このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 東武線の「新船橋駅」前の道路を右に出て高架
橋をくぐって少し行くと「日本建鉄工業」の工場があ
ります。
 かつては軍需工場で、戦闘機「雷電」や「零戦」の
部品を作っていたそうです。
 この写真は、遺跡かどうかは判りませんが、「な
んとなく古そうだなー」と思って撮影したものです。
 そのまま工場の回りの道を進むとコンビニの近く
の畑に、「海軍の境界石」が残ってました。

 この近くの小学校にも残っているそうですが、敷
地内には入れませんので、周りの道から探しまし
た。
 残念ながら発見できませんでした。
 「行田公園」内には、「船橋無線塔記念碑」があり
ます。
 記念碑に刻まれた文を拡大しました。 無線塔は昭和16年に完成し、昭和46年に解体されたそうです。
 無線塔跡の周辺道路は、地図や航空写真で見る
と楕円形になっています。
 何か遺跡が残っていないかその道路を一周しま
した。
 他にもまだあるかも知れませんが、見つかったの
は「境界石」1つだけでした。
 JR武蔵野線と交差する付近の畑の草の中に埋も
れていました。
 中山競馬場の近くに「熊野神社」があります。
 この入口に「一億一心」と刻まれた石塔がありま
す。
 

 横には、紀元2600年と刻まれています。
 中央の木は掲揚台だったそうです。

 中山競馬場の裏には「馬頭観音」が集められて
います。

 戦時中の中山競馬場は、学徒動員で、血清を作
るために馬の血を抜く仕事場となっていました。
 動員された学生たちはこの観音にお参りしたそう
です。

 この場所から北に進めばJR船橋法典駅に着きま
す。


 今回の歩数は約17000歩でした。
 
 再度この地を訪れ、周辺を歩きました。

 新たに「海軍境界石」を発見しましたので報告し
ます。

 行田公園東口近くに「諏訪神社」があります。
 送信所を作るために、農地を半ば強制的に接収
したそうですが、この部分だけ神社を避けるように
道が曲がっています。
 「帝国海軍」も神様を恐れていたのかも(^^;)

 


 
 
 このすぐ近くのバス停脇駐輪場に「海軍境界石」
が残っていました。

 前回見逃したのが不思議です。
 
 そのまま10分ほど円周道路を歩いて行くと、
小さい畑の中にも「海軍境界石」がありました。

 

 以上 追加報告でした。

 今回の歩数は、約10000歩でした。

 追加報告
 追加報告その2
 
 環状道路南側。南南西に走る道路 1本目を左
折。(マルヤ西船橋店近く)右側の畑に「海軍境界
石」がありました。
 以前の探索では、海軍とその波マークが彫られ
た石を発見しています。
 今回の石は、材質も異なる様ですし、文字も
「海軍用地」と彫られているようです。

 工場に関係するのか軍用道路に関係するのかは
判りません。
















  これも近くにあった石ですが、関係あるかは判
りません。
2008年2月再再度この付近を歩いてみました。
新たな遺跡を発見しましたので報告します。 
 
 

 更に道を行くと「許可ナキ者ハ入ル可カラズ 海
軍省」と書かれた石が門の両側にある民家があり
ました。

 これも、移設されたのか、元々の場所なのかは
不明です。

 こんなに大きい軍関係の石は初めてみたので驚
きました。


今回の歩数は10,654歩でした。
戦争遺跡を歩こう

東京無線電信所船橋送信所跡

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有名な、「ニイタカヤマノボレ1208」を送信した海軍電信所跡地の一部は、千葉県船橋市にある「行田公園」になっています。
この公園には現在、記念碑程度しかありません。
しかし、周辺にはまだ戦争の遺産が残存しています。
今回は、この周辺を訪ねました。




























































































































































































































































































































































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