このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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当日は、北総線新鎌ケ谷駅から無料のシャトルバスが
出ていました。
思ったより広い基地でした。
後で調べた所この基地は・・・
昭和7年武蔵野カントリークラブ「藤ヶ谷コース」として東
洋一のゴルフ場として完成
昭和20年陸軍省が接収「陸軍藤ヶ谷飛行場」となる。
終戦でGHQに接収され、アメリカ空軍白井基地となる
昭和34年海上自衛隊の基地となり、その後は、対潜哨
戒の教育訓練隊として、YS11やP-3Cで訓練する基地とな
っているそうです。
また、下総救難飛行隊の基地でもあるそうです。
昭和20年に陸軍が接収したので、帝都防衛の基地と
思われますが、詳しい資料が見つかりません。
ご存じの方は掲示板で教えてください。
以下はおまけです。
YS11が3機も!滑走路に向かいます。
YS11の離陸がこんなに近くで見れるとは思いま
せんでした。
独特のかん高いエンジン音はいいですなぁ
P-3C対潜哨戒機の着陸
おっと
戦争遺跡のHPとは関係ありませんので
今回はこの辺で・・・・・・・・
航空ファンやミリタ
リーファンにはたまら
ないでしょうな!!
基地内に展示してあった戦時中のものです。
まずは、戦艦長門や陸奥の主砲40サンチ徹甲弾
91式航空魚雷
高速戦艦比叡の錨
追加報告!
藤ヶ谷飛行場は、1944年秋頃から、付近の住民や、学徒動員、多
数の朝鮮人の方々により、急きょゴルフ場と付近に造成した飛行場で
あるようです。
松戸飛行場から1945年6月16日第53戦隊が移動してきたそう
で、帝都防衛の任務にあたっていたそうです。
53戦隊は、夜間に来襲するB29を撃墜するために編成され、
「屠竜」「百式司令部偵察機」などが配備されていたと言われていま
す。
付近に遺跡を発見しました。
北総線西白井駅から北の方へ歩いて行き、最初のT字路を左に曲
がると、左側に「スーパー」が見える道があります。そちらの方に歩い
て行き坂を下ります。
コンビニのある道をそのまま越えた住宅地と工場の近くに崖があり
ます。 この崖の上にひっそりと防空壕の跡らしきコンクリートがあり
ました。
いろいろ遺跡を探しまわったのですが、残念ながら、これしか発見
できませんでした。
この探索の歩数は、約14000歩でした。
その後12月にも2回飛行場周辺を探索しましたが、結局何も発見
できませんでした。合計の歩数は約60000歩。
さすが飛行場は広いですね。
戦争遺跡を歩こう
陸軍藤ヶ谷飛行場(下総航空基地)
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2007年9月29日、家の近くの海上自衛隊下総航空基地で基地祭りが開かれました。
日本の民間航空ではもう飛んでいないYS11が飛行するとのことで、雨の中行ってきました。
恥ずかしながら知らなかったのですが、行きのバスの中で自衛隊員さんに聞いたところ、
もと日本軍の基地であったとのこと。「追加報告あり!!このページの最後の方参照07年11月25日」
特に遺跡らしきものは基地内に展示してある数点しかありませんでしたが、報告します。
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