフステーキとか結構コテコテなものを出してくる傾向があったような気がします。
昭和57年3月 大阪駅
「雷鳥」で営業もまもなく廃止されようとするころの様子です。
営業内容は簡易営業で軽食程度のメニューではありますが、このころは営業してくれるだけで有り難いと思っていました。この年の3月には食堂の営業だけでなく、583系の定期運用が無くなってしまいました。
昭和60年1月 福井停車中
急行「佐渡」で非営業で連結されていたビュフェ車。
急行のビュフェ営業は昭和51年に信越本線の「信州」「妙高」が、中央東線の「アルプス」が廃止されてなくなってしまいました。 いずれも特急が長野運転所の181系で食堂車が無かった代わり?に最後まで残ったのでしょうかね。
営業廃止後も全国でしばらくサハシを連結した急行電車を見ることが出来ましたが、昭和52年ごろから一斉に連結廃止され、最後まで残った「アルプス」のサハシも昭和55年でなくなりました。(最後まで残ったのはスキー置き場に重宝したからだという説は確かではない(^^;)
自分としてはサハシの写真がこれしか残っていないのが悔やまれる。実際、この写真を撮った直後に編成からはずされています。
昭和53年3月 上野駅
JR九州の「つばめ」で営業中のビュフェ車内。
残念ながら今年(2003年)2月をもってビュフェ営業が廃止されました。すべて座席車(サハ787系200番台)に改造されますが、天井の照明部分はそのまま残してあるようです。
「まつかぜ1・4号」に最後の活躍をしていた当時のキシ80。
下の写真は同車車内風景です。ほぼオリジナルの姿であることが判りますが、気動車特有の煤けが長年の使用を物語っています。
キシ8026の車端部。全般検査が鷹取工場で昭和59年9月に行われていました(かっては気動車の全検だと高砂工場でしたが、翌60年3月に高砂工が廃止になっておるのでもう移管が始まっていたのでしょう)。
だから全検後の「まつかぜ」としての使用期間は8か月ということになります。故にこの車両は北海道に渡り、最後のキシ(おおとり、オホーツク)に使われました。
「大阪−博多(福知山線経由)」のサボが雄々しいです。
昭和60年1月 大阪駅
営業開始前に車内の写真を撮影しました。3月に食堂車の廃止が決まっていましたが、まだこのころはそれほど同業者の姿は見られませんでした。(でも左側に別の人のカメラが写っていたりしますが。)
このときの車内撮影に使用した機材はニコンF2・FM2(旧)にNikonLensSeriesEの35mmF2.5でした(ニッコールに非ず)。
昭和60年1月 まつかぜ1号車内(宝塚駅停車中)
上の車内写真を撮っていたら、食堂長の方に声をかけられ、「今日で退職される方がいるので記念写真を撮ってほしい」と頼まれたときのスナップを紹介します。
食堂車の厨房を堂々と撮影したのはこれが最初で最後でしょう(笑)。
普通の家電用のジャーが使われていたのが意外でした。
カウンター側でクルー全員での記念写真を撮らせてもらいました。
日食米子の方々です。「まつかぜ」では米子で全員交代していました。
後ろの棚に見えるアサヒビールのラベルも懐かしいです。
後日この写真をお送りしたら丁寧なお礼状を頂戴しました。博多まつかぜの廃止直前は大勢のファンでにぎわっていたとのこと。
もうこのときから17年経ってしましました。
「まつかぜ1号」で営業中の様子。
ビールのラベルも懐かしいデザインです。
昭和60年1月 まつかぜ1号車内にて
同じく、「まつかぜ1号」のキシ80です。
昭和57年6月 大阪駅
白黒しかなくてスンマセン。
80系時代の「くろしお2号」(天王寺→名古屋行)の食堂車内です。
上の「まつかぜ」と室内から醤油ビン一輪差しに至るまでほぼ共通ですが、こちらにはカーテンがあります。
「くろしお」は日食和歌山の担当でした。
キシ803の車番部です。
そばに見えるサボ入れには、「名古屋行(伊勢線経由)」のものも見えます。(急行紀州用かな?これも新宮電化で無くなってしまいました。)
昭和53年5月 天王寺駅停車中
・「くろしお」食堂車のコックさん達
写真を撮ってもいいですか?では無く、声を掛けられて「写真撮ってくれ〜」と言われた時のモノです。出来たら日食和歌山へ送ってねと言われましたが、酷いアンダー(露出計の無いKonica IIaだったので←言い訳)だったので、送らず仕舞いでした。デジタル作業で補正掛けまくってもこのレベルです。
昭和52年当時の、どこにでもいるニイちゃん達って感じですね。今はもう50代後半ですかね。
昭和52年11月 天王寺駅停車中
・オシ243
大宮工場から試運転で高崎までやってきたオシ24。
検査明けらしく、塗装が綺麗なのですが、そのせいで反射がきつく隣にいた115系が映ってしまいました(笑)。
昭和60年3月 高崎駅
北斗星1号運転初日の食堂車内の様子です。
営業開始前、しかも予約制での営業第1回目ということか、厨房付近では関係者が固まって何やらやっています。営業が始まると、やはり不慣れな点もあってか少しバタバタしておりました。
反対側から見た様子。
最初の頃は、コース料理で一番安いのが3,000円からありました(ビーフシチューセット)。
初日に乗って、食堂車の予約をそれにしたのですが、シチューの具がとても大きな肉の塊であったことを思い出します。
テーブルの様子。食器・クロスがコース用に準備されているのも、ここが初めてだった。
テーブルライトの傘の赤色は、外から見るととても映えて見えますね。
昭和63年3月13日 北斗星1号
車番は失念しましたが、「さくら」で営業を行っていた頃のオシ14。
シンプルを通り越して殺風景な感じで、このころのメニュー内容もかなり寂しく、終焉間近を感じざるを得ませんでした。
平成5年 1月 「さくら」車内(朝)
最初のグレードアップ食堂車「あさかぜ1号」用のオシ24700番台。
この1月一杯で食堂の営業が廃止になってしまいました。メニューも精一杯の贅沢をしてもビーフシチュー定食で、寂しい状態でした。
写真では夜のように見えますが、未明の朝食準備中の様子です。
「みずほ」が廃止になったときに、14系基本編成が「さくら」の佐世保行編成に回り、「さくら」はAネ・食堂車を2両組み込む豪華編成になりました。無論オシは食堂営業していませんが、レジの所に車内発売用のメニューが見えます。コーヒーや電子レンジ加熱によるタコ焼きなどが販売されていました。灰皿なども備えられてロビー・喫煙所としての機能を果たしていたようですが、平成12年に佐世保行き廃止、「はやぶさ」併結化により食堂車連結廃止となりオシ14は全車廃車となりました。
平成11年 8月東京駅
こちらは佐世保行き編成中のオシ14車内の様子です。
長崎行き編成と共通運用ですので、販売用のメニューは貼ってあるようですが、加熱調理販売は長崎行き編成のみでの実施のようで、こちらは完全な車販基地となっています。
平成11年 8月東京駅
普段は閉め切りで展示されているオシ17ですが、鉄道記念日に特別に公開されたのを狙って訪問しました。
オシ17といっても、実質は教習車オヤ17に改造されたままで、
内部の教習機器
はそのまま。 昔の食堂の一部が教習室として残されています。テーブルや椅子はオシ17に使われていたものです。オシ時代の冷房装置は撤去されて外付けの冷房機が取り付けられていますが、今となってはそれも貴重です。
元の休憩室から食堂へ入る扉がオシ時代のものが残っています。オシ17若番台のアルミ製と違い、サシ151のものとデザイン的に似通ったものとなっています。
ドアの向こうの休憩室は、オヤ改造のときにデッキに改造されました。
食卓と椅子です。オシとして手入れが行われなくなった上に廃車されてからもかなりの時間が経過しているために、特に椅子はかなり汚れています。
床のリノリュームも薄くなったのかヘタっているのかで、木張りが透けて見えてしまっています。
天井は全くオシ時代のままで、間接照明の部分も残っています。
天井の多孔板も少し汚れているが、割と程度が良いです。
これで見ると、薄緑色を多用した時代であったと思っていてそういう印象があった車内も、実際にそういう色になっているのはテーブルだけだということがわかりました。
外に出て車体を下から見てみました。
台枠がタネ車のマハ29(旧マロネ37)で、リベット打ちが見えます。
床の木張りもはっきり見えます。
台車(シュリーレン台車TR53)には高砂工場製の銘板がついています。
2002年10月14日 横川・碓氷鉄道文化村
98年2月に保存中のスシで食堂営業を行うということで、久しぶりに車内を開放されることになったので行ってきたときの写真です。
実車はもともとスハシ38 102という半車食堂車で、急行「日本海」に使われていたもの。オシ17に置き換えられて廃車になったものを交通科学館(当時)の食堂営業用に全車食堂車に改装されてやってきたものです。改装に際して館内営業用ということでオリジナルとは違う2×2の配列になっている他、照明の形状はオリジナルのスシとは異なる。
食堂内部のほか、写真の車端にあるテーブルや休憩室も整備されている。
ちなみに食堂利用者の入場のために、スハシ時代のデッキが残っている。
(写真左に写っているテントがデッキへの階段の部分)
1998年2月 交通科学博物館
上のスシと違い、こちらは正当な全車食堂車。
残念ながら老朽化とかで解体され、ナシ20 24と入れ替えられた。
同じころに青梅に保存されていたスシ28がED16の置き場確保のために解体されてしまい、戦前型オリジナル全車食堂車はなくなってしまう。
全車スシにはデッキが無いので、食堂利用客はとなりのスシ28301から乗車する。
昭和54年10月 交通科学館
上記マシ29の代わりにやってきた20系食堂車。
もともと品川客車区で用途廃止後放置されていたナシが3両ほど放置されていたようだったが、そのうちの1両ではないかと思う。
車内はやや手が入ってオリジナルの雰囲気は希薄になっている様子。
たとえば椅子は籐製のようなものが使われている。
1998年2月 交通科学博物館
2009.7.25:「キシ8026車端部」「キシ803車番」「くろしお食堂車のコックさん達」写真追加
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