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南海和歌山港支線・和歌山港〜水軒南海電鉄和歌山港支線・和歌山港〜水軒(2002年5月26日廃止)

大手民鉄・南海電鉄の路線でありながら、そして県庁所在都市でありながら、列車が1日2往復しか運行 されていない鉄道路線が和歌山にあった。似たようなものとして、過去に列車が1日1往復しか運行され なかったなかった国鉄清水港線(静岡県・廃止)があるが、こちらは沿線の高校通学時間に合わせた列車 運行が行われていた。しかし、こちらは始発が午前9時台・終電が午後3時台のため、通勤通学時間帯か らはずれている。建設目的は何か、なぜ1日2往復なのか、利用者はいるのか、なぜ今まで残ってこれた のか、何とも摩訶不思議な鉄道路線。それが、南海和歌山港支線・和歌山港〜水軒間だったのである。



和歌山市
久保町
築地橋
築港町
和歌山港
廃止
区間
水軒

【和歌山港支線の概要】
南海和歌山港支線は、和歌山市の和歌山市駅から同市内の水軒駅まで結ぶ5.4kmの路線である。途中の和歌 山港駅までは、実質的に南海本線(難波〜和歌山市)の延長のようなものである。なぜなら、和歌山港駅前 から四国・徳島行きの南海フェリーが発着しており、この区間は徳島〜和歌山・大阪を結ぶ連絡鉄道とし ての役割を担っているからである。したがって、南海本線(難波)から特急「サザン」や急行列車が直通 しており、和歌山市駅からの各駅停車も合わせて、和歌山市〜和歌山港間は1時間1〜3本程度の列車が 運行されている。しかし、和歌山市駅からは単線になる上に、途中の久保町・築地橋・築港町の3駅は、 各駅とも2両ほどのホームしかない無人駅で、しかも特急はおろか急行も通過し、停車する列車は和歌山 市〜和歌山港・水軒間を結ぶ各駅停車が1時間1本程度止まるだけの忘れられた駅である。更に和歌山港 〜水軒間は、和歌山市発水軒行きが9:17と15:20、水軒発和歌山市行きが9:32と15:36の2往復しか運行 されていないのだ。最終列車が昼の3時とは、一体どうなっているのか。南海和歌山港線は謎が多い路線 である。(画像は和歌山市駅で発車を待つ水軒行き電車)

南海各駅に掲示されていた運賃表にも、「水軒行きは1日2列車です。係員におたずねください」という 奇妙な表記があった。朝夕の通勤通学時間帯に列車の運行が無いのだから、和歌山港〜水軒間の利用客は 極めて少なく、南海電鉄の資料によると廃止直前(2000年度実績)の1日平均利用者数は9人しかなかった という。休日の午後便(=水軒行き最終)利用者のほとんどは鉄道ファンという状態だったらしい。した がって、係員に水軒行き列車に接続する列車の時刻を問い合わせるような客も皆無だったに違いない。過 疎地のローカル線でも、ここまでひどくはない。和歌山港〜水軒間は、いつ廃止されてもおかしくなかっ たのに、21世紀まで持ちこたえてしまった不思議な鉄道路線なのである。

南海和歌山港支線は1956年5月に和歌山市〜旧・和歌山港(現・築港町)間が開通。その後、和歌山県が水 軒に貯木場を設けて貨物輸送を行うために、旧・和歌山港〜水軒間3.1kmの延長工事を行い、1970年11月 23日から貨物営業を開始する予定であったが、モータリゼーションの影響で木材輸送がトラックに移行し たため、水軒駅にホームを新設して1971年3月6日に旅客線として開業した(同時に南海フェリーの発着 地も現在地に移設し、現・和歌山港駅もこの日から開業し、旧・和歌山港駅は築港町と改名。)経緯があ る。つまり、この区間は南海が開業したのではなく、和歌山県が開業させたものであり、南海はそこに電 車を乗り入れただけなのだ。久保町〜水軒間では和歌山県が第3種鉄道事業者、南海は第2種鉄道事業者 として「上下分離方式」が成立していたのだ。21世紀まで持ちこたえた理由はここにある。

この区間の廃止要望を持ちかけたのは、電車を運行する南海でも線路を所有する和歌山県でもなく、何と 地元住民からであった。この和歌山港〜水軒間にある唯一の踏切「和歌山港1号踏切」の幅員が狭く、付 近に和歌山中央卸売市場や木材工場などがあるため、元々大型車両の通行が多いうえに、交通量の増大に よって朝夕に渋滞が発生する元凶となっているなど、安全面での問題が指摘されていた。そこで、南海電 鉄と和歌山県・和歌山市との協議結果、

a.利用状況が極めて低く、鉄道として存続させる意義が薄いこと。
b.廃線後の代替交通機関として、すでに南海系列の和歌山バスのバス路線が確保されていること。


という理由から、この区間を廃止することで合意し廃止が決定した。鉄道事業法では廃止届を提出してか ら廃止するまで1年間を必要としたが、規制緩和によって地元の承諾が得られたら1年以内の廃止も可 能になったため、南海が近畿運輸局に廃止届を提出してから3ヶ月ほどたった、2002年5月25日の運転を 最後に和歌山港〜水軒間2.6kmは廃止された。

【廃線探訪】
南海和歌山港線へのアプローチは、地元では「市駅(しえき)」と呼ばれる和歌山市駅から始まる。ここ では大阪・難波〜和歌山港直通列車を除いた列車は7番線から発着する。ちなみにこのホームの西半分は 和歌山港線、東半分は加太支線のホーム・6番線として1本のホームを共用している。和歌山港線の7番 線には、なぜか自動改札機が置かれている。この先、和歌山港駅以外は無人駅であるのと、普通列車がワ ンマン運転であるなどの要因が考えられる。乗車券を持っている場合は、そのまま自動改札機を通ればい いが、コンパスカード(南海)など「スルッとKANSAI」対応カード利用の場合、自動改札前の精算 機で精算する必要がある。カードを挿入し、画面に表示される久保町〜水軒の各駅から下車駅を選択して、 下車駅までの運賃を市駅で精算するのだ。戻ってくるカードの裏を見ると、降車駅の欄に下車駅の名が記 載される。カードと共に自動券売機のものと同じサイズの「乗り越し精算券」が出てくるので、それを自 動改札機に通して、晴れて和歌山港線の列車に乗車できるのだ。久保町・築地橋・築港町ともに乗降客は ほとんどおらず、築港町を出てから線路は高架となって和歌山港に到着する。

和歌山港駅はフェリー乗り換えのためにあるような駅だ。なぜか、高架駅であるのも興味深い。駅名板に は年期が感じさせられるが、駅周辺は臨海地帯独特の非常に殺風景なところである。(【画像】左:和歌 山港駅駅舎、中:駅名板、右:和歌山港駅ホーム水軒方を望む)和歌山港駅は島式のホームが1つある。 画像右(北)側のホームは難波からの直通列車などが発着する。このホームの線路がこの駅のはずれで行 き止りになっているため、水軒行きは画像左(南)側のホームからしか発着できない。日中は和歌山市〜 和歌山港間の各駅停車が発着しているようだった。水軒行き列車は和歌山港駅を出ると左(南)に曲がっ て地上に下りる。

左に花王和歌山工場、右手に倉庫などが見える、典型的な臨海地域をひた走る。左側・和歌山市街の方は 風対策のためなのか、防風林のような見事な松林が続き、街の方をうかがうことはできない。和歌山中央 卸売市場を過ぎて、右手(西)に木材集積地が見えてくると、突然和歌山港線に踏み切りが現れる。これ が前述のこの区間唯一の踏切「和歌山港1号踏切」である。和歌山港駅からここまで踏み切りが無いのは、 線路東側の大部分が花王和歌山工場であるためだ。概要の部分で既に述べたが、この唯一の踏切がこの区 間の廃止を決定付けたのだ。具体的には、
a.線路と並行する臨港道路と踏切で交差する道路(県道)は共に片側2車線でありながら、踏切部分 の幅員は片側1車線分しかなかったことで、朝夕に踏切周辺で混雑する。
b.この付近は和歌山中央卸売市場や木材工場などがあるため大型車両の通行量が多く、踏切で擦違いで きない場合があり、これが混雑の原因となる。
c.臨港道路と県道との交差点には信号機が無いため、円滑な交通整理が困難。特に右折がなかなかでき ない交差点であった。

などである。そこで、これらの問題を解消するため踏切の拡張計画が浮上するのだが、鉄道の必要性に疑 問符がかけられている線路の踏切を改良する必要があるのかという議論も同時に持ちあがっていたという。

そんな、いわくつきの踏切を越えてしばらく行くと赤い橋が見えてくる。その手前で単線だった線路が3 本になりホームが突如現れる。これが水軒駅なのだ。周りに何も無い。その姿にしばしあ然とした。ホー ムは1本しかないのにレールが3本もあるのは、この駅が周辺の貯木場や和歌山南港からの木材をこの駅 から輸送するという、この鉄道本来の目的を果たすためであったのだが、開業前にトラックにその役割が 移行してしまったので、遊休地となってしまったのだ。1日に2本しか電車が来ない駅だけに、駅員はお ろか、駅舎すらない。車止めに向かって歩くと階段があって、そこから外へ出られるのだが、外から水軒 駅への案内看板などは無かった。私が訪れた時は廃止1週間前だったので、2両編成の電車は大混雑で、 水軒駅に到着するやいなや、6分間という極めて限られた時間内で廃止を惜しむ即席撮影会が行われた。
ホームから下りる階段の脇に汚い小屋みたいなものがあった。これに時刻表や運賃表が掲示されていた。こ の小屋、いったい何なのか。駅舎にしては小さすぎるし、清掃器具庫としても無人駅だから掃除する人は 基本的にいない。倉庫といっても1日2本しか電車が来ない駅に備蓄せねばならない備品があるのだろう か。これは後日、某サイトの情報でわかったのだが、実はこの小屋はトイレだったという。管理が行き届 いていないため、内部は荒れ放題だったという。

観光開発や和歌山環状線構想について
この路線を活性化できないのか、又は廃止を回避する施策を考えている人もいたようである。その中で多 かった意見は、観光化と環状鉄道構想である。まず、観光化では水軒駅のすぐ側に紀州徳川家由来の庭園 「養水園」があり、雑賀崎・和歌浦といった万葉集などで詠われた景勝地も近い。水軒駅付近の土地を整 備して雑賀崎・和歌浦方面のバスターミナルを作れば、大阪方面からのアクセスが改善され、観光客に利 用されるという説がある。また、環状鉄道論とは水軒から更に新和歌浦を通って紀三井寺(又は海南)へ 鉄道を延ばし、和歌山市街を環状鉄道(紀三井寺〜JR和歌山〜市駅〜水軒〜和歌浦〜紀三井寺・海南)化 するという説。鉄道の空白地解消とラッシュ時の市内中心部の交通渋滞緩和を目的にしたものらしい。し かし、前者は観光客という流動的で不安定なものをあてにするのが不安であり、後者は和歌山クラスの都 市で環状鉄道を整備するほどの輸送量は期待できないこと、またブラクリ丁などの繁華街は市駅やJR和歌 山駅から遠く、繁華街まで乗換えなく直通できるバスの方が便利である。すでに市駅〜ブラクリ丁〜JR和 歌山駅間に「和歌山シャトル」というバス路線を和歌山バスが高頻度で運行されているので、現行のまま でも良いと思う。確かにJR紀勢線海南方面からの列車や、南海貴志川線の列車を各々市駅まで乗り入れし ても良いと思うが、JRと南海で鉄道管轄が異なる上に貴志川線はJR・南海の1500Vに対して600Vと架線電 圧が異なるので乗り入れできないのは残念だ。

鉄道敷設時に計画されていた当初、予定されていた貨物輸送は実際には行われなかった。しかし、この区 間における上下分離方式のおかげで、改善策や利用者振興策が講じられることもなく、南海和歌山港支線 ・和歌山港〜水軒間は和歌山の空気と物好きな一部の鉄道ファンを30年も輸送し続けた。1日2往復の電 車を運行させるだけの南海側にとっては大したことはなかっただろうが、線路の持ち主・和歌山県の支出 は相当なものだったはずだ。また、鉄道の敷設費用のほか、電車運行による赤字補填も和歌山県民の税金 と無縁ではないはずだ。予定されていた貨物輸送が無くなった段階で和歌山県は見直すべきだったし、和 歌山県民からも見直しの声があってもよかったはずだ。しかし、「待った」の声はどこからもかからなか った。結局、この区間は行政が暴走した末の犠牲に遭ったようなものだ。和歌山県民が納めた血税は、有 益に利用されること無くドブに捨て続けていたのである。

【参考資料】
「ニュース南海」2002年5月号 No.348 南海電気鉄道株式会社総務部
「旅と鉄道」2000年冬増刊 No.122 『ダビテツ探検隊』、鉄道ジャーナル社
「全国鉄道事情大研究 大阪南部・和歌山篇」川島令三 草思社 1993年

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