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大達原の手掘り隧道
2015年10月27日 訪問
マウスここにおいてスクロールするのおすすめします。
なにせヤフー地図がスクロールしてしまうもので。
今回は
埼玉県の秩父の先の大滝にある
古道の隧道を紹介します。
大学4年の秋
とある方から紹介してい頂いた隧道である。
↓地図でーーす↓
ふふふ
中央に何かありますね(笑)
地図中央の大滝と地名が入っている地点の上部に
尾根を貫くように線が入っていると思うが
それが今回紹介する隧道である。
尾根付近の等高線も省略されており
かなりダイナミックな地形を期待できる。
さて、行ってみますか~~
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今回紹介する隧道のある古道は
大滝村を貫く秩父往還ではなく
秩父往還から分岐し
三峰神社へ向かうための古道である。
そのため
かなり歴史のある道である。
ちなみに
秩父往還は
この隧道の付近をより高所で通過しているため隧道は存在しない。
隧道までは車では行けないため
近くの集落の大達原に車を止め
古道由来のやさしい線形の山道を
10分ほど進むと
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でたーーーーーーー!西側の坑口である。 てかでっかくね???? それまでの道幅がふつ~~の登山道くらいの幅であったので突然の隧道のこの大きさは正直びっくりした。古道ということは明治時代くらいの隧道だろうか?それにしても大きい隧道だ。 てか地図で見た感じはそれなりにダイナミックな地形なのだが、古道で隧道が必要なほどということは、かな~~り険しかったり石切り場由来等などの理由がありそうだが、この坑口からはあんまり感じられない。 | |
さて中に入ろう!現在も歩るく道として開放されおり中はきれいである。隧道の側面は地層が斜めに走り素掘りの粗々しさを感じる。石灰的な色をしている所がなんとなく秩父らしい印象である。洞内もほぼ一定の大きさであり古道としては相当大きい隧道である。もちろん拡幅された可能性もあるが。 | |
ひろーーい! さすが三峰神社の参道ということなのだろうか。かなりの大きさである。自動車交通以前、荷馬車や牛車など三峰神社を目指す交通を通すための風格なのだろうか。古道と最初に聞かなければ林道と疑ってしまうほどである。 | |
これもいいね~~~ 出口とカーブしながら切り通しの感じたまらん~~ 東側の坑口は切り通しと共にカーブするスタイルであった。この古い隧道感はたまりませんな。画面右奥側が谷になっているのだが、切り通しのためにできた岩壁が右奥の谷と今歩いている路床を分断している感じが素晴らしいっすね。 | |
さて東側の坑口である。右にカーブをしながら岩壁にぶち込んでいる感じがいいっすね~。特に画面左の切り通しによる岩壁が素晴らしすぎる。古道としてはかなりダイナミックな線形であることは間違いないだろう。古道の時代に手掘りで岩壁をぶち抜いたと考えるとすごい隧道である。 | |
東側の坑口近くにはこの手掘り隧道の案内板が設置されいた。 案内板によると、明治中期以降に開削され 幅員3.45m 高さ4.80m 長さ4.50mと書かれている。 やはり明治隧道で下を走る国道ができるまで本道として現役であったようだ。それにしても明治隧道にしてはかなり大きい隧道であった。 |
さてさて
そこから数歩さがると
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お???
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おお~~~~~!!!!
そりゃ隧道必要だわ(笑)
えっぐい岩壁っすね
手前の切り通した岩もすっぱと切り通されて
奥の岩壁に入ってく感じがたまらないっすね
そりゃ秩父往還もここ通らないで、
この岩よりも上の尾根道で通過していくわ
かっこいい明治隧道ですね~~
良いもの見させて頂きました。
そんなこんなで我々一行は隧道を後にした・・・
最後に対岸から隧道の尾根を望んでみた。
おお~~~
画面中央の岩の塊を貫くように大達原の手掘り隧道は存在する。
写真からも上にも下のも逃げられないような難所であることが分かるだろう。
なんとなく日原のとぼう岩のような印象を受けるが、
やはりここから山を越えると日原なので地形が似てるのだろうか・・・
2015年 11月4日 編集
完結
編集 全 T樫
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