このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 「歴史博物館のゲートを通り坂を少し登った所
が、「連隊表門」の跡地です。
自動車で入ると見落としがちです。

なお、前回来たときは、各遺跡に説明板が無かっ
たのですが、現在は設置してあり、非常に喜ばしい
ことです。
駐車場の奥に、「軍犬・軍馬の墓碑」があります。
姥ケ池近くにある、「12階段」です。
旧日本陸軍の体操や運動用具の一つで、飛び降り
る練習に使ったようです。
昔は説明板が無く、何に使用したものか、気になっ
ておりました。
「弾薬庫跡」です。コンクリートの残骸しかありませ
ん。
とても分厚い構造に驚きます。
周りは、土塁で囲まれており、安全に配慮されてい
た様です。
「脂油庫」です。
現在は、床下が、猫の住処になっていました。
なぜか、ここには説明板がありません。
連隊の軍事物資を運ぶために、大正9年に新たに
裏門からの道路が作られた記念碑です。
 自由広場の近くに「佐倉連隊記念碑」がありま
す。
「佐倉城」と「佐倉連隊」の略歴が刻まれています。

「夫婦モッコク」県の天然記念物です。
これには、「昭 十八年十月 砲隊」「佐野」の落書
きが彫られています。

兵舎の基礎には、「佐倉城」の礎石を使用していた
様です。

「佐倉陸軍病院跡」です。
説明板によると、創設は明治7年だそうです。


「便所跡」です。
雨天休憩所の近くに土台が残っています。
連隊と農民が契約して肥料に使っていたそうです。

何箇所か、「厚生省」の境界石があります。
戦後、引揚者の住居に使用されたり、「国立佐倉
病院」になった場所なので、その名残かもしれませ
ん。
その他、「遺跡」かなーと思われる残骸です。

発見!! 追加報告その1
 再度訪れました。

 正門とは反対側に小さい入口があります。

 その付近に、レンガ積みの遺物がありました。

 説明板もなく、当時の兵舎跡などとも位置的に合
いません。

 何かご存じの方がいらっしゃれば、教えてくださ
い。

 


 関係ないですが、未だに「国鉄」と書いた案内板
がありました。
 
発見!! 追加報告その2
 再度08年2月に訪れました。

 佐倉連隊記念碑の近くに鳥瞰図と連隊の履歴が
書かれた碑が新しく出来ていました。

 
 新たに見つけた戦争遺跡と思われるものを報告
します。

 便所跡の前の道をそのまま下って行くと、
壕らしき洞穴(入口は木で塞がれています)が全部
で8か所ありました。

 結構残っていたんですね。

 何箇所か入口が隣り合っていますので、もしかし
たら内部でつながっていたのかも知れません。
 
 第2駐車場近くの階段を降りたところに何らかの
入口が塞がれた構造物を見つけました。

 もしかしたら新しいものかも知れませんが、
下の写真に示すとおり、上部はレンガ造りになって
おり、これをコンクリートで塗ったようですので、遺
構かも知れません。
 やはり、第2駐車場付近にあった構造物です。

 なんの遺構でしょうか?







 これも、何らかの建物の基礎に見えます。
 国鉄佐倉駅の看板はJRに訂正されていました。

 また、壕があった付近の道から少し奥に入った箇
所に懐かしいテレビが捨ててありました。

 その近くに入口の小さい壕らしき穴がありました
が、もしかしたら壕では無いかも知れませんので掲
載しません。

 やはり真冬の方が遺跡は見つけやすいですね。
発見!! 追加報告その3
 08年8月 たまたま博物館の企画展に行ったの
で再度周辺を歩きました。

 正門とは反対側の入口付近に「陸軍用地」と書か
れた境界石がありました。

 以前に何度か歩いた場所なのですが、なぜ気付
かなかったのか不思議です。

 この付近では陸軍境界石を見つけていなかった
ため、貴重な遺構です。(おおげさ?)
戦争遺跡を歩こう

佐倉連隊跡

HOME
明治7年、千葉県の佐倉城跡に陸軍歩兵第2連隊が駐屯を始め、その後終戦まで10以上の連隊が編成されました
これを総称して「佐倉連隊」と呼んでいます。この跡地は、現在「国立歴史民族博物館」となっています。
追加報告あり!!!!(08年2月)(08年8月)



































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください