このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

第2通洞  〜幻の第2通道を探して〜

第2通洞とは明治22年に開削を始めたが鉱脈ならぬ激しい出水に見舞われ中断されてたが間もなく
第山3通洞の開通によって不要になり日の目を見ないまま終った第2通洞、すなわち幻の第2通洞と呼ばれている。

5月、トッポさんと貯水池〜導水路伝い東平へ探検の折、次回は幻の第2通洞道跡を探しに行こうと約束していました。
第2通洞の様子はネットを探しても画像は勿論のこと記事等も殆んど見たことが無いので既に坑口は崩れ原型を留めていないのでは無いだろうか。
トッポさんの話によると場所は大体見当が付いていて侵入路もあるそうなので、私も崩れた跡でも写真に撮ってこようと軽い乗りで水も少な目とハイキング気分。
この分なら昼までに終るのではないかと考えたが一応弁当は持参する事に



第2通洞の場所は寛永谷にあるそうですが写真の第3通洞の前、暗渠で柳谷と交わっている為、谷への侵入路はありません。
トッポさんが持参した古い地図によると馬の背の途中より寛永谷へ下る道が載っているのでまずその下る道を探す事に



銅山峰・馬の背経由の分岐点、右に上る




杉林を抜けると開けた場所に出、下方に東平が見える




ヒュッテまでのほぼ中間点にある番所跡らしいのですが詳しい事は判りませんません




地図には番所跡を過ぎた所より右手谷へ下る道が載っているので寛永谷側の急斜面をくまなく探すが道らしき道は見つからない。
長年使われなかった為既に消えてしまったのか?また簡単に見つかる様では話が面白くない(笑)

ついにヒュッテへの分岐点に出てしまった。丁度この場所に残っているレール跡ですが幾度と無く訪れている私は全く気が付かなかった(^_^;)
トッポさんがヒュッテ管理人のおばさんに第2通洞の場所を尋ねたが知りませんでした。もう一度番所跡までの間、
くまなく探しましたが見つからなく結局私が提案した太平坑のある場所から寛永谷を下る事にしました。




先程の分岐点を右へ太平坑に向って進みます





寛永谷へ着きました。水は流れていなく急勾配でもなく薮といた程でもないので思っていた以上に下り易いのではないか。
私しゃ俄然やる気満々!ハイキングモードから探検モードへ。
ところがトッポさんこういった場所は苦手の事、しかし彼の乗っているバイクは私の憧れのBMW!ですぞ 関係ないかァ… 
そこで私が先攻する事になりトッポさんはこ、け、な、い様ゆっくりと下りてもらう事にしました(汗)





川幅が狭くなっている場所もあるが導水路の時と違って安全で歩きやすい





岩から岩へとハイスピードで下る




トッポさんとはかなり差が開いたようだ




少し開けた場所に出ました





矢印を下っていると左手に古い坑口の様な跡が




発見!想定外!「新長尾坑」名前を書いているプレートが近くに埋もれていたので目に付きやすい木に縛り付けました。
「しんながおこう?」この名は初めて耳にする言葉です。遠〜く離れているトッポさんにも手で合図をする
  




新長尾坑から数十メートル下流右手に「寛永間符」発見!


寛永間符周辺にある古い石積み



坑口の地面の下から水流の音がしていたが数メートル先でパイプにて谷へ流していた





地図では第2通洞は寛永間符の少し下流に在るので近いはずだ。
再び谷を下り始めるが谷には水流が目立ち始める。



左手に石積みがあり何か施設の跡らしい




川の中に宝物が埋もれていました





写真は東平のマンプに展示されている三角鉱車です。鉱石の運搬に使うものですが明らかにこれと同じ物だと思います








前方に右手上方から水が「ゴウゴウ」と谷へ流れ込んでいる場所に出ました





「はて?」上に谷は見当たらないが導水路のトンネルでも出ているのか…?





この付近は谷が急激に落ち込み水流もあり下れないので右手を上り迂回する事に




流れ込んでいる川の上部に出ました




かなりの水量で寛永谷へ落ちています




流れの元(右手方向)を見ると何と!「第2通洞」幻の第2通洞ではないか!
トッポさんに連絡を「緊急連絡!ただ今第2通洞発見!直ちに川を下ってください」と言うつもりだったのだが携帯が圏外で繋がらない!
仕方がないので迎えに引き返す事に…

驚いたのは今も水が流出し続け、下流に寛永谷取水口が在りますが半分以上の水量を第2通洞が占めるのではないだろうか。
ここから湧き出ている水は透明で恐ろしく冷たく手を入れると射すように痛い おそらく10度以下ではないだろうか、これから訪れる方は是非、温度を測ってください。





この場所も想定外だった第2通洞の向い側一帯に残っている寛永谷沈殿池

もし第2通洞が開通していたなら橋か暗渠で繋がりこの周辺の景観も変わっていただろう

帰りは再びヒュッテまで上がり上部鉄道跡を1本松停車場より東平へ下りたが道中トッポさんの別子銅山関係の話で退屈はしなかった。
私のからっぽの頭とは大違い、知識は豊富でかなり専門の書物を読んでいるのではなかろうか。
トッポさんの話によると前世は別子に住んでいたらしくこの地に初めて訪れた時も見慣れた風景だったそうだ。
そこで私は考えた トッポさんの前世はトッポさんを介し、選ばれし私に第2通洞の場所を教えて下さったのに違いない… 
 「ウムッ」前世は人を見る目がある…(汗)
今回は第2通洞の他、新長尾坑、寛永坑、寛永谷沈殿池など予想外の発見で思わぬ拾い物でした

Uチューブに第2通洞の動画をアップしました 







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