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北部九州リターンズ

ANAのマイルが5000マイルほど貯まり、2月中だと5000マイルで大阪から北部九州各空港への路線が乗れることが分かったので、2月末に急きょ九州旅行をすることに。

2月25日(土)

まずは近鉄で難波へ。中部空港からの5000マイルだと松山か新潟にしか飛べなかったので、伊丹に向かう。何度も乗った近鉄特急だが、土日を避けて乗っていたので土曜に乗るのは久しぶり。ケチってレギュラーシートなので隣におばさんが乗りあまり落ち着かなかった。

難波に昼前に着く。OCATから空港連絡バスに乗るつもりだったが、あまりにスムーズでつまらないのと、昼食を空港で採るのも味気ないので、四つ橋線で西梅田へ。

西梅田に着くと、昼食に行くところはやはり大阪駅前ビル。高校の後輩に教えてもらって以来、安くておいしい大阪を体現するこの空間を気に入ってよく使っている。

今回は第2ビルの韓国料理「アリラン」へ。プテチゲ定食(850円)を頂く。キムチなどの前菜5品に具だくさん鍋、ごはんがついてこのお値段はお得。味も本格派で大変満足だった。隣の客が見えない友人と会話しながら食事していたことを除けばよい店だった。

その後、中部圏から姿を消したシアトルズベストコーヒーで辛さを中和して、御堂筋線へ。天気が良いので外に出て淀川を渡るのが気持ちがいい。

千里中央駅ではエレベーターが見当たらなかったので、キャリーバッグを持ちながらモノレールへの乗り換えには苦労した。

大阪モノレールでは先頭の座席を確保。北摂の見晴らしを堪能しながら空港へ。

空港では保安検査場が混んでいて焦ったものの、機材の到着遅れで結局出発時刻に搭乗が始まり、10分遅れで熊本へ飛び立ったのだった。

初めてのプロペラ機だった↑                            ↑高度が低く、航空写真的世界が楽しめる。画像は阿蘇のカルデラ。

1時間ほどで阿蘇熊本空港へ。初めてのプロペラ機はエンジン音がかなりうるさかったものの、レトロな雰囲気がありなかなか面白い乗り物だった。

空港からは無料のシャトルバスで肥後大津駅へ。地元のタクシー会社が運行するマイクロバスだった。

肥後大津駅では4分の接続で16時23分発の熊本行きに乗る。切符を券売機で買おうとすると1000円札しか対応しておらず、窓口に5000円札の両替を頼むと嘱託のおじさんが「間に合うかな?」とひとりごちながら千円札の束を投げてよこしたので、田舎らしいサービスを体験する。

間に合った列車は2両編成の815系。ロング車だった。肥後大津から先は未だに運休中で、震度7の恐ろしさが伝わってくる。

肥後大津から熊本までは40分弱。東海学園前という駅名に反応しつつ、綺麗になった新水前寺駅に政令市となった熊本の勢いを感じた。

熊本駅では8分の乗り継ぎ。余裕だと思っていたら端の地上ホームから反対の高架ホームへの乗り換えだったので結構ギリギリになった。

新幹線脇の高架ホームにはキハ147とキハ31の2両編成の三角行きがいた。転換クロス装備のキハ31を迷わず選び、空いていた一番前の向かい合わせ座席に座る。座席はほぼ埋まり、なかなかの乗車率。三角線内まで乗客がいたので、熊本が通勤・通学圏になっているのだと感じた。荷物から察するに福岡方面への出張・単身赴任者の帰省が多いようだったが。九州新幹線の威力か。「A列車で行こう」と入れ違いに17時02分発車。

新規開業した西熊本駅に感動しつつ、鹿児島本線を走り、九州新幹線の車庫がある富合を過ぎる。宇土からは三角線に入り、住吉ではかなりの降車があった。ここから先は赤瀬まで島原湾のそばを走る。この眺めなら観光特急も走るなぁと思った。

赤瀬からは半島を横断し、終点三角には17時53分着。5分で折り返すので改札を素早く出て、切符を新八代まで買い、手早く写真を撮って今度は1人掛けの転換クロスに座った。

↑キハ31                                    ↑キハ147。キハ40の九州向け。

↑転換クロスシートが並ぶキハ31車内。素晴らしい光景。              ↑三角駅駅舎。モダンなつくり。

帰路は熊本への客がちらほら乗ってくる。沿線に大学の保養所でもあるのか、大学生らしい集団も乗ってくる。そんな列車を宇土で降り、八代行きを待つ。

↑宇土駅は駅舎が現代建築に                           ↑ホットスナックの自販機がホームにある。キオスクの代わりかな?

やってきた八代行きは2両編成だからか、かなり混雑していた。持参していた文春文庫の「金正男独占告白」を読んでいると、約20分で新八代に着く。駅には翌日の国公立受験ぽい学生がうろうろしていた。福岡ではライブ×3と薬剤師国家試験と重なり、宿不足で阿鼻叫喚だったが、私が新八代にしか宿が取れなかったのはその影響である。

↑乗ってきた815系                               ↑肥薩おれんじ鉄道の車両も乗り入れる

新八代では東横インに投宿。4500円ほど。周囲に何もないという事前情報だったが、サービスのカレーライスにありつけたので夕食抜きは免れた。肉も入り、案外しっかりしたカレーだった。食後に飲料などの買い出しに出る。駅売店の他はセブンイレブンしかない。売店で熊日の夕刊を買おうとしたが、午後7時で新聞は引き揚げてしまったとのこと。セブンにあったので事なきを得たが。

ホテルでは「龍の歯医者」の後半を観た。予想に反してコルトガバメントやウェブリーピストルで武装した1次大戦風の軍隊が出てきてドンパチやってたので、最初から見ればよかったと思った。ネット上では「エヴァっぽい」という感想が目についた。ガバに言及している物はなかった。

2月26日(日)

↑何もない新八代駅前                               ↑新幹線の新八代駅              

この日は昼過ぎに福岡在住の大学の先輩に博多で会う予定である。

9時56分の銀水行きで出発。この日から「旅名人の九州満喫きっぷ」切符を使った。10800円でJRの普通・快速列車が使えるのは18きっぷと変わらないが、この切符は通年販売な上西鉄から福岡市営地下鉄、松浦、平成筑豊など九州島内の私営・公営・三セクの鉄道に乗り放題なのである。これで九州を離れる3日間を過ごしたが、大変使い勝手のいい神切符であった。

銀水行きは案の定2両編成の815系だった。新八代から乗る客は多く、熊本でドア脇のヘッドレスト付き部分に座る事が出来た。そこからはのんびり居眠りしながら田原坂を通過し、荒尾に11時14分に着く。ここで向かいの9両編成快速小倉行きに乗り換える。転換クロスなのでうれしい。夏以来の乗り心地に満足する。博多へは12時22分に着いた。

↑博多に到着した                                ↑綺麗になっている博多駅

↑流行のKITTEもある                               ↑新幹線口からの眺め。ビル群が凄い。

↑筑紫口は名古屋の太閤通口並に鄙びた空間だった。駅の東西で落差が激しい…

駅近くのワシントンホテル系列のR&Bホテルに荷物を預け、13時ごろ筑紫口のUSJ看板前で先輩と落ち合う。ヨドバシカメラでケガキ棒を購入するのに付き添いつつ、鉄道模型の品ぞろえをチェック。案の定、JR九州の車両や西鉄の鉄コレの揃いが充実していた。

昼食にはラーメンを所望すると、先輩の父親が高校生の頃からある地下の食堂に案内される。大変よい昭和を感じる空間で、孤独のグルメ的嗅覚を刺激される。チャーハンとラーメン、餃子のセットを頼む。先輩が驕って下さったので大変ありがたい。

↑博多駅地下街にある。                             ↑博多と言えば豚骨。煮卵も素朴で美味しい。

店内はなかなかの混雑で、虐待おじさんに似た人と相席になった。斜向かいの一般通過爺に似た客が、チャーハンに高菜を入れて食っていたので真似をして食べると辛い。それを先輩に言うと「それはラーメンに入れるものやぞ」とアドバイスを受けた。

鹿児島からきたっぽい男女半々の大学生集団を見て羨ましい半分、若いなぁという感情を抱きつつラーメンを完食し、店を出た。

店を出ると、まず私のリクエストで、例の陥没事故の現場へ。

↑道路が真新しい                                ↑駅から撮る。地下駐車場出口の奥辺りが現場。

駅からすぐが現場だったのでかなり驚いた。あの日は記者たちが駅ビルに群がったのだろう。セブンイレブンの前には再び沈んだ痕が残っていた(下記写真)。心なしか、足元がぐわぐわとした。先輩と「穴が広がってないか?」「何て大きな穴なのだ(明治の文豪)」という語録で会話する。しょーもないがたのしい。

現場を見た後は、上に庭園があるという新しい駅ビルが気になったので昇る。

庭園(正式名称「つばめの杜広場」)には子供汽車が走り、近代家族がわらわらと詰めかけており、我々独身男性2人という組み合わせは少し浮いていた。

子供汽車は案外本格的で、クソガキが飛び乗った時は即座に停車していたので安全にも配慮されている。

↑屋上からは発着する列車が眺められる                      ↑屋上からフェリー乗り場方面を見る。空港の高さ制限ゆえ、高いビルが少ない。

屋上には「縁結び七福童子」という糞土方に似たアート作品が置かれていた。局部が隠さず再現されていたので、それを見つけた3歳児が大喜びで「チ○コがある!ねえ、チ○コ!」と指をさしながら母親に伝えていたのには流石に大草原不可避だった。

庭園から降り、私のリクエストで西戸崎(さいとざき)に行くことに。海の中道線が気になったのである。

福岡の帝王西鉄バスに乗り、フェリーターミナル方面へ。RADWINPSのライブ会場と方面が重なっているようで、それらしい客がうじゃうじゃいた。こんなことを書くと古参ファンからの怒られが発生するが、「君の名は」効果を感じる。

バスはうっかり乗りすぎてしまい、釜山行きのフェリー乗り場まで来てしまった。しかしこのおかげで、関釜連絡船の息吹を感じられた。本州住まいにとって、隣国を身近に感じるというのはなかなかない。

↑港の様子。左の方が西戸崎方面の乗り場。対馬行きも出る。             ↑県警の船が係留されていた。

船は福岡市の運営で、440円と安い。志賀島へ向かうことから「きんいん」という名がついた船に乗り込む。

↑船内は結構広く、思ったより豪華だった。指定席などではない。

↑港を後にする                                 ↑豪華客船が寄港していた

↑目指す西戸崎の街                                ↑福岡ドームなど

↑到着した船                                  ↑しっかりした待合室

せっかくの船旅なので、ずっとデッキで過ごしていた。風が強く、うっかりするといろいろ飛ばされそうだが、福岡を海から眺められ楽しい船旅だった。

西戸崎の街は、ごく普通の住宅街だったので拍子抜けした。先輩は一度仕事でこの街へ来たことがあるそうであった。

そのまま少し歩くと、住宅街、グラウンド向こうの一角に1面1線の棒駅が見えてくる。そこが香椎線(通称:海の中道線)の終着駅、西戸崎である。

↑コンクリ駅舎。                                ↑非電化路線であった

駅前には土産用の魚市場の看板が見えた。先輩が土産でも...と物色しに行ったがそこにあったのはテナントが抜けたマンションの1階という寒々しい光景であった。。

観光というよりは福岡都市圏のベッドタウンなのだろうか。フェリー通勤はNJ→NYのハドソン川やバンクーバーのようである。

西戸崎からは日中は1時間に2本、夕方は3本に増える。2両編成のキハ147で、国鉄時代を感じるボックスに座る。813系に慣れた体には硬い。。15時49分発車。

海の中道線という名前ながら、そこまで海のそばを走るのではなく、砂洲の真ん中を走る。隣の海ノ中道駅は水族館、ホテルがあるほか、海浜公園はフェスなどに使われるようだ。隣を走る県道59号線を眺めていると自衛隊のトラックが走っていった。

途中和白で西鉄貝塚線と接続する。この路線、沿線開発で乗車率が増えているらしく、ラッシュが酷くなったという記事を読んだが、3両編成なので編成を伸ばせば何とかなりそうとも思ってしまった。しかしながら今更の増加では宮地岳線が浮かばれない。。

西鉄の次は鹿児島本線と合流する香椎駅。4分ほど停車した。9両編成の電車が行きかう本線との対比がいい。

その後は福岡市西区内を走る。こんな街中を気動車が走るのはちょっと珍しいような。長者原では電化の篠栗線をまたぐように停まる。ここも接続駅だ。終点の宇美には16時51分に着いた。

↑宇美駅。単線の棒駅である。                          ↑駅舎。近くにある安産祈願の宇美八幡宮にあやかった形をしている。

↑SUGOCA対応なので自動改札。2015年に無人化された模様。

宇美からは長者原へ引き返し、篠栗線で博多駅に戻った。

博多駅からは中洲の探索に向かう。ワンコインバスに乗ったが、天神南駅付近まで乗りすぎてしまった。しかしおかげで天神の街並みも楽しめた。

↑大きな三越のビル。他に大丸もあって、名古屋・栄のデパート街のようだ。     ↑三越の2階から西鉄が発着し、その上はなんと車が走る!

西鉄の高架線の上は道路になっていて、デパートの駐車場に繋がっているそうである。先輩曰く300メートルくらいあるので駐車場に車を入れるのが面倒とのこと。名古屋駅でも高島屋の駐車場へは、かなり手前から専用の高架道路で入るので、構造は何となく把握できた。

天神から10分ほど歩くと、有名な中州地区に入る。島の突端部分には古い家が立ち並んでいてえもいわれぬ雰囲気を醸し出しているとのこと。風俗街とはまた違って独特の空気なのだろうか。

↑高層ビルの谷間にある安アパート、渋い...            中州対岸を望む。近代家族の集うキャナルシティのごく近くにキャバクラビル(写真中央のビル)が…!↑

↑船溜まりのような場所もある。                         ↑左は高級ホテル。このさらに左がキャバクラビル方面である。

↑夕食はやっぱり…                               ↑もつ鍋を食べた

↑ホルモン焼きと日本酒も頂いて幸せいっぱい                   ↑ホテルの部屋は狭く、あまり使い勝手が良くないうえBSが入らないクソ仕様だった

車と列車を乗り継いで博多まで来ていた先輩はノンアルコールビールで付き添ってくれた。翌日仕事なのに乗り鉄に連れまわした挙句、中州散策を遅くまで付き合ってくださって大変うれしくも心苦しかった。その後メールで「またボーナス出たらおいで」と言ってくださったのでさらに感謝感激である。

つづく

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