このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
横川情景
廃止された横軽を回顧してみました。
昭和60年、3月に東北・上越新幹線が上野開業を果たし、同時に在来線に残っていた特急・急行がほぼ全廃されてしまった。 写真は長野行き急行「信州」で、これも廃止された列車のうちのひとつ。残された夜行「妙高」も特急車両に置き換えられて、169系の急行は横軽から消えた。
「あさま」の方は急行を吸収する形でさらに増発が進んだ。時間短縮の努力も絶え間なく続き、最終的には3時間を切るまでになり、長野への大動脈の役割を果たしていた。この時点で、新幹線に取って代わられるなど全く考えもしなかった。廃止される12年前のこと。
この写真もミラーの500mmを借用しての、単なる試し撮りだった。
廃止を間近に向かえた97年の夏に久しぶりに横川に訪問した。
上り「あさま」が峠を降りてきた。この少年も最後の碓氷峠の夏を思い出すことがあるだろうか。ひょっとすると単にノロくて乗り心地の悪いところがあったなぁ、ぐらいかもしれないが。
信越回りで金沢まで向かう「白山」は最盛期には3往復を数えたこともあり、新幹線大宮開業時には食堂車奇跡の復活劇もあった。最後は独自色の専用車両を与えられての1往復となった。
この専用車は国鉄色に戻され、「能登」に活躍している。今や貴重なボンネット車として人気が高い。
モントレー色に塗り替えられた新前橋の165系が峠を上がっていく。しかし169ではないので協調運転は出来ない。この車両は湘南色に戻され、リバイバル急行に活躍をはじめる。「信州」号として横川にもやって来る。
上りの「あさま」がまた降りてきた。
廃止間近といっても、閑散化して無くなるわけではないので活気がある。
EF63の何両かが茶色に塗られたが、私としてはこっちの色のほうが好きだし似合ってると思う。
説明不要の「おぎのや」。
横川到着するやいなや、待っていた乗客が降りてきてワゴンに群がってくる。
現在の横川駅でも釜飯は売店で買うことはできる。しかし、発車していく列車に売り子さんが最敬礼する光景はもう見られない。
久しぶりに横川を訪れた。
快速「碓氷号」として165系が上野から直行するので、乗ってみたくなったのだ。
車両は新前橋の波動用で、上の写真にもある最近までモントレー色だったのを引退間近ということで湘南色に塗りなおしたもの。つい1週間ほど前にリバイバル急行「信州」で横川にやってきたばかり。
今回はごく普通の臨時快速としての設定なので、ヘッドマークはなし。ただ、ヘッドマークをつけていた頃の信越急行を知らない自分としては、無い方が懐かしい感じがする。
後でつけられたアンチクライマーがどうも邪魔だ。
側面のサボはリバイバル「信州」で使ったものをそのまま掲出していた。
今回は急行では無いので誤乗の危険性があるのではと思ったが、「碓氷号」自体もお祭り列車であるし、軽く受け流されていたようだ。
横川の昔ながらの屋根に、165系の急行塗色(上側の緑の部分が太い点)がよく似合っている。
当然だが補機の連結も無く、ただ終着の静寂が漂うのみ。
「碓氷号」は下りのみの設定で、到着後しばらくして新前橋へ回送されていった。
鉄道文化村では、最近国鉄色に塗り替えられたクハ189が懐かしい表情で出迎えてくれる。横川駅に半ば放置されている元あさま189系編成も整備してほしいと思う。もとの下り列車到着ホームに、廃墟のようになっていくのを見ると本当につらい。
(1985.1)NikonF2 PhotomicAS,tamron 500mmF8,Nikkor50mmF1.4
(1997.8)Canon EOS5,EF200mmF2.8L
(2002.10)Nikon NewFM2,AF Nikkor28mmF2.8、Ai Nikkor50mmF1.4S
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