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秋ヶ瀬橋の旧道 県道40号 さいたま・東村山線
2010年 1月6日 訪問
デジカメの不調の為
デジカメを購入した志木の先のカメラ屋まで
西東京から一人ママチャリで、交換に行く時見つけた旧道。
交換した帰りに、デジカメの調子をチェックする事も兼ねて
訪問しました。
↑ 試験的に地図を入れてみた。 訪問したのは、現橋の南側の旧道だ。ちなみに、記 全 T樫です。
秋ヶ瀬橋の西側に到着した。 現橋は、若干S字カーブをして、土手の高さまで上る。今回 目指す旧道は、現橋の側道から目指す事が出来る。 ちなみに、この県道40号線の交差点とかの案内看板は、さいたま(旧 浦和)としつこく、浦和をアピールしていた。 | |
現橋は、近代的なコンクリート橋になっている。 そのコンクリート橋の下が旧道敷である。 | |
旧道は、土手を目指すため築堤で高度を稼ぐ。 歩行者は、この旧道を通らなければならないので、歩行者用に整備されていた。 | |
やがて、旧道の舗装とセンターラインが現れる。画像左の歩道橋みたいなのが、現橋の歩道であり そこまで歩行者が歩くことになっている。 路肩が無い、築堤いっぱいの道幅が、昔の規格を感じられて素晴らしい。 | |
路面には、「40 高 中」 と、書かれていた。 高 中って何??? | |
やがて旧道は、土手を走る 朝霞・蕨線とぶつかる。おそらく、これを見る限り 土手が、かさ上げられたのだろう。 | |
振り返って撮影。画像左側の錆びて茶色くなったガードレールが いい〜〜 秋ヶ瀬橋の西側の調査が終わったので、橋を渡り、秋ヶ瀬橋の東側に行くとしよう。 | |
さて、一級j河川の荒川を渡る 秋ヶ瀬橋を渡るとしよう。 | |
長〜〜〜〜〜〜〜〜〜い それにしても 長い。 広瀬川とは、全然違う。 この日は、西高東低の気圧配置の日で、澄み渡った青空だったが、風が強かった。 とくに、橋なんて障害物が無いから尚更・・・ | |
いや〜〜 めっちゃ長く感じた〜〜 横風で、斜めに進むし、顔いたいし、寒いし・・・ さて、この画像は、秋ヶ瀬橋の東側で、志木側を望んでいる画像だ。 旧道は、現道の左側を通っている。 しっかし、なかなか道 渡れなっかぜ〜〜 | |
旧道の築堤にママチャリごと登る。 雑草に隠れてアスファルトが生えていた。現橋は、画像右のかなり高い位置を走っている。 冬だからかもしれないが、雑草が、刈り取られているみたいだった。現在も管理されているのだろうか・・・ ま〜河川敷だから管理されているのだろうな〜〜 | |
現道高っ それに変わって、旧道は、かなり低い所を走る。 旧道は、狭く歩道と側道が無く、現役時代を見てみたかった。トラックが、かなりの速さで、車とすれちがっていたのだろうな〜〜〜 | |
現橋は、橋となるが、旧道は築堤のまま進む。天下の荒川の河川敷にしては、築堤が低い気がする。 かすれた、センターラインが いいわぁ〜〜 (新井薬師風) | |
追い越し禁止のオレンジ色のセンターラインの上に、追い越し可能の線が上書き されていた。 現役時代の追い越し可能の線だろうか・・・ こんな交通量が多く狭い道で追い越しなど可能なのだろうか・・・ | |
旧道の築堤の上に電信柱が、二本架線柱のように立っていた。廃止後設置されたのだろう。 ここまで、旧道の築堤に、ガードレールが無かったが、現役時代にもガードレールが設置されていなかったのだろうか・・・ | |
やがて、旧道の築堤は、ぶつっと切れる。この辺りから、荒川を渡る橋に築堤から変わっていたのだろう。それにしても、土手から川まで、築堤区間が長かった。どんだけ、広い河川敷だよ。 | |
旧道の築堤を降りて、振り返って撮影。 ママチャリで降りるの怖かった。 画像をみて分かるように、旧道の橋台は、残っていなかった。 |
完結
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