このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
東海廃線ファイルNo.1
北恵那鉄道
【中津町〜下付知・1978年[昭和53年]9月18日廃止】
(中津町〜山の田川・2001年2月取材)
北恵那鉄道は中津町(岐阜県中津川市)から、木曽川支流の付知川に沿って下付知(岐阜県恵那郡付知町) までの間22.1kmを結んでいた鉄道である。この沿線にあたる岐阜県恵那郡北部では、元々林業が盛んで あり、その運搬手法には付知川・木曽川を利用した木材の川狩(筏流し)が用いられていた。明治末期 〜大正時代にかけて、これらの河川には発電所が建設されていたが、そのなかで大井(現・岐阜県恵那市) に貯水式(ダム式)発電所(大井ダム)の建設が計画され、木材搬出に支障が生ずることになった。そ こで大井ダムを建設する大同電力(当時)が、その補償として裏木曽国有林の木曽ヒノキなどの木材搬 出を目的にした鉄道として、大正13年に開業したのが北恵那鉄道である。北恵那鉄道は当初、本社が名 古屋市に置かれたが、戦後の財閥解体によって、本社は中津川市に移転し、地元資本の鉄道会社となっ た。開業当時から電化されており、木材輸送の他に地域住民の足として貢献し、最盛期の1日約4000人 の乗客を運んだ。しかし、森林資源の減少や林業の衰退やトラック輸送の普及により、貨物輸送が激減 し、沿線の過疎化で利用者も減少した。経営難から大資本の導入を図るために、1963年(昭和38年)名 鉄グループに参加した。しかし、赤字は増大する一方で、1969年(昭和44年)には貨物輸送を廃止。1971 年(昭和46年)には列車本数を半減(1日8往復)、経費削減のため昼間の運行をバスに代行させ、電 車は「昼寝」する由々しき事態になった。そのころ、北恵那鉄道と同じ経路で国鉄下呂線(中津川〜下 呂)が計画されたため、その絡みや累積赤字増大によって、北恵那鉄道は1978年(昭和53年)9月18日 に55年の歴史を閉じた。しかし、下呂線が特定地方交通線レベルの輸送量しか見込めないことがわかり、 工事は凍結され夢は幻となった。
現在は北恵那交通(鉄道廃止後に社名変更)のバスが、鉄道に代わって地域住民の貴重な足として活躍し、 鉄道と並行していた道は国道257号線として整備され、中央自動車道と岐阜県飛騨地方を結ぶ主要ルートと して機能している。
(左・中津川駅、中・国鉄との連絡線跡、右・北恵那鉄道中津町駅跡)
起点の中津町駅は現在のJR中津川駅の裏手にあった。貨物線は国鉄とつながっていたが、駅舎は別で 旅客は乗り換えに5分ほどの徒歩連絡を要した。現在は北恵那交通(鉄道廃止後に社名変更)の車両整 備工場と駐車場になっている。当時の車両が作業場として残っていると聞いていたのだが、訪問時 (2001年2月)にはそれらしいものは確認できなかったが、構内には北恵那鉄道当時の境界杭が残ってい た。
ここでは線路跡が遊歩道として整備されているように見えるが、2・3分歩いて緩いカーブを曲がると すぐに途切れてしまう。中津川市内では線路跡は整備されず、廃止後に整地され消滅した地域もある。 一方、同じ北恵那鉄道沿線でも福岡町内では遊歩道として整備されており、自治体間での温度差を感じる。
忠実に廃線跡をたどりたかったのだが、時間の関係上、北恵那鉄道・前半のハイライトである、木曽川 鉄橋跡へ向かう。中津川駅へ戻り、北恵那交通バスに乗る。国道257号線を走り、木曽川をまたぐ玉蔵 大橋のはるか下にトラス橋を確認できる。これが木曽川鉄橋跡である。延長134mの堂々としたものであ る。この橋は木曽川の河床上昇に対処するために、戦後の1959年(昭和34年)に4mほど嵩上げされた 経緯がある。
(左・木曽川鉄橋跡、中・鉄橋北詰の船小屋、右・遊覧船乗り場)
乗船場前バス停で下車し坂道を下ると、鉄橋にたどり着く。対岸は土砂作業場のようである。鉄橋北詰 には小屋がある。これが乗船場である。ここから下流の恵那峡までの遊覧船が就航しているのだが、航 路への土砂流入によって、平成6年から運休になったという張り紙があった。実際には観光客の減少も あったと思われる。船が来なくなった遊覧船乗り場は荒れ果てていた。かつては、国鉄・北恵那鉄道・ 遊覧船・バスと乗り継いで、中津川から恵那峡経由で恵那へ向かう観光ルートがあったのだろう。
(左・恵那峡口駅へ向かう廃線跡、右・山の田川駅跡)
線路跡は木曽川を渡ると舗装された道路となる。恵那峡口駅は跡形もなく、この道路も途中で途切れて しまい、行く手を阻んでいる。ここから逆S字カーブを描いて木曽川左岸の丘を駆けのぼる。木曽川で 一旦別れた国道257号線と寄り添って来る。山の田川バス停脇の空き地が山の田川駅跡である。末期に は中津町に次ぐ貨物取扱量を誇った駅である。
今回は時間の都合で、残念ながらここまでしか取材できなかった。ローカル私鉄有数の景観を誇った 北恵那鉄道廃線跡。ぜひ、終点・下付知までたどって見たいものである。その際はこのファイルを 完成させたいと思う。
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