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戦時中の火炎瓶です
フィンランド戦争で攻め込んだソ連戦車に
フィンランド軍が火炎瓶で応戦し、ソ連の外務大臣、
モロトフへの
以来、火炎瓶はmolotov cocktail
と呼ばれています、
ソ連も火炎瓶対策が進んで、大きな戦果は上がらなかったようです
その後も、陸軍では研究が続けられ、口に詰めた布に火を着ける物
から、専用の信管を使用し、衝撃で発火する物へ進化します、
写真の火炎瓶は、ラベルの痕跡から、東京第二陸軍造兵廠で
昭和17年1月に製造されたものです
大日本麦酒のビール瓶を流用し、信管をねじ込む、口金が
装着されています、この時点では火炎瓶は、制式兵器でなかったのですが
昭和18年に、大日本帝国陸軍の「手投火炎瓶」として制式採用されました
迫り来る、本土決戦で、米軍戦車に竹ヤリと、火炎瓶で
応戦しようとしたのでしょうか。
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