このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

207系

207系はJR西日本通勤型車両のスタンダード型としてまず試作車(F1編成)が1991年(平成3年)に登場、その後量産車が3両と4両で増備され、片町線(学研都市線)と福知山線に投入された。制御方式はJR西日本初のVVVF制御。のち1994年(平成6)には1000番台が登場、東海道・山陽緩行線でも運用を開始、一旦103系を追い出した。その後、2002年(平成14)にはIGBTインバータ制御の2000番台が登場し、車椅子スペースの新設や転落防止幌の取り付け、M車には通風口がつけられ、1000番台以前とはとは異なる。また2000番台の2次車が2003年(平成15)に製造され、2000番台1次車とは異なり窓ガラスのUVカット化で緑ががったものに仕上がっている。この増備により207系の製造は終了したが、2005年(平成17)4月の福知山線脱線事故により7両が廃車(※)、脱線車両のイメージがあることや事故遺族や負傷者の方々への配慮から青と紺の濃淡のラインが2005年11月から順次紺とオレンジのラインのものにへと変更された。2014年(平成26)には体質改善工事が実施され、先頭は321系に準じブラックフェイスとなり、車内はバリアフリー改造が実施された。

207系試作編成

試作編成、F1編成。登場時から7両固定編成で量産車と違い、連結器やスカート形状も異なる。また乗降扉も当初は連続窓風に仕上げられていたが、現在は量産車と同じものに改められている。なおこの試作編成がラインカラーの変更が一番最後に行われた。

2006年1月、尼崎にて

207系2000番台

2005年(平成17)11月下旬以降車両にある濃淡の青紺のラインが現在のオレンジと紺のラインに変更されていった。今はすべてこのラインのカラーで走っている。画像は2000番台1次車のトップナンバー。2000番台1次車は2次車よりも少なく、207系の中では少数派。

2007年5月、尼崎にて

Z22

体質改善車第1編成となったZ22編成。先頭はブラックフェイス化され、ヘッドライトもHID化され、運用番号表示撤去と行き先LEDの変更がなされた。

2014年11月、岸辺にて

207系の様子

100番台快速木津ゆき 旧カラーにおける100番台。学研都市〜JR東西線〜福知山線では快速運用にも充当される。画像は2005年6月、伊丹にて
1000番台普通新三田ゆき 1000番台は当初、東海道・山陽緩行線で6両と2両でデビューした。のちJR東西線開通に合わせ編成変更をし3両と4両になった。画像は2004年8月、三田〜道場間にて
1000番台新快速西明石ゆき 207系新快速は神戸ルミナリエ臨の深夜に設定されていたことがあったが、2002年(平成14)6月のワールドカップ臨で夕ラッシュに運転された。画像は2002年6月、塚本にて
1000番台快速西明石ゆき 2002年(平成14)ワールドカップ臨で上記の新快速のほかに快速も運転された。東海道〜山陽線での207系による快速は珍しい。画像は2002年6月、塚本にて
2000番台2次車先頭、現ラインカラーと旧カラーの混色快速同志社前ゆき 2005年(平成17)11月以降に登場の現ラインカラーの第一弾編成。後ろは旧カラーのため、一時的に混色が多数見られた。画像は2005年11月、伊丹にて

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