このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 JR新茂原駅を降り、駅前の道を行き
ます。

 駅前に写真のようなモニュメントがあり
ました。説明には特に書いてありません
でしたが海軍基地があったことと関係す
るのでしょうかねぇ・・・?

 
 道を進み、左折します。
藪の中にひっそりと掩体壕がありまし
た。
 人目に触れるのを避けるかのように
見えたのでこれは掲載しません。


 道を進んで行き、信号機の手前の道を左
折すると一つ目の掩体壕がありました。
 駅前の道からもチラっと見えますが車庫
として使われていたので写真は掲載しませ
ん。

 更に道(県道茂原環状線東郷支線)を行く
と右手の畑の中に2つ目の掩体壕が!近く
には「杉屋団地」バス停があります。


 下は正面からと横からみたところです。
横から見ると壺みたいです。
 看板のある道を右折して歩いて行くと掩体壕があ
りました。

 下は掩体壕の説明板と掩体壕の後ろから覗いた
写真です。
 再び駅前の道を行きます。

 今度は左側の畑に掩体壕が見えてきました。
 畑の脇の道を回りこんで左へ行きます。
上の掩体壕を脇から見た所です。
 畑の脇の道を回りこんで左へ行きます。
上の掩体壕を脇から見た所です。


 更に左折するともう一つ掩体壕がありました。
 右奥に見えるのが前の写真の掩体壕です。
 県道茂原環状線東郷支線に戻ります。
 敷地内なので写真は掲載しませんが、道の右側
にある大きな家の敷地に掩体壕が見えました。
 
 更に道を進んでいくと「旧東郷小学校跡記念碑」
があります。
 茂原航空基地建設のため移転を余儀なくされた
のだそうです。
 記念碑の裏に説明が彫りこまれていますがまだ
らに変色してかなり読みづらくなっていました。
 

駅前から延びる道へ戻り更に進むと
「掩体壕」の看板が見えてきます。
 先ほどのひっそりとした感じとの落差
を感じます。
掩体壕の案内板
掩体壕を挟んで県道茂原環状線東郷支
線の反対側にも案内板がありました
 「旧東郷小学校跡記念碑」のある道を右折します。
さらに右へ回り込んでいくと右手の民家の敷地内に8
つ目の掩体壕の背面が見えます。


 今度は県道茂原環状線東郷支線の左側を探索しま
す。
 細い道を入って行った農地に車庫代わりに使われ
ている掩体壕がありました。

 あと二つも見つけたかったのですが日が暮れてきた
ため中断します。

 この日の歩数は約15,000歩でした。
 翌日、案内板のあった掩体壕近くの民家の裏手に
に10個目の掩体壕をみつけました。
 こちらは横から見ると大小の円筒を重ねたような形
をしていました。

 掩体壕は全部で11基ある、と資料にあったので更
に探したのですがみつけられませんでした。
 それらしい場所に気になる藪があったのですが畑の
中だったので近づけませんでした。
 左が気になる藪です。・・・違うかなぁ?
 県道茂原環状線東郷支線を東に進んでいくと十字
路があります。
 この交差点から南へ伸びる道路は海軍道路と呼ば
れていたのだそうです。
 海軍道路を南に進んで行くと県道138号線と交差し
ます。
 右に曲がって138号線を歩いていくと、右にまっす
ぐ延びた道路があります。
 1000メートル道路と呼ばれる滑走路跡だそうで
す。前日宿に戻る際乗ったタクシーの運転手さんによ
ると「1km道路ね。前メーターで測ったことあるけどた
しかに990m位あったなぁ」という話でした。
 資料によると茂原中学校と茂原樟陽高校の
敷地は航空隊の兵舎があり、近くにある萩原
小学校の敷地には航空隊本部が置かれてい
たのだそうです。
 辺りを歩いたのですが残念なことにそれらし
き遺跡はみつかりませんでした。
 場所を変え、新茂原駅の西側を探索します。
 駅から北西の位置にある豊田小学校の裏山の辺り
は海軍壕と呼ばれる地下壕が彫られているのだそうで
す。
 小学校近くの細い道を歩いてみました。
 素掘りのトンネルの手前に壕らしきものがありまし
た。入口は写真のように戸でふさがれています。
  更に2、3か所穴がありました。互いにつながってい
るのかもしれませんがよく分りません。



この日の歩数は約21,000歩でした。
戦争遺跡を歩こう

茂原掩体壕群

HOME
千葉県茂原市には第2次大戦中に海軍航空基地が建設され、現在でも掩体壕や地下壕が残っています。
2007年11月に行ってきたので報告します。












































































































































































































































































































































































































































戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください