このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

* * (2011/07/26)一晩かけて北の地へ1 * *



 今年は春からいろいろと忙しかった。会社の異動はほぼ確実なことがわかってはいたが、いざ引っ越しの準備をしているとやはり大変な作業である。引っ越しが終わった後、今度は仕事が今までとは比べ物にならないほど忙しくなり、勉強や遊びどころではなくなった。5月の連休中、昨年初めて出席した仙台スクーリングの参加を今年も計画していた。しかしながら、東日本大震災被災地のど真ん中であり、当然のことながら開催中止となった。もっとも、連休中も仕事へ行っており、地震のあるなしに関わらず行けなかった可能性が高い。

 ようやく心に余裕が出てきたのは7月から。それまでは目の前のことをこなすのが精一杯であった。7月下旬は毎年恒例となりつつある東京スクーリングの時期である。このような状況であったので、東京行きを決断するまでには若干の時間を要した。けれども、ここで行かなければしばらく勉強ができなくなるような気がして6月下旬、ようやく東京遠征を計画するに至った。

 なお、今回の旅行記は復路に乗車した1レの話題のみを書きたい。乗車前のいろいろな準備から乗車中の状況、そして終点の札幌到着まで。汽車一本の話題なので、書ける限り多くの情報を載せたいと思う。




◎◎ 事前の準備から当日の乗車まで ◎◎

 東京遠征での往路は交通機関の選択肢が無かった。授業の開始時間により、前日夜の航空機で東京に入るしかない。航空機を使うこと自体、小生にとっては嫌な行程である。東京遠征が決定した時点で嫌々航空券を購入する、13,070円也。最近は事前に予約を行なうことで、かなり安い料金で東京へ行くことができる。
 復路は若干悩んだ。当初は仕事の関係で、授業終了後にそのまま航空機で帰り、翌日からの職場復帰を考えていた。6月下旬になり若干仕事量が落ち着き、7月の休みを考える余裕が出てきた。何とか休みを一日多く取る目処がつき、ようやく復路の行程を考え始めた。昨年は青森行きの寝台特急「あけぼの」に乗ったので、今度は新型車両が導入された東北新幹線の選択肢が浮かんだ。けれども、真夏の東京で疲れている身体であれば、東京から寝たまま札幌へ帰ることのできる直通列車の方がいい。6年ぶりくらいであろうか、久しぶりに寝台特急「北斗星」に乗ることにした。
 寝台券を予約しようしようと思ってはいたのだが、気づけば6月26日の昼ころ。事前の予約手続きをすっかり失念していた。所用があり、出先でみどりの窓口に飛び込んだ結果、なんとB寝台のソロが一席だけ空いていた。夏季の繁忙期に入る時期だったので、半ば諦めかけていたところの良い知らせに喜んだ。
 そして7月22日夕方。前日までの残業でばたばたしながらもなんとか仕事を終わらせ、何らかの刑を受けるように、航空機に乗るため嫌々ながら新千歳空港に向かった。札幌駅前の気温が20.3度と肌寒いくらいであったが、東京も東京とは思えないほどの涼しさであり驚いた。
 この後日曜日をはさみ、三日間の授業もなんとか終了。大学からそのまま、まずは東京駅直結の百貨店、大丸へ向かう。お盆まで少し早いが、実家へのお土産を買いに行く。高くて小生の給料ではなかなか買えないものばかりであるが、いろいろなものがあり勉強にはなるし、何より面白い。1階がお菓子中心の食料品、地下1階が惣菜中心の食料品売り場である。併せて、汽車の中で食す弁当も購入する。
大丸東京店
(大丸東京店)
東京駅3・4番線
(東京駅3・4番線)
 東京駅を出ようとしていたのは1800ころ、ちょうど通勤時間である。次々と入線する山手線、京浜東北線の電車の合間を縫って0キロポストを撮影する。この時間帯、列車の運行間隔が異常に短い。発車後にはすぐ次の列車の到着案内が入る感じ。それでいてどの列車も混雑しており、利用者の多さがわかる。
 小生も京浜東北線の人ごみに突入し、北の玄関口である上野駅へと向かった。
3番線の0キロポスト
(3番線の0キロポスト)
4番線と5番線の間にある0キロポスト
(4番線と5番線の間にある0キロポスト)
 上野駅へ着いたころは日が暮れようとしているところ。改札の外で日用品の補充、改札の中で食料品の購入を済ませ、いよいよ臨戦態勢に入る。これだけの大きな敵(?)は久しぶりであるので準備は念入りに行なった、つもりである。上野駅
(上野駅)




◎◎1レ・上野発札幌行き寝台特急「北斗星」◎◎
(上野1903→札幌1115)

 改札口を通る人はほとんど通勤なのだろう。ほとんどが近郊を走る列車の方へと歩みを進める。そんな通勤列車の合間にひょっこり表示を出すのは寝台特急「北斗星」である。電光掲示板の“札幌行き”がなんともいい味を出している。毎度さま、石川啄木の歌碑を拝んでから13番線へ向かう。
正面改札口の上
(正面改札口の上)
石川啄木の歌碑
(石川啄木の歌碑)
推進運転時の先頭車
(推進運転時の先頭車)
食堂車への積み込み
(食堂車への積み込み)
 列車は青森方から電源車を先頭、機関車を最後尾として推進運転で入線となる。所定の停車位置へつけると、脱着式の前照灯をはずし、すばやく発車の準備へと移る。食堂車では食材だろうか、積み込みが行われていた。どのような運用か不明なのだが、車内からリネン用品を運び出し、ようやく1レの客扱いの案内放送が入る。
 重い荷物は一旦、自室へ運び込み、気合いを入れて取材活動を開始する。余裕時分もあまりないので、駆け足での撮影となってしまった。なにせ電源車と機関車を含め13両編成であり、先頭から最後尾までかなりの距離がある。蒸し暑い駅構内を往復するだけで汗だくとなってしまう。機関車はカシオペア塗色のEF510形。青い北斗星塗色は試運転列車で見かけているが、こちらは初めて見る車だ。先頭、最後尾、いずれも大人数での撮影会となっていた。最後に誇らしげに見える“札幌行き”の方向幕を撮影し、車内へと戻る。
カシオペア塗色の機関車
(カシオペア塗色の機関車)
札幌行きの方向幕
(札幌行きの方向幕)
大宮
(大宮)
 撮影後、まっすぐ食堂車へ向かう。皆様さすがに勉強しており、すでに先客が数人並んでいた。シャワーカード争奪戦は入線後、すぐに始まっていたのである。この待ち時間で定刻の1903、上野駅を静かに発車した。争奪戦の結果、なんとか最後の時間が確保できた。310円也。
 先ほども自室という言葉を使ったが、今宵の宿はB寝台ソロという個室である。開放B寝台と同じ価格である寝台料金6,300円にて個室が使えるのはお得である。文句を言ってはいけないが、この日は残念ながら東日本車であり、以前に乗車したことのある北海道車よりも若干狭かった。
カードキーとシャワーカード
(カードキーとシャワーカード)
大丸東京店で買ったお弁当
(大丸東京店で買ったお弁当)
 大宮1930発あたりまで車内の片づけ、寝床づくり、東京でお世話になった方へお礼メールの送信などなど、いろいろと作業を行なっていた。一息ついてようやく飯の時間だ。先に買った少し贅沢なぶりの照り焼き弁当を食す、840円也。量的には若干少ないくらいではあったが、この後の取材に影響するのであえて抑えた。さすが百貨店のお弁当、味はよかった。
 この日、関東より北の地方は天候が不安定な状態であった。宇都宮2029発あたりから先は稲光の鑑賞会である。室内の電気を消すと、きれいに鑑賞できる。ここまでの雷、自宅ではじっくり見たことがない。雨も窓ガラスをたたくほど降っていた時間帯があった。
宇都宮
(宇都宮)
郡山
(郡山)
 ここでひと眠り。東京での生活を終えるこの日。朝からせわしなく行動していたので、体力的にはかなり弱っていた。けれども不思議なことに、上野駅に着いたあたりから身体だけは動いていたような気がする。起きたのは郡山に着く前。22時過ぎ、いよいよあこがれの食堂車パブタイムに向かうとする。
 パブタイムの営業は放送案内が入ってからとなるが、おおよそ2115ころかららしい。食堂車はまだ2,3デーブル席空いていたので、二人掛けの席へ腰かける。すぐにお冷が用意され、メニューを眺める。一応繁忙期に入っているこの季節、パブタイムの混雑も考えて事前に弁当を食すことにした。これだけあっさりと入れるのなら、弁当は不要だったかもしれない。
 注文したのはビーフシチュー1,600円也とパン200円也。これにサラダとコーヒーまたは紅茶を加えたセットメニューは2,500円也。何も食べていなかったら、間違いなくこちらにしていただろう。お腹の状況によっては北海道ソーセージ盛り合わせ800円也を追加してもいい。味はもちろんいいのだが、食堂車で食すことがいい。少し価格は高く感じるが、これだけのものを列車内で提供している努力を考えると、その対価としては十分である。
ビーフシチューとパン
(ビーフシチューとパン)
福島
(福島)
 ちなみに、この食堂車でもSuicaが利用できる。世の中便利になったものだ。先のシャワーカードも、このパブタイムの支払いもSuicaで支払った。
 満腹になった後はシャワーを浴びてすっきりしてから寝ることにする。予約した時間に勝手に行って、勝手に使う方式である。場所とお湯のみの提供であるから、シャンプー、石鹸、タオルについては車内で購入する、自ら用意する、のいずれかである。部屋の使える時間は30分、お湯の出る時間は6分。時間配分を考えて使えば、さほど短い時間ではない。揺れる車内でのシャワーはなかなか難しいし、面白い。
シャワールーム入口
(シャワールーム入口)
シャワールーム室内
(シャワールーム室内)
 身体がすっきりしたところで、先頭車まで散歩をしてみる。行き止まりのその先は機関車である。運転士さんは何人か交代しながら、休むことなく客車を引っ張り続けている。こんな夜中でもお疲れさんです。
 自室へ引き返し、ちょうど就寝態勢に入るころに仙台2330発。暗いせいもあってか、周囲は何事もなかったかのような印象を受ける。線路から見る風景ではもちろんわからない。実際はかなりの被害があり、昨年春に歩いた仙台港も津波が押し寄せていたのだ。
 この先、車内のカーテンを閉め、室内も消灯。おやすみなさい。
客車から見る機関車
(客車から見る機関車)
仙台
(仙台)
* * (2011/07/27)一晩かけて北の地へ2 * *

トップページできごと > (2011/07/26)一晩かけて北の地へ1

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください