このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大日本帝国陸軍の火炎瓶   戦時中の試製火炎瓶

戦時中の火炎瓶です

フィンランド戦争で攻め込んだソ連戦車に

フィンランド軍が火炎瓶で応戦し、ソ連の外務大臣、
モロトフへの
贈り物だと言ったのが始まりで、
以来、火炎瓶は
molotov cocktail 
と呼ばれています、

 
ノモンハン事変でも日本軍はソ連戦車に用いましたが

ソ連も火炎瓶対策が進んで、大きな戦果は上がらなかったようです

その後も、陸軍では研究が続けられ、口に詰めた布に火を着ける物

から、専用の信管を使用し、衝撃で発火する物へ進化します、

 

写真の火炎瓶は、ラベルの痕跡から、東京第二陸軍造兵廠で

昭和171月に製造されたものです

 

大日本麦酒のビール瓶を流用し、信管をねじ込む、口金が

装着されています、この時点では火炎瓶は、制式兵器でなかったのですが

昭和18年に、大日本帝国陸軍の「手投火炎瓶」として制式採用されました

 

迫り来る、本土決戦で、米軍戦車に竹ヤリと、火炎瓶で

応戦しようとしたのでしょうか。

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