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日中線 その3
2009年 12月29日 訪問
えっと
やっと、完結しました。
日中線跡の最終回です。今回は、野辺沢川を渡った後の熱塩駅周辺です。
予約無しで、まさかの日中線記念館の中にも入ります。
編集は、和光市とT樫です。
今回、和光市とT樫は調子がかなり良かったため 長文が多いっす。
さて、野辺沢川を渡り終点の熱塩駅に向けて県道を北上する。 画像は、県道から日中線の線路敷きに向いて撮影した画像だ。雪に覆われた田んぼの中で見えにくいと思うが、奥の土手みたいになっているのが、日中線跡の築堤である。 記 T樫 | |
踏切をアップして撮影。交差する道路の規模にしては、警報機が付いているなど豪華仕様である。ま〜近くに日中線資料館があるので、移設した可能性もあるが・・・ 蒲原鉄道の踏切と同じく、使用中止に札がかかっている・・・ 記 T樫 | |
川を渡った後、熱塩駅を望む。この画像を見る限りでは、民家にしか見えない。一応「日中線」の駅舎では有るが。「トンガリ三角屋根▲」仕様なのは雪国特有だ。 まもなく終点だ。 by 和光市 | |
熱塩駅の駅舎。近づいてみても街の集会所にしか見えない。駅t正面に停めてあるママチャリは一行のもの。路面は雪で滑りやすかったものの、徒歩で行くよりは幾分楽だった。 正直、積雪のせいで日中線の路盤を見失いそうになったが・・・ by 和光市 | |
駅舎の中に入ってみた。 熱塩駅の駅舎は現在、「日中線記念館」になっていた。正面の「熱塩駅」の駅名板は恐らく当時のもの。記念館に整備されているだけあって、中は綺麗に掃除されていた。だが無人で、消灯されているのはご愛嬌ということで。 では中を散策してみよう。 by 和光市 | |
記念館は普段中に入れないようになっていた。ここまで来て、室内の物品が拝見できないのは残念だ。・・・と思ったその時、「(室内に入るドアの)鍵開いてるよ」と新井薬師。なんと施錠されていると思ったドア、開けっ放しだったため、簡単に中に侵入・・・いや入場できた。 中にいるのはT樫。 by 和光市 | |
お知らせ用の看板。もちろ手書き。駅長も不在。「国鉄の運賃表、料金表、旅客列車の時刻表、その他の営業に関する規則は駅長室に備えつけてあります 駅長」とあるが、営業に関する規則なら、まだしもすべての運賃表やら料金表、挙句の果てに時刻表まで駅長室にあったら、乗客が見れないし、意味がない気がする。盗難防止のためならいいのだが・・・ by 和光市 | |
駅長事務室の室内。正直駅の間取りがおかしい。この位置に「駅長事務室」の看板があるが、まさかこの中に乗客が来るはずはないため、乗車券入れがあるのも違和感を感じる。 by 和光市 | |
「熱塩駅-喜多方駅 さようなら日中線」のヘッドマーク。廃止日当日にC11に取り付けらえれた実物。熱塩駅は駅舎のもの、喜多方駅は蔵をあしらったデザインだ。色合いがまるで蛍光ペンのようだ。・・・というか、本当に蛍光ペンで塗ったのか・・・どうだろう。 往年の日中線の歴史からは考えられないくらい華やかさがある。 by 和光市 | |
熱塩駅の手前の会津加納駅の駅名板が保存されていた。国鉄独特のデザイン(平仮名、ローマ字標記が大きく、またモノトーン)がよい。蛇足だが、プラレールの情景部品(なんていう単語だっけ?)の駅のデザイン(次駅表示が ←あっち こっち→で有名)も国鉄仕様である。 by 和光市 | |
作業着と国鉄の制服。映画『鉄道員』を思い出す。その下にあるのは喜多方の駅名板がある。制服も保存されているのはいいのだが、せめてショーウィンドウに収納して欲しい。まぁ侵入・・・入場者が物言うのもどうかと思うが。 by 和光市 | |
日中線で使われていた数々の物品が保存されていた。長年放置されているわけでもなく、手入れもなされているため、状態は良好。往年の日中線を撮影した写真も展示されていた。 ちなみに「 SECOM 」してます。 by 和光市
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駅長事務室と旅客運賃精算所の看板。劣化と破壊防止のために内側につけたのだろが、ずっと設置されていたものならば、やはり造りが変だ。この看板が点灯するかは目視のみでは不明。 おそらく本物。 by 和光市 | |
「旅客券箱」。おそらく中に乗車券はもう入っていないはず。硬券を使っていた事を思うと、当時の熱塩駅の賑わい(実際に賑わっていたかどうかということは別として)の光景が目に浮かぶ。 手入れもされていて状態がいい。 by 和光市 | |
SECOMもちゃんとしている(らしい)ショーウィンドウケース。盗難防止のためだろが、ちなみに展示室の看板の場所が変なのはご愛嬌という事で。ちなみに賞状も飾ってあった。(日中線または駅用の何を表彰されたのかは未確認、というか確認し忘れただけ。) by 和光市 | |
改札。ドアは半開き。時代を感じる。手入れもされず、放置されて朽ち果てていたと思うと、記念館になっていて良かった。奥に民家が見えるもいとをかし。さぁそろそろ列車も来るし、ホームに立つことにしよう。 by 和光市 | |
発車ベル。塗装されていて状態が良い。当時のものかは不明。けたたましいベルの音で発車するC11、良い。実際、発車ベルがある東京の駅は新橋くらいか。(上野、新大久保の電子ベルは別として)ちなみに赤羽駅にもある。くもの巣が張っているのが少し気になるが。 by 和光市
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駅舎をホーム側から望む。逆光の感じが雰囲気を醸しだす。ホームに立つ男は新井薬師だ。積雪量が多く、また一般道でもない廃線跡が雪かきされるわけも無いため、路盤を確認できなかった。帰京後に調べた情報(ある程度事前に調べておけばよいのだが)によると、構内に転車台が合ったらしいのだが、この雪ではやはり確認できなかった。 by 和光市 | |
ホームには、熱塩駅の駅名標があった。よくみる国鉄タイプの地名が入っているバージョンより古いのか質素な感じになっている。 計画では、熱塩から北に向けて米沢まで繋がるはずだったが、もし米沢まで繋がってたら熱塩の次に駅はなんだったのだろうか・・・ もしくは、今も日中線は東北縦貫鉄道として現役だったのだろうか?? 記 T樫 | |
ホームから線路に降り立ち喜多方側を望む。 ホント寂しい景色だ。失礼だが、やはり盲腸線では生きていけない規模の街だろう。もし米沢まで繋がっていたら・・・ 国道の大峠が立派になったのは、そんな昔のことでないし、鉄道が少しの時間は台頭できたのではないだろうか?? 記 T樫 | |
駅構内を出て、少し北上すると、除雪車と旧型客車が屋根の下で寝ている。塗装などの状態は良いので地元の人々がコツコツと整備を行っているのだろう。 ちなみに、画像中央の男は私(T樫)です。パンツがはみ出ているが故意的ではない。ズボンのゴムが弱く財布と携帯を入れるとズボンが重力で下がりパンツが見えてしまっただけである。 記 T樫 | |
除雪車の扉を開けてみると・・・ なんと開いてしまい、新井薬師と運転席にお邪魔してしまった。さすが地方。不良や心無い人が少ないのか、警備が緩く、軽く楽しませてもらった。木を感じられる車内は、感動物であった。 記 T樫 | |
そして、お隣の客車へ。オハフ62 2752 らしい。 ま〜こっちの車両には施錠されており入ることはできなかった。 そんな こんなで、日中線訪問は終わった。この後 私達は喜多方ラーメンを食べるべく自転車を喜多方駅に向かい走らせた・・・ 記 T樫 |
2010年8月4日 編集
完結
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