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ヤクザと憲法


ヤクザと憲法(日本:2016)
監督:土方宏史(「土」は土の右下に点)
プロデューサー:阿武野勝彦
東海テレビ製作、96分

<あらすじ>
 暴力団対策法、暴力団排除条例が布かれ、ヤクザは全国で6万人を割った。この3年で2万人が組織を離脱した。
 しかし数字だけでは実態はわからない。ヤクザは、今、何を考え、どんな暮らしをしているのか?
 大阪の指定暴力団「二代目東組二代目清勇会」にキャメラが入る。会長が15年の実刑判決を受けた殺人事件は暴対法のきっかけだとも言われる。組員の生い立ちとシノギ、部屋住みを始めた青年と実の子のように可愛がるオジキ、そして、組員の逮捕、家宅捜索の瞬間がやってくる…。
会長は「ヤクザとその家族に人権侵害が起きている」と語りはじめた。ヤクザと人権…。一体、何が、起きているのか?

 銀行口座がつくれず子どもの給食費が引き落とせないと悩むヤクザ。金を手持ちすると親がヤクザだとバレるのだ。自動車保険の交渉がこじれたら詐欺や恐喝で逮捕される。しかし、弁護士はほとんどが「ヤクザお断り」…。日本最大の暴力団、山口組の顧問弁護士が、自ら被告になった裁判やバッシングに疲れ果て引退を考えている。
 「怖いものは排除したい」。気持ちはわかる。けれど、このやり方でOKなのだろうか? 社会と反社会、権力と暴力、強者と弱者…。こんな映像、見たことない!? 強面たちの知られざる日常から、どろりとしたニッポンの淵が見えてくる。
( 公式サイト より)

<感想>
 Twitterで前評判がかなり高かったので、修習生になった友人を誘い、関西での公開初日に行った。取材先が堺市の組だからか、初回13時45分は早々に完売。16時の回に立ち見でようやく鑑賞という異例の経過をたどる。

 暴力団らしい人というのは、ごくまれに街頭で見かける位で、あとはタケシ映画のようなフィクションの世界という感覚であった。羽振りがよく、刃物や拳銃で武装し、血の気が多くすぐに手が出るが、漢気を見せることもある…。
 
 ところがこの作品に出てくるのは、一見すると普通の大阪下町のおっさん、という人である。
 
 本作の取材先は大阪府堺市にある二代目清勇会の事務所。大阪市西成区に本拠を置く指定暴力団二代目東組の2次団体で、27人が所属する。会長の川口氏が、監督の撮った「死刑弁護人」を見ていて、そこから信用して撮影を許可してくれたのだという。

 冒頭、事務所でカメラを回すプロデューサーが、長物の入りそうな袋を見つける。「マシンガンですか?」と聞くと案内の部屋住みは苦笑。中身はテント用具であった。拳銃を置いてないのか?との問いには「…はないですね。ないでしょ?」「そういうのはテレビの中だけですわ」という返答。少し言いよどむところが面白い。
 事務所では羽振りのいいシーンもなく、電話対応、上役の応接、経理、月例会と派手さのない組の日常が映し出される。しかしテレビが甲子園を写す中で万札を数える組員は、「何で稼いだのか?」と聞かれると、多少得意げに「野球ですわ。いま高校野球でしょ」と話す。野球賭博等しのぎの実情もそのまま流される。
 組長が西成の街を歩くのを後ろから追う。遊郭から「何撮ってんの?!」と声が出ても、なるべく組長のみを写しつつ、その周りの雰囲気を伝えていく。組長行きつけの定食屋の女将に「やくざ怖くないですか?」と尋ねれば「新世界でやくざ怖かったらやっていかれへん」と返事が来る。
 覚せい剤の前歴がある組員に同行すれば、怪しげな取引場面に遭遇する。電話の度に口数少なく応答し、「カットして」「止めて」とカメラにハンカチがかけられる。組員が「今テレビ来てるからよう行かれんわ」と何らかの依頼を受け流し、写されない日々に潜むヤクザの生態に息をのむ。
 途中、若い部屋住みが粗相をし、先輩格の組員に事務所奥の小部屋へ連れ込まれる。後を追うカメラはドアに阻まれ、怒号と何らかの物音のみがドアの向こうから聞こえる。この場面は、日本で最も怖い、ドアの映像だろう。一見して普通のおっさんがやはり粗暴なヤクザであることが証明される瞬間である。
 このようなヤクザの日々のシーンの合間に、暴対法の成立過程が説明され、組の顧問を買って出たばかりにとうとうバッジを失うことになる弁護士が登場する。この弁護士の話を転機に、映画はヤクザが暴排条例でいかに追い詰められ、居場所を失いつつあるかにシフトする。条例の影響で子供が幼稚園に通えなくなる話では、父親でもあるヤクザの目に激しい怒りの感情が読み取れた。親の因果が子に報う、なんと理不尽なことか。
 この映画に出てくる若い部屋住みは、不登校、引きこもりを経て成人とともに組に入る。少し頭が鈍く、観客の笑いどころを生む役回りになってはいたが、愚直にお茶汲み雑巾がけと一通りをこなす。そんな彼が唯一家から持ってきたのは宮崎学「突破者」。今時の若者には珍しい、ヤクザへのあこがれをもつのであった。ヤクザを排除していく現代に、いじめられっ子を生み出す学校社会を重ね合わせて、カメラの前で朴訥な語り口ながらも異質なものへの不寛容、排除という問題の本質を述べるのだった。
 終盤、組員が自動車事故の保険金交渉をこじらせ、詐欺未遂で逮捕される。府警4課が家宅捜索にやってきて、カメラはめったに見られないガサ入れの現場を写す。令状提示場面を捜査員が写真撮影するあたり、後の裁判に備えて慎重になっているのがわかる。しかしガサの最中、カメラを回し続けるスタッフにマル暴の刑事は「撮るのやめい!」「裁判所の書類があるんや!」と掴みかかり、荒っぽい府警の捜査という大阪刑弁界隈での下馬評を裏付けてくれた。


 ヤクザがこれまで引き起こしてきた数多の事件、その暴力性を考えると、この映画を見てもヤクザがかわいそうだという一面的な感想にとどまることはできない。
 しかし、ヤクザを完全に社会から締め出すだけ、という一方向性を持った暴排条例は、その強力さゆえ、そもそもどんな人間にも備わっているはずの「人権」を侵害するという副作用が大きすぎるのではないかと思う。
 偽装脱退を防ぐためとはいえ、組抜け後5年間は反社会性ありと取り扱うのでは、ヤクザを辞めることもできず、かといってヤクザのままでは生活が立ちいかず、下手をすれば地下に潜るということになりかねない。脱退を促すことでヤクザを穏やかに減少させるという、軟着陸のような方法で臨むべきではなかっただろうか。
 暴排条例が全国各地で次々と成立していく中、民の力を借りた暴力団排除という取り組みが、なぜ国会の立法ではなく地方議会の条例で全国化がすすめられたのか、という問いに対してある週刊誌が、国会では霞が関流の憲法骨抜き文学(法律)を解読して違憲を指摘できる野党議員がいるから国レベルの法制化を回避したのだという推量を働かせていた。案外そう外れていないのかもしれない。
 暴排条例が各地で定着を見せる中、現代の暴力団の実情をそのまま映す本作品は大変貴重な資料である。年配の組員が自分は定住者で国籍がないと述べるところから、過去の暴力団がそうした差別を受ける人の受け皿として機能していたことを表し、おそらく社会からドロップアウトしてしまったのであろう若い部屋住みを写すことで現代の暴力団がそうした若者を取り込みつつあることを表す。これを受け皿だと安易に肯定してよいのかは議論があろう。個人的には、少しの失敗でも暴力で躾けられるような場所が受け皿とは、そこに行かざるをえない人にとって理不尽すぎると思う。だが、作中の若い部屋住みが言う社会の不寛容については、そうした社会の一員としての我々はじっくり耳を傾けるべきではないか。

おわり

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