このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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 グリーン車博物館 

・サロ189−102(中央ライナー用)

 中央・青梅ライナーに運用されていたときの183系グリーン車。ちなみに中央ライナー券は普通車500円に対してグリーン車は700円と大差無いので、(絶対数が少ないこともあるが)グリーンから先に売り切れる。
 中央ライナーに充てられる183系のグリーン車は、床面UPに2+1列シートの、いわゆる「グレードアップ」車で、特に1人側(C席)が取れると実にゆったりとした通勤が出来るので、指定して取ることは出来ないがGETした時は思わずガッツポーズが出ましたね。
 写真のサロ189−102は、ナンバーが切り抜きで無くペイントになっており、何となくだが残り寿命の短さを感じたものです。結局2008年に新型車に置き換えられてお役御免となった様子。同時に183・189系のグリーン車が完全に途絶えた事になります。(485系改造車を除く)

撮影:2004年1月 中央本線 八王子駅




・クロ381−12(改造展望クロ)

 この時すでに神領区の381系は定期運用は無く、臨時の「しなの」と季節列車に格下げされていた急行「ちくま」に使われていた。「しなの」の方も大糸線乗り入れの5号と松本止まりの85号があったが、最後は「しなの85号」のみになり、2008年には全車引退となった。
 名古屋から八王子へ行く際に、新幹線を使わず在来特急だけでのんびり行くことにして、西線側を381系しなののグリーンに乗る、とい作戦を実行した。(東線側は、これも今は無き185系「はまかいじ4号」)
 特に希望したわけでは無かったが、指定席は運良く先頭の助手席側の「1D」が取れた。なおグリーン料金節約のため、多治見→塩尻間の乗車とした。
 クロ381−12の車内は、色使いは昔の0系グリーンの様な感じだ。最近の柄入りの派手な(でも普通車との優位差が感じられない)モケットと違い、グリーン車らしい感じが好ましい。
 展望室は数人の入り。しかも鉄分濃厚と見える(笑)。展望室で無い側のグリーン室は、自分が確認した限りでは無人のままだった。
 眺めと言えば、雪の量は中途半端ではあったが、展望グリーンなりの迫力は楽しめたと思う。

撮影:2005年1月 中央西線 塩尻駅



・151系の1等座席
サロ169−18 には「こだま型」の1等シートが流用されていると聞き、横川でキャッチしました。 肘掛け下にイヤホン接続口を塞いだ跡が残っています。 座席全景写真 はこちらです。

撮影:昭和60年1月 信越本線横川駅

・グリーン帯
 急行や快速がやってくると、グリーン車が通り過ぎる時にグリーン帯が一瞬煌く。
 グリーン車に対する憧れの瞬間ですね。しかしその帯を省略するという暴挙をやってしまった。
 後のJRでのどハデ塗装を見ると、一層グリーン帯が懐かしくなってしまいます。
 そこで今回帯付きグリーン車写真を一挙公開します。

(写真をクリックすると大きいサイズで見ることができます)

(1)サロ110−901
 ステンレス試作車。写真は最晩年の姿で冷房搭載されている。自動式方向幕の準備がされていたが結局使用されずに廃車になりました。(写真は出たてのエクタ400を使ったのですごく粗いです(^^;)
 サロ110は特急普通車のロマンスシートと同じモノ(背もたれにテーブルの付いているタイプでリクライニング無し)でモケット色だけが臙脂色のものでしたが、それでもきちんと整備された車内でゆったりとした雰囲気はグリーン車としては十分の格式であったといえます。今のサロ110−1200番台なんかひどいもんです(紙のシートカバー、汚い車内、掛かり心地の悪い簡易リクライニング)。

撮影:昭和55年6月茨木駅


(2)キロ28 160
 四国(宇和島)で撮影しました。四国はキハ65により冷房電源確保されていたため、電源車改造(2000番台)されないで残ったものが結構あったようです。
 後に急行のグリーン車を全廃して普通車指定席として使用された時期もありましたが、急行自体の全廃もあり今は思い出です。
 蛇足ながら、四国の車両は多度津工場のお守りがいいのか全体的にきれいで車内もシャキっとしていたので周遊券での急行乗り放題の旅は楽しかったですね。

撮影:昭和55年8月宇和島駅

(3)サロ455−23
 急行「立山1号」使用中の姿。回送運転台が目立ちます。
 この少し前(昭和52年頃と記憶している)までサロ2両+サハシ455(非営業ですが)という偉容を誇っていましたが、サロ1両のみになって寂しくなってしまいました。昭和57年11月改正で455の急行が全廃(「ゆのくに」廃止、「立山」は夜行以外は特急格上げ、夜行も特急形使用に変更)されて大阪で姿を見ることが出来なくなってしまいました。

撮影:昭和55年6月大阪駅

(4)サロ165−67
 急行「鷲羽」使用中の姿。新快速が153系から117系に置き換えの時期で、余剰車が急行に帰り咲いて組み込まれています。黄色の東海道急行サボが非常に懐かしいです。上り「鷲羽」は一旦新大阪から向日町に回送してそこから宮原に戻るのですが、何故かそのとき先頭にクモニ83を連結してくるのです。
 55年10月改正で「鷲羽」が廃止、同時に最後に残った「比叡」も165系モノクラスに置き換わり、ありし日の東海道急行の姿が見られなくなってしまいました。

撮影:昭和55年6月大阪駅
(5)サロ110−34
 (1)の901同様に関西の快速列車用として活躍してきた近郊サロですが、利用率の低下で昭和55年6月でグリーン車廃止となり、9月中頃までに外されました。写真はクリーンとしての使用が廃止され、連結廃止までの間普通車として開放されていたころの姿です。サロ110の他、サロ113も使われていましたが、これは関東に転出していきました。(サロ112はとっくの昔に廃車済)

撮影:昭和55年6月大阪駅
(6)スロフ81 2107
 お座敷に改造されたスロ62(スロフ62)の姿。冷改スロは電源用に1両単位でディーゼル発電セットを持っていますが、さすがに6両全部がフル動作すると結構にぎやかでした。写真の編成は長野局のものです。これも後には帯が廃止されています。
撮影:昭和54年6月大阪駅
(7)スロ62 2052
 夜行列車に連結された客車グリーン車最期の姿と言って良いでしょう。写真は「鳥海」使用時のもので、もはや車体の傷みは限界まで来ています。グリーン料金を頂くのが申し訳ないんじゃないかと思えるほどです。この後1回外装の塗り替えが実施されていますが、その時にグリーン帯を喪失してしまいました。
撮影:昭和56年8月秋田駅
(8)サロ111−1007
 サロ110はサロ153の改造であるのと違い、サロ111は111系オリジナルで、台車もコイルハネ式のものを履いています。
 それとサロ110との違いは車掌室が無いことです。この対策を兼ねてサロ152に押し出されたサロ153が改造でサロ110に改造されて111とペアを組むことになったわけですね。総武地下線乗り入れ改造で1000番台に改称されました。この写真は横須賀−総武乗り入れになる前に東京駅9番線にスカ色がやってきた思い出ショットです。

昭和55年4月 東京駅
(9)サロ113−1005
 成田空港開港に備えて準備された近郊型グリーン車。サロ110〜111に比べてフルリクライニング仕様、シートピッチ拡大などはるかにグレードアップされたアコモとなっている。成田空港開港が遅れたため、東海道線に充当されたが、そこではグレードアップによる定員減が不評となり関西に回ってきた。(その代替で開発されたのがサロ110−1200番代で定員は増えたが、簡易リクライニングシートというショボイものであった。)

昭和55年5月 東海道線山崎


・珍車キロハ28 1
 急行「阿波」用としてキロ28を改造した半車グリーン車がキロハ28です。
 これも登場時はロ室部だけのグリーン帯を巻いていたそうですが、私が訪問したときにはすでに帯は消えていて見ることは叶いませんでした。ロ室の定員は3区画分24人とこじんまりしています。(写真中)。また特徴として、ハ室に設けられた引き戸を開けるときに人にぶつからないように端部の座席は肘掛けが撤去され独特な仕切り板が設けられています(写真右)。後に急行グリーン全廃に伴い、キハ5300番台に改番されたのち廃車されました。後に「砂丘」用として再登場しましたが、国鉄テイストの初代に比べて飾り立て過ぎて私はあまり好きではありませんでした。
 写真は「阿波」ではなく、夜行「鷲羽」乗り継ぎの宇高連絡船に接続する徳島行快速列車です。ロ室も普通列車自由席グリーンとして営業していました。

 撮影:昭和55年8月 高松駅停車中

(写真をクリックすると大きいサイズで見ることができます)



・後世に残る1等表示
 急行「赤倉」に連結されていたキロ28の中に、扉のすりガラスの表記が「1等」のままで残されていたものがありました。たまたま新潟から長岡へ行くときにわざと選んで「赤倉」に乗ったときに目撃することが出来たのが右の写真です。
 手前の引き戸に「1等」表示が残っています。
 DC時代の「赤倉」は最後までキロを2両つないでいたことも印象的でした。

写真:昭和57年3月 急行「赤倉」にて


・優等客車だけのドア上車種表示
 優等客車(ロやネ)にはドアの上に車種を示す電光式の表示灯がありました。これは電車・気動車にはついていない客車だけのものです。
 この中で「グリーン車」表示はスロ62廃止で見られなくなってしまいました(寝台車の場合はブルトレに継承されている)。
 文字の左側にはグリーンマークがあるのですがつぶれて見えなくなってしまっているのが残念。
 白熱灯の灯かりがほんのりとしている表示灯は風情があってよかったです。

 昭和57年3月 急行「能登」


・キロ25改めキハ26415

 キロ25はグリーン車となる前にキハ26400番台に格下げされていますのでここに載せるべきものでは無いのですが、まあいいでしょう(^^;
 車内はサロ110などに使われた回転クロスシート。写真は電化前の草津線(柘植行)に組み込まれた時のもので、他に山陰・福知山線でも使われていましたので、たまたまこれにあたるとラッキーだった記憶がありますね。ただ通勤輸送では使いづらいためか早い時期に淘汰されたようです。
 九州では室内を全ロングシートに再改造し600番台になったものもあり、これは比較的長寿を保ったはずです。
 昭和50年ごろの福知山線は客車にスハ44(元特急車)が入っていたり、気動車はこの元キロ25が入ることがあったり(キハ17だと超がっかり)とすごい優雅な旅が出来たものです。(両方とも乗ったことがありますが、特にスハ44の時は「何か料金が要るんですか?」と聞いてしまったほどです。)

 昭和53年4月 京都駅にて


・サロ改造のクハ455−603
 急行廃止でサロが余剰となり、短編成化でクハが不足する。この両方の問題を一度に解決する手段としてサロのクハ化がいくつか行われた。もともと急行廃止後の転用を見こんでクハ比率が高く設定されていた直流165系は先頭車化クハは登場しなかったため、交直流型のみの発生となった。その中でグリーン車時代の形態を色濃く残しているのが本車である。側窓は下降窓のまま残り、シートも元のものを活用しているが、シートのリクライニングレバーは撤去されて(と言いたいところだが実は残ったままの椅子が1つあったりする(^^;)フットレストも外されている。またシートの回転機構は効かなかったと記憶している。モケットは普通車用の青に張り替えてあるが背面の小物入れ網は元の臙脂色という、なんともちぐはぐな格下げ改造である。
 改造手法的にはクハ77であるが、車内の様子は四国へ渡ってからのスハフ43を思い出させます。(単に向かい合わせで固定しているところだけなんですが(^^;)
 他にも同類の改造クハはあるが、下降窓を存置したまま改造されたものは数少ないので、特に狙って撮影したものです。

 平成 4年1月 熊本駅にて


・特急グリーン車の車内(サロ481)

 縞模様の入ったローズピンクのモケットが特急グリーン車の証。
 すべての特急用サロは細かい差を除けばすべてこのデザインでした。気動車のキロ80は急行と同じ臙脂一色だったのがなんとなく不思議な感じがしたものです。
 今は、色彩面で普通車との差があまり感じられなく、「車内に入っただけで雰囲気が違う」という昔のグリーン車の感覚が余り感じられないのが残念です。

・サロ113の車内

 フルリクライニングシート仕様のサロ113の車内です。
 乗客が背もたれを倒してくつろいでいる様子がわかると思います。これはサロ110-1200番台では到底出来ない芸当です。
 

・サロ110−6の車内



・サロ165−103の車内

 急行「よねしろ」(上野−直江津間:長岡経由)で撮影したサロの車内。
 一番上にあるサロ169とほぼ同時期に撮影したのですが、背もたれの白カバーの長さと肘掛の覆い方に相違があるのがわかります。所属の長野運転所(169)と上沼垂(165)の違いだったのでしょうか?
 「信州」や「佐渡」に比べて名前がマイナーだったのか、グリーン車だけでなく全体に乗車率は悪かった。
 
 折角なので、サロ165−103の外観写真も掲載しておく。
 もちろんこの時期ではグリーン帯など残っていないが、その痕跡ははっきりと確認できる。
 よく見ると、窓上部にあるはずのひさしが無い。(上にある67号と比較してみてください。)
 車体の傷みは、もう限界まで来ている様子。

 昭和60年1月 直江津駅


・帯び付きサロ2両連結の「佐渡」

 高崎駅を発車した急行「佐渡」。サロ2両にはまだ帯がついています。
 時期的にはサハシをはずされた直後。それでもフル編成12両は貫禄があります。
 後ろから4両目にクハ・クモハにはさまれた中間車がポツンと入っているのがわかります。これがサハシの代わりに入ったサハでは無いかと思います。

 昭和55年3月 高崎駅  


・関西快速のグリーン車

 昭和55年限りで関西の113系からグリーン車が外されたが、グリーン帯廃止とちょうど重なり、車両本体が編成から抜かれるまでの間、帯を消されたものと残ったものが混在していた。

 昭和55年3月 茨木駅


・「きたぐに」のスロフ62

 特にコメントは無いのですが、この写真を撮った直後の53−10改正でグリーン車が外されてしまい、「だいせん」の20系化もあって大阪で特ロを見ることが出来なくなってしまいました。


・グリーン硬券コレクションしりーず

(1)急行「能登」(昭和57年)

これは私が自分で使った切符です。
スロ62の最期というので無理して乗ることにしたのですが、金沢駅の窓口を見るとなんと指定券の硬券が置いてあるではないか!(当然ながらマルスは稼働している)。頼み込んでマルスで指定をとってもらい、硬券に書き写して作ってもらいました。ところで何故始発の金沢ではないのかというと、魚津から料金が安くなるだけのことです(笑)。それまでは普通車自由席を周遊券で乗っていました。

(2)尾道→大阪市内グリーン券
指定券とグリーン券が別々だったころのものです。裏面を見ると大阪市内だけが途中下車無効となっているということは、1枚のグリーン券で何列車も乗り継ぐことが出来、しかも途中で駅から出ることも出来たわけです。これは1・2等級制の名残でしょう。後に指定券と同券片となり1列車のみ有効という形に変わります。


(3)特急「ひばり」

距離(料金)によって切る位置を変えるタイプの指定席券です。
注目すべきは、号車指定に「A6」と書かれていることです。これは(2)で見たようにグリーンと指定席券が分離していたころ、グリーン車の指定券には号車に「A」とつけていたときの名残です。

(4)急行「ざおう3号」

 上野駅発行という点でも貴重な硬券です。見ての通り乗車当日の発行になっています。当日券に関して上野乗車の分を機械から取り出して発売する分として硬券を使用していたのでしょう。なもんで「ざおう」とだけ書いて3号の記入を省略しているんですね。
 東京出張が長引いて帰るのにつらい時間になってしまったんで、せめてグリーンでもという光景が目に浮かびます。いまでは東北本線では夜行で23時台の座席特急・急行はなくなってしまったのでこういう贅沢はできなくなってしまいましたね。


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